銀無垢の高級品 シャルル・ドヴェルニュ作 「親指の聖母」 指先に載る小メダイ 直径 10.5 mm


突出部分を除く直径 10.5 mm

フランス  20世紀初頭



 「マドンナ・デル・ディト」をテーマに制作された銀の小メダイ。フランスのメダイユ彫刻家シャルル・ドヴェルニュによる作品で、指先に載る小さなサイズながら、細密浮き彫りは素晴らしい出来栄えです。

 フランスの銀細工工房を示す菱形のマークとともに、「テト・ド・サングリエ」(tête de sanglier イノシシの頭)が、上部の突出部分に刻印されています。「テト・ド・サングリエ」はモネ・ド・パリ(la Monnaie de Paris パリ造幣局)において 1838年から 1962年まで使用されていたポワンソン(poinçon 貴金属の検質印)で、800シルバー(純度 800/1000の銀)を示します。





 「マドンナ・デル・ディト」(伊"Madonna del dito"はイタリア語で「親指の聖母」という意味です。これはマーテル・ドローローサ(Mater Dolorosa 悲しみの聖母)を描いた有名な作品で、胸の前に合わせた袖あるいはヴェールの端から親指だけが覗いているために、この愛称で呼ばれています。

 「マドンナ・デル・ディト」は、我が国に縁が深い聖母像です。なぜならば、1708年に日本に潜入して捕らえられたイタリア人司祭、シドッチ神父 (Giovanni Battista Sidotti, 1668 - 1714) が、「マドンナ・デル・ディト」の銅板油絵を所持していたからです。


(下) シドッチ神父が所持していた聖母像 東京国立博物館蔵




 シドッチ神父は屋久島に上陸して発見され、薩摩藩によって長崎奉行所に護送されましたが、長崎奉行所にはキリシタンに関する充分な知識を持つ者がいなかったために、神父を取り調べることができませんでした。そこで神父は江戸に送られ、当時の日本で最高の知識人とも呼ぶべき新井白石の取り調べを受けることになります。白石は神父の取り調べを通して神父の人柄に感銘を受けるとともに、神父からの聞き取りによって世界の事情を知り、さらに切支丹の教えが当時一般に考えられていた邪宗では決してないこと、宣教師はヨーロッパによる日本侵略のためのスパイではないことを理解しました。その結果、白石は幕府への取り調べ報告書「羅馬人処置献議」において、次のような異例の答申を行います。

    第一、本国へ返さるることは上策也 此事難きに以て易き歟

第二、かれを囚となしてたすけおかるる事は中策也 此事易きに以て難き歟

第三、かれを誅せらるることは下策也 此事易くして易かるべし


 白石はキリシタンを邪宗と見るのが間違いであること、またキリシタン信徒やバテレンを処刑したり棄教させたりするのが下策であることを、その明晰な頭脳を以って理解し、幕府に働きかけたのです。数十年前であれば確実に処刑されていたであろうシドッチ神父が、拷問を受けることもなく棄教もしないままに、二十両五人扶持を与えられ、茗荷谷の切支丹屋敷で身の回りの世話をされて生活するという異例の待遇を受けたのは、白石の答申の結果でした。しかしながらシドッチ神父の世話役であった老夫婦が神父に感化されてキリシタンになったことが露見したために、神父は切支丹屋敷の地下牢に収容されて衰弱死します。神父が死に追いやられる結果となったことは、「かれを誅せらるることは下策也」と断言した白石にはさぞかし無念であったことでしょう。

 白石は「長崎注進羅馬人事」下巻に、シドッチ神父が所持していた「マドンナ・デル・ディト」のスケッチを残しています。シドッチ神父の「マドンナ・デル・ディト」は、現在は東京国立博物館に収蔵されています。





 「親指の聖母」には右向きの作品と左向きの作品が存在します。シドッチ神父が所持していた聖母像は左向きでしたが、本品では右向きになっています。

 上の写真は実物の面積を数十倍ないし百数十倍に拡大しています。定規のひと目盛は一ミリメートルです。本品の直径はおよそ十ミリメートルであり、聖母の顔は三ミリメートルの高さしかありません。しかしながらその顔立ちは美しく整い、衣の形や襞の流れも原作をよく再現しています。

 拡大写真で見る聖母には、生身の姿を眼前に見るかのような三次元性を感じますが、この浮き彫り彫刻における最も突出した部分と背景との高低差は、二分の一ミリメートル未満です。フランスはメダイユ彫刻が最も発達した国ですが、この国のグラヴール(graveur メダイユ彫刻家)が有する腕前には人間業と思えないものがあります。





 本品はシャルル・ドヴェルニュ (Charles-Jean-Cléophas Desvergnes, 1860 - 1928) の作品で、聖母の右肩の少し上あたりにサインが刻まれていますが、文字のサイズがたいへん小さく、読み取ることができません。

 シャルル・ドヴェルニュは数々の優れた胸像及び浮き彫り作品で知られるフランスの彫刻家です。ジュフロワ (François Jouffroy, 1806 - 1882)、シャピュ (Henri-Michel-Antoine Chapu, 1833 - 1891)、 トマ (ÉmileThomas, 1817 - 1882) に師事して、パリのエコール・デ・ボザール (École des Beaux-Arts, l'École nationale supérieure des Beaux-Arts, Paris) に学びました。1880年にサロン展に初出展し、1889年にローマ賞を受賞、1900年のパリ万博では銀メダルを獲得しています。ノートル=ダム・ド・パリにあるジャンヌ・ダルクの立像はドヴェルニュの作品です。





 もう一方の面には薔薇と百合と思われる植物が浮き彫りにされています。

 古典古代以来、薔薇は愛を象徴します。キリスト教の象徴体系においても、五弁の赤い薔薇は、キリストが受難の際に両手、両足、脇腹の五か所に負い給うた傷を思い起こさせるゆえに、神の愛を象徴します。したがって薔薇は、「悲しみの聖母」を彫った本品にふさわしい浮き彫りです。

 薔薇はのある繁みから花芽を出して、傷の無い花を咲かせます。ちょうどその薔薇に似て、聖母マリアは女から生まれながらも原罪を引き継ぎませんでした。それゆえに薔薇は無原罪の御宿り、すなわち聖母ご自身の象徴でもあります。ロレトの連祷において聖母は「ロサ・ミスティカ」(羅 ROSA MYSTICA 神秘の薔薇、奇しき薔薇)と呼ばれています。図像において、原罪を持たない聖母(ロサ・ミスティカ)は棘の無い薔薇で象徴されます。




(上) エミール・ドロプシ作 「ロサ・ミスティカ」 28.8 x 18.8 mm フランス 1930年代 当店の商品です。

 百合は高い香気によって「純潔」をはじめとする徳を表すだけでなく、「神から選ばれた身分」、及び「神の摂理への絶対的な信頼」をも表します。それゆえ百合も聖母を象徴します。中世の聖書解釈によると、「雅歌」二章二節の詩句「おとめたちの中にいるわたしの恋人は、茨の中に咲きいでたゆりの花」において、「ゆりの花」は聖母を象徴しています。





 本品はおよそ百年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。突出部分にも磨滅は認められず、細部までよく残っています。指先に載る小さなサイズであるだけに、メダイユ彫刻家シャルル・ドヴェルニュの腕前は真に驚嘆に値します。

 銀は信心具に使用される最も高級な素材です。特に本品が作られた二十世紀初頭において、本品のような銀無垢メダイは非常に高価な品物であり、洗礼や初聖体などの特別な機会に限って購入されていました。したがって本品も特別な祈りが籠められたメダイであったと思われます。とても大切に保管されてきたせいで、百年の歳月を経ても当時のままの状態で残っています。





本体価格 4,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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