「悔悛のガリア」の重厚なシャプレ 「イエスよ、憐れみ給え」「神の御母」 保守的な意匠に拠る稀少な作例 全長 56 cm


クルシフィクスを下にして吊り下げたときの、最上部からクール上端までの長さ 38 cm

ロザリオの全長 56 cm

クルシフィクスのサイズ 56.7 x 36.8 mm


 フランス  1910年代



 1910年代にフランスで制作されたアンティーク・シャプレ(ロザリオ)。無原罪の御宿りに執り成しの祈りを捧げるための「シャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ」(chapelet de la Vierge 聖母の数珠)です。金属部分はブロンズで、ビーズはベークライトでできています。

 本品の制作年代�は20世紀に入っているにもかかわらず、黒い木を象嵌したクルシフィクスや、倒立したクール(センター・メダル)、環状部分に挿入されたメダイユに、前世紀(19世紀)の特徴をとどめています。ルルド巡礼を記念するロザリオですが、「ルルド」に関連する同時代の品物に見られる様式化をまったく免れ、保守的な意匠に基づいて制作された稀少な作例です。





 ブロンズ製クルシフィクスは大きめのサイズで、打ち出し細工のコルプス(CORPUS キリスト像)とティトゥルス(TITULUS 罪状書き)を、黒い木を象嵌した十字架に鋲留めしています。「コルプス」(CORPUS) とはキリスト像のこと、「ティトゥルス」(TITULUS) とは "I.N.R.I." と記した罪状書きのことです。"I. N. R. I." は "IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM" というラテン語の略記で、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と言う意味です。十字架の裏側には「スヴニール・ド・ルルド」(souvenir de Loudes フランス語で「ルルドの記念」の意)の文字を打ち出した小円盤が鋲留めされています。





 十字架は幅広でシンプルなラテン十字で、各末端はフルール・ド・リス(fleur de lys 百合の花)となっています。フルール・ド・リスは百合の花を模(かたど)った文様と考えられているゆえに、百合と同じく聖母の象徴であり、「シャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ」(聖母の数珠)である本品にふさわしい意匠です。フルール・ド・リスのある十字架を聖母マリア自身と考えれば、本品のクルシフィクスは十字架上に死んだわが子を抱きしめる「ピエタ」の聖母と重なります。


(下) Michelangelo, "la Pietà vaticana", 1497 - 99, marmo, altezza 174 cm, larghezza 195 cm, profondità 69 cm, la basilica di San Pietro, Roma




 フルール・ド・リスはフランスの象徴とも考えられています。カペー朝第5代国王ルイ6世 (Louis VI le Gros, 1081 - 1137) とその子ルイ7世 (Louis VII le Jeune, 1120 - 1180) に仕えたサン=ドニ修道院長シュジェ (Suger, 1081 - 1151)、及びシトー会の改革者であり、当時の西ヨーロッパで最も影響力のある宗教人であったクレルヴォーの聖ベルナール (St. Bernard de Clairvaux, 1090/91 - 1153) は、カペー家を聖母の庇護の下に置くべく王室の聖母崇敬を推し進め、これに伴って聖母の象徴であるフルール・ド・リスが、フランス王室で多用されるようになりました。


(下) イアサント・リゴー (Hyacinthe Rigaud, 1659 - 1743) によるルイ14世像。太陽王 (Roi-Soleil) と呼ばれたルイ14世は当時のヨーロッパで最強の君主であり、ヴォルテールが伝える「朕は国家なり」(L'État, c'est moi.) という言葉は有名です。

 Hyacinthe Rigaud, "Louis XIV", 1701, huile sur toile, 277 × 194 cm, musée Bernard d'Agesci, Niort


 19世紀後半から20世紀初頭は、フランスが大きな回心を経験した時代でした。1864年8月19日、教皇ピウス9世の小勅書により、マルグリット=マリが列福されました。これより三年前の1861年に、ラミエール神父が信心書のシリーズ「イエズスの聖心のおとずれ」(Le Messager du Sacré Cœur de Jésus) を発刊しますが、マルグリット=マリ列福後の1867年8月に発行された同誌第12号で、マルグリット=マリがパレ=ル=モニアル聖母訪問会修道院の院長に宛てた1689年6月17日の手紙、「第98書簡」が公開されました。この書簡において、マルグリット=マリは地上で辱めを受けたキリストが地上の君主に償いを求めていると述べた後、キリストが語ったという次の言葉を記しています。日本語訳は筆者(広川)によります。

     Fais savoir au fils aîné de mon sacré Cœur – parlant de notre roi – que, comme sa naissance temporelle a été obtenue par la dévotion aux mérites de ma sainte Enfance, de même il obtiendra sa naissance de grâce et de gloire éternelle par la consécration qu'il fera de lui-même à mon Cœur adorable, qui veut triompher du sien, et par son entremise de celui des grands de la terre.
 Il veut régner dans son palais, être peint dans ses étendards et gravé dans ses armes, pour les rendre victorieuses de tous ses ennemis, en abattant à ses pieds ces têtes orgueilleuses et superbes, pour le rendre triomphant de tous les ennemis de la sainte Église.
(Marguerite-Marie d'Alacoque, Lettre IIC, 17 juin 1689, Vie et œuvres, vol. II, Paray-le-Monial)
   わが聖心の長子(ルイ14世)に伝えよ。王は幼子イエズスの功徳によって儚(はかな)きこの世に生まれ出でたのであるが、崇敬されるべきわが聖心に自らを捧げるならば、永遠の恩寵と栄光のうちに生まれるを得るであろう。わが聖心は王の国を支配し、また王を仲立ちにして地上の諸君主の国々を征服することを望むからである。
 わが聖心は王の宮殿にて統べ治め、王の軍旗に描かれ、王の紋章に刻まれることを望む。そうすれば王はすべての敵に勝利し、驕り高ぶる覇者たちの頭をその足下へと打ち倒し、聖なる教会のすべての敵を征服するであろう。
(「マルグリット=マリの生涯と著作 第二巻」より、1689年6月17日付第98書簡)


 聖女の手紙はパレ=ル=モニアルのド・ソメーズ院長から、パリ、シャイヨ宮にある聖母訪問会修道院の院長、王妃、国王付聴罪司祭を経て国王に渡されるはずでした。しかしながら国王からの反応はありませんでした。聖女の手紙がいずれかの段階で止められたか、あるいは国王が手紙を読んでも内容を実行しなかったのです。これは国王個人の問題ではなく、フランス王国がキリストに対して不服従であったことを意味します。キリストは聖女を通して国王に語りかけるという形を取りながらも、むしろフランス人全員に語りかけ給うたのですが、フランスはこれに耳を貸さなかったのです。

 「イエズスの聖心のおとずれ」第12号により、フランスの人々は自国がキリストに従うことを拒んでいたことを知りました。フランス革命をはじめ、ルイ14世の時代以来フランスを襲った災厄は、すべてこの不服従の聖であると思われました。それゆえこの時代のフランスに生きた信仰深い人たちは、フランスをキリストに奉献しようとしました。




(上) キリストの前に跪き、身を投げかけるガリア(フランス国家を擬人化した女性像)。背景に見えるノートル=ダム・ド・ランスは歴代のフランス国王が戴冠した司教座聖堂ですが、1914年9月4日のドイツ軍による空襲で炎上しています。司教座聖堂の手前には、ジャンヌ・ダルクの騎馬像が見えます。戦時ゆえか、ガリアはコロナ・キーウィカを着けています。当店の商品。


 本品が制作されたのは、第一次世界大戦前後の時期です。第一次世界大戦の直前は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の領土拡張政策によって不安が高まった時期でした。やがて始まった戦争は 1914年から1918年まで戦われました。ドイツ自身の国土は戦場になりませんでしたが、戦争を仕掛けられたフランスは未曽有の大戦争の戦場となり、国中に死傷者、戦争寡婦、戦災孤児があふれました。信仰深い人々は、この災厄もフランスの不信仰に対する天罰と受け止めました。

 したがってキリストの十字架にフルール・ド・リスを付けた本品の意匠は、戦争直前の不安におびえ、あるいは戦争で傷ついたフランスの回心を表すとともに、自らの罪の大きさにうなだれて聖母に執り成しを願う「悔悛のガリア」の心をも象(かたど)っています。





 フランス語で「クール」(cœur 「心臓」の意)と呼ばれるセンター・メダルは、文字通りハート形に作られています。一方の面にはキリストの横顔が打刻され、「イエスよ、われらを憐れみ給え」(Jésus, ayez pitié de nous.) という祈りの言葉がフランス語で記されています。もう一方の面には古いタイプの聖母子像が打刻され、ラテン語で「神の母」(MATER DEI) と記されています。「神の母」とは聖母マリアのことです。

 近世以前の医学において、心臓は心の座と考えられていました。本品のクールはこのロザリオを使う人の心臓であり、クールに打刻されたキリストと聖母子は、自らの心をキリストと聖母に捧げようとする信仰を表します。本品のクールを20世紀のロザリオのクールと比べると、上下が逆になっています。これは19世紀にフランスで制作されたロザリオの特徴です。本品が制作されたのは1910年代ですが、保守的な意匠を採用しています。





 本品の環状部分は、連と連の間にあるべき「主の祈り」のビーズが「不思議のメダイ」に置き換えられています。1842年1月20日に、「不思議のメダイ」がマリ=アルフォンス・ラティスボンヌ師 (P. Marie-Alphonse Ratisbonne, 1814 - 1884) の回心を惹き起こしたことはよく知られていました。このロザリオにおいて、「主の祈り」のビーズの代わりに使われている「不思議のメダイ」にも、全フランスの回心を祈りつつ「主の祈り」を唱える「悔悛のガリア」の信仰心が現れています。

 ビーズはベークライト製です。ベークライトは最初期のプラスティック(フェノール樹脂)で、美しい艶と重量感を有します。本品のビーズは硬化後のベークライトを手作業でカット・研磨しているため、ひとつひとつの形にばらつきがあります。




 本品はおよそ百年前に制作されたものであるにもかかわらず、きわめて良好な保存状態です。実用上、美観上とも、特筆すべき問題は何もありません。クルシフィクスはもともと掛けられていた銀めっきがほとんど完全に剥がれてブロンズが露出し、他の金属製部品と却ってよく調和しています。クルシフィクスの突出部分は磨滅して優しい丸みを帯び、長い歳月を経た真正のアンティーク品のみに許された美を獲得しています。





本体価格 24,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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