1930年代頃のフランスで制作されたノートル=ダム・ド・ルルド(ルルドの聖母)のブロンズ製メダイ。
33歳で十字架にかかり給うたイエズス・キリストの死と復活、昇天から 1900年めにあたる 1933年から1935年の復活祭までの二年間は「購(あがな)いの聖年」に定められました。聖年の締めくくりである 1935年の復活祭において、教皇のミサはローマではなく、ルルドで行われました。
フランス最大の巡礼地であるルルドは、数多くのメダイを産み出していますが、本品は素晴らしい出来栄えの立派な作品で、聖地ルルドと縁(ゆかり)が深い「購いの聖年」に製作されたものであろうと思われます。浮き彫りは最大
4.3ミリメートルの厚みがあり、あたかも生身の聖母がここにおわすかのような優れた出来栄えです。またメダイの重量は10グラムに近く、手に取ると心地よい重みを感じます。
表(おもて)面には、右腕にロザリオを掛け、胸の前に両手を合わせて目を天に向けたルルドの聖母を浮き彫りにしています。これは1858年3月25日、16回目の出現の際にベルナデットに4度続けて名を問われ、「わたしは無原罪の御宿りです」と答えたときのルルドの聖母の姿です。
背景部分で計測したメダイの厚さが 1.6ミリメートルであるのに対して聖母の浮き彫りは最大 4.3ミリメートルもの厚みがあり、非常に立体的です。また聖母の整った顔立ちや均整のとれたプロポーションも生身の女性のようで、メダイをじっと見つめていると、あたかもルルドの聖母が眼前におられるかのような錯覚さえ覚えます。聖母が眼前におられるようかのに見えるのは、単にメダイの直径が大きいためではなく、厚みのためでもなく、何よりもまず、このメダイを制作した彫刻家が、優れた技量のみに頼らずに、愛情をこめて生み出した芸術作品であるからに違いありません。
聖母の右下(向かって左下)に、メダイ彫刻家カロ (Karo) のサインが刻まれています。私がこれまでに目にしたカロの作品は例外なく素晴らしい出来栄えで、この彫刻家が優れた芸術的才能、職人的技量と合わせて、美しい心を持った人物であったことがわかります。聖母の左下(向かって右下)の
"AP" はフランスのメダイユ工房のモノグラムで、上部の環にもこの工房のマークがあります。メダイの下端には「フランス」(FRANCE)
の文字が読み取れます。
裏面はマサビエルの洞窟における聖母出現の場面です。ヴェールを被り、腕にロザリオを掛けて跪いたベルナデットは、聖母を見上げ、愛と執り成しを求めるように手を差し伸べています。
無原罪の御宿りである聖母は、エヴァの罪を引き継ぐことなく生まれ給いましたが、これは薔薇の花が棘に傷付くことなく咲き出でるのに喩えられます。このメダイにおいても、聖母は裸足ですが、薔薇の繁みに傷付くことなく立っています。聖母の左側(向かって右側)の岩壁に這う蔦(つた)は、神を恃(たの)む信仰を象徴しています。
本品が制作された 1930年代は、ヨーロッパをはじめ全世界が未曾有の世界大戦に突入する前夜です。アドルフ・ヒトラーの野望によって始まった第二次世界大戦は、フランスの国土を戦場と化し、軍人、民間人ともに数えきれない死者と孤児を生み出すことになります。当時のフランスにおいて、いかに多くの大人と子供が、悲母(愛情深い母)ノートル=ダム・ド・ルルドに縋(すが)り、愛と平和、救いを求めたことでしょうか。
本品は 70年以上前に鋳造された真正のアンティーク品ですが、立体的に突出した形状にもかかわらず、摩耗はほとんどと言ってよいほど見られません。稀少な品であり、かつ細部まで当時の状態のままの良好なコンディションでありながら、真正のアンティーク品ならではの趣(おもむき)が備わる美しいひと品です。