パイライトを散りばめたミル打ちの銀枠 《受胎告知とロサ・ミスティカのマリア 至高の愛のペンダント兼ブローチ 47.8 x 36.9 mm》 エマイユ画に作家の署名入り フランス 十九世紀末から二十世紀初頭


可動式の環を除くサイズ 縦 47.8 x 横 36.9 mm  ブローチの針を除く最大の厚さ 8.0 mm  重量 23.3 g



 若きマリアの横顔をエマイユで描き、銀の枠に留めた美しいジュエリー。ペンダントとブローチを兼ねる銀無垢製品で、フランスに華やかな都市文化が栄えたベル・エポック期に、パリで作られたと考えられます。マリアの横顔を囲むベゼルには真正のミル打ちが施され、ローズ・カットを施したパイライト(黄鉄鉱)のメレが並べられています。





 上の写真は本品の裏面で、ペンダント用の環とブローチの針が写っています。ペンダント用の環もブローチ用の針も良好な状態で、実用上の問題は何もありません。ブローチ用の針はスライド式のカバーで先端部が覆われ、着用中のブローチが脱落しないように工夫されています。

 ブローチの裏面最上部、上の写真でいえば左端に、自由に動くペンダント用の環が写っています。環の右に見える小さなくぼみは、フランスの銀細工工房の刻印です。

 針先カバーのすぐ下、上の写真で言えば針先カバーの右側に、テト・ド・サングリエ(仏 la tête de sanglier イノシシの頭)が刻印されています。上の写真に写っていませんが、テト・ド・サングリエは枠の下部にも刻印されています。テト・ド・サングリエは1838年から 1973年までモネ・ド・パリ(仏 la Monnaie de Paris パリ造幣局)で使用された検質印(ホールマーク)で、純度八百パーミル(800/1000 八十パーセント)の銀無垢製品であることを表します。銀無垢製品とは銀めっき製品でなく、銀そのもので作られた製品のことです。八百パーミル(八十パーセント)はフランスで制作されたアンティーク銀製品の標準的な純度です。銀は鉄や銅の二倍近い比重があるので、本品を手に取ると心地よい重みを感じます。

 下の写真の一枚目は本品をペンダントとして使う時の状態、二枚目はブローチとして使うときの状態です。ペンダントとして使うときは、上部に環が出ます。







 聖母の画像は青が多用されがちですが、本品は珍しく赤を基調としています。キリスト教の象徴体系において、青が智恵の色であるのに対し、赤は愛の色です。

 西ヨーロッパの宗教絵画に描かれるマリアの衣やマントの色は、時代によって異なります。マリアには様々な属性がありますが、ゴシック期にはマーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)が支配的なイメージとなりました。この頃の写本挿絵に描かれるマリアは黒や濃い茶色など地味な色の衣をまとっていますが、これは喪の色と考えられます。しかるにその一方で、ステンドグラスやエマイユのマリア像には花紺青(はなこんじょう コバルト青)が使われるようになります。最も有名なのはシャルトル司教座聖堂ノートル=ダムの「美しきステンドグラスの聖母」でしょう。

 ルネサンス期に入ると、絵画に描かれるマリアも青い衣をまとうようになります。聖母の衣において青は単独で使われることもあれば、高貴な色である赤と組み合わせられることもありました。さらに青のマントと白の衣の組み合わせも多くなりましたが、これはポルトガルの聖女ベアトリス・ダ・シルヴァ (Beatrix da Silva, 1424 - 1492) の幻視において、聖母が身に着けていたマントと衣の色です。聖母の出現を受けて修道会創設を決意した聖ベアトリスは、1484年、トレドで無原罪の御宿り修道会(西 La Orden de la Inmaculada Concepción, ORDO IMMACULATAE CONCEPTIONIS, OIC)という女子修道会を設立しています。





 十九世紀になるとフランスを中心に聖母の出現が相次ぎます。1858年にルルドに出現した聖母は「我は汚れなき宿りなり」と名乗りましたが、これは 1854年にローマ司教が宣言した無原罪の御宿りの教義を裏書きする言葉ととらえられました。宗教界のこのような動向を反映して、マリアが身にまとう衣は汚れなき白に描かれることが多くなりました。このように美術史をたどると、マリアの衣の色は固定されず、時代によって変化してきたことがわかります。


 スペイン語のコロラド(西 colorado)は「赤い」という意味ですが、この語は「着色されている」というのが原意です。赤を色の代表と扱うコロラドが端的に示すように、古来西洋において、赤は最も美しい色とされてきました。本品のエマイユは赤を基調とし、マリアは美しい赤のマントを身に着けています。胎(たい エマイユの下地となる金属)の表面は金か銀の箔と思われ、多数の不規則な皺があります。赤色半透明ガラスを通して胎が乱反射する光は、燃え立つ愛の火のように見えます。

 愛の火で思い出されるのは、カルメル会の聖人である十字架の聖ヨハネ(San Juan de la Cruz, 1542 - 1591)の詩、「愛の活ける炎」("Llama de amor viva") です。十字架の聖ヨハネはこの詩の講解を求められて、1582年から1586年の間に本を書いています。「愛の活ける炎」の内容を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。原テキストは美しい韻文ですが、筆者の和訳はスペイン語の意味を正確に日本語に移すことを主眼としたため、韻文になっていません。極力逐語的に訳しましたが、不自然な訳文にしないために、句の順番が原文通りでない部分がいくつかあります。なお第四連の "morar" は、カスティリア語の "quedar(se)", "permanecer"(とどまる)の意味です。


    Canciones del alma en la íntima comunicación,
de unión de amor de Dios.
神の愛の結びつきについて、
神との親しき対話のうちに、魂が歌った歌
     
    ¡Oh llama de amor viva,
que tiernamente hieres
de mi alma en el más profundo centro!
Pues ya no eres esquiva,
acaba ya, si quieres;
¡rompe la tela de este dulce encuentro!
愛の活ける炎よ。
わが魂の最も深き内奥で
優しく傷を負わせる御身よ。
いまや御身は近しき方となり給うたゆえ、
どうか御業を為してください。
この甘き出会いを妨げる柵を壊してください。
         
    ¡Oh cauterio suave!
¡Oh regalada llaga!
¡Oh mano blanda! ¡Oh toque delicado,
que a vida eterna sabe,
y toda deuda paga!
Matando. Muerte en vida la has trocado.
  やさしき焼き鏝(ごて)よ。
快き傷よ。
柔らかき手よ。かすかに触れる手よ。
永遠の生命を知り給い、
すべての負債を払い給う御方よ。
死を滅ぼし、死を生に換え給うた御方よ。
         
    ¡Oh lámparas de fuego,
en cuyos resplandores
las profundas cavernas del sentido,
que estaba oscuro y ciego,
con extraños primores
calor y luz dan junto a su Querido!
  火の燃えるランプよ。
暗く盲目であった感覚の
数々の深き洞(ほら)は、
ランプの輝きのうちに、愛する御方へと、
妙なるまでに美しく、
熱と光を放つのだ。
         
    ¡Cuán manso y amoroso
recuerdas en mi seno,
donde secretamente solo moras
y en tu aspirar sabroso,
de bien y gloria lleno,
cuán delicadamente me enamoras!
  御身はいかに穏やかで愛に満ちて、
わが胸のうちに目覚め給うことか。
御身はひとり密かにわが胸に住み給う。
善と栄光に満ち給う御身へと
甘美に憧れる心に住み給う。
いかに優しく、御身は我に愛を抱かせ給うことか。






 キリスト教の枢要徳は信仰と希望と愛ですが、この中で最も重要なのは愛です。赤はキリストが十字架上に流し給うた血の色であり、人に対する神の愛を象徴します。それと同時に赤は殉教者の血の色でもあり、神に対する人の愛を象徴します。あたかも炎が燃え移るように、神の愛は人の心に燃え移って、神と隣人への愛を燃え上がらせます。血の色と火の色は赤においてひとつになります。三位一体の第三位格、聖霊なる神は何よりも愛を表すので、赤は聖霊の色でもあります。

 聖母のマントは喪服を思わせる暗めの色に描かれる場合も多いですが、本品のマントは喪服には見えません。マリアの年齢は若く、その表情には喜びが溢れています。それゆえ本品のエマイユ画は、聖霊によって身ごもった受胎告知のマリアを描いていることがわかります。

 マリアが被る赤いマントの輝きは、胎が奥深くから光を反射するさまが宝石に似ています。ルビーやガーネットのように赤い宝石を、ローマ人はカルブンクルス(羅 CARBUNCULUS 小さな炭火)と呼びました。カルブンクルスのように美しい本品の輝きは、マリアを花嫁すなわち救い主の母に選び給うた神の愛の可視化であるとともに、聖霊によってマリアの心にともされた神への愛をも表します。神からの愛と神への愛を重層的に象(かたど)った赤色エマイユの本品は、至高の愛のペンダント、至高の愛のブローチということができます。


 さらに赤は薔薇の色です。弱冠三十六歳でローマ司教(教皇)となったインノケンティウス三世(Innocentius III, 1160 - 1198 - 1216)は、「祭壇の聖なる秘蹟について」("De sacro altaris mysterio") 第1巻64章「日々が有する特性に従って祭服が区別される基となるべき四つの主要な色について」("De quatuor coloribus principalibus, quibus secundum priprietates dierum vestes sunt distinguendae")で、典礼色の由来について書いています。関連個所のテキストを下に引用いたします。日本語訳は筆者(広川)によります。意味を取り易くするために補った語は、ブラケット [ ] で囲みました。


    Quatuor autem sunt pricipales colores, quibus secundum priprietates dierum sacras vestes Ecclesia Romana distinguit, Albus, Rubeus, niger & viridis.    ところで、ローマ教会は日々が有する特性に従って祭服を区別しているのであるが、かかる区別は四つの主要な色、すなわち白、赤、黒、緑による。
        (中略)
    ... Albis induitur vestimentis in festivitatibus Confessorum et Virginum. Rubeis in solennitatibus Apostolorum et Martyrum. Hinc sponsa dicit in Canticis, Dilectus meus candidus et rubicundus, electus ex millibus. Candidus in Confessoribus et Virginibus, rubicundus in Martyribus et Apostolis. Hi et illi sunt flores rosarum et lilia conuallium. Albis indumentis igitur utendum est in festivitatibus Confessorum et Virginum, propter integritatem et innocentiam.    白い衣は、証聖者たち及びおとめたちの祝いに着用され、赤い衣は使徒たち及び殉教者たちの祭儀に着用される(註3)。このことゆえに、さまざまな賛歌において、[神の]花嫁[である教会]は、「多くの人々の中から選ばれた『白い』至福者、『赤い』至福者(註4)」と言っているのである。[神に愛される聖人は、]証聖者たち、おとめたちに含まれるならば白く、殉教者たち、使徒たちに含まれるならば赤い。後者は薔薇の花、前者は百合の花である。したがって証聖者たち及びおとめたちの祝いには、その純潔と無垢のゆえに、白い祭服を使うべきである。
        (中略)
    ... Rubeis autrem utendum est indumentis in solennitatibus Apostolorum et Martyrum, propter sanguinem passionis, quem pro Christo funderunt.    しかるに使徒たち及び殉教者たちの祭儀には、彼らがキリストのために流す受難の血ゆえに、赤い祭服を使用するべきである。
        (中略)
    ... Nigris autem indumentis utendum est in die afflictionis et abstinentiae, pro peccatis et pro defunctis.    さらに悲しみと禁欲の日、罪[の悔悟]のため、また死者[の追悼]のためには、黒い祭服を使用すべきである。
        (中略)
    ... Restat ergo, quod in diebus ferialibus et communibus, viridibus sit indumentis utendum. Quia viridis color medius est inter albedinem et nigredinem et ruborem. Hic color exprimitur, ubi dicitur. Cypri cum Nardo, et Nardus cum Croco.    最後に、週日及び通常の主日には緑の祭服を使用すべきである。緑は白、黒、赤の中間にある色だからである。それゆえ「ナルドのあるキュプルスの園。ナルドとクロクム」と言われている箇所では、色が表されているのである。(註5)
        (中略)
    Ad hos quatuor caeteri referuntur. Ad rubeum colorem coccineus, ad nigrum violaceus, ad viridem croceus. Quamvis nonnulli rosas ad Martyres, Crocum ad confessores, Lilium ad virgines referant.    他のさまざまな色彩は、これら四つに還元される。コッキネウス(クリムゾン 註6)は赤に、スミレ色は黒に、クロクムの色(サフラン色 註7)は緑に、[還元される]。多数の人たちが薔薇を殉教者に、クロクムを証聖者に、百合をおとめに関連付けるとしても、[それは正当である。]


 ロレトの連祷において、無原罪の聖母はの無いロサ・ミスティカ(羅 ROSA MYSTICA 神秘の薔薇)に譬えられます。それゆえ赤色エマイユによる本品のマリアは、棘を持たない美しい薔薇、ロサ・ミスティカを描くことにより、聖母の無原罪性をも可視化しています。





 本品のエマイユは、エマイユ・パン(仏 l'émail peint エマイユ画)という技法で制作されています。通常の焼き物であれば偶然の結果を楽しむこともできますが、意図する絵柄、とりわけ人の顔のように僅かな瑕疵が目立つ絵柄を焼くときは、不確定要素を極力排除する必要があります。焼成を最も厳格に管理しなければいけないのは、エマイユ・パンです。エマイユ・パンは融点が僅かずつ異なる多色のフリット(仏 fritte ガラス粉末)を用います。エマイユ・シャンルヴェやエマイユ・クロワゾネであれば異なる色の間に隔壁があるので、隣り合うフリットが同時に融解しても色が混じり合う心配はありません。ところがエマイユ・パンの場合は融点が高いフリットから順に使用し、次の色の焼成時には炉内の温度をわずかに低く抑え、その次の色ではさらに低温で焼成する、というように、極めて厳格な温度管理をしなければなりません。

 現代であれば炉内の温度をコンピュータで制御出来るでしょうが、本品が制作された十九世紀末から二十世紀は、熟練職人の勘によって焼成が行われていました。それゆえ一か所の破綻もなくマリアの横顔をエマイユ画とした本品は、極めて高度な職人技によって制作されていることがわかります。





 エマイユのマリアを囲む枠は銀製で、ローズ・カットを施したパイライト(黄鉄鉱)のメレが並んでいます。パイライトは本品のわずかな傾きに合わせて瞬くように煌(きら)めきます。ファセット・カットを施したパイライトを、アンティーク・ジュエリーの世界ではマーカサイトあるいはマルカジットと呼んでいます。いわゆるマーカサイト・ジュエリーが最も流行したのは十九世紀であるゆえに、それらのジュエリーに嵌め込まれるパイライトのカットは、上面に平坦な面を持たないローズ・カットです。本品のパイライトもやはりローズ・カットで、たいへんクラシカルな趣きです。

 銀製ベゼルの内縁と外縁に真正のミル打ちが施されています。ミル打ちはたいへん手間がかかるので、近年のジュエリーに用いられることはめったにありません。アンティーク品に関しても、真正のミル打ちが施されるのはファイン・ジュエリーにほぼ限られ、メダイ(信心具)等の普及品ではミル打ちを模して並ぶ小点を鋳造や打刻の型に刻んで、ミル打ちの代用とするのが普通です。しかしながら本品には非常な手間をかけて真正のミル打ちが施されており、繊細なエマイユ・パンとともに丁寧な作りに驚かされます。





 エマイユ画の一か所にガメ(GAMET)のサインがあります。このサインはエッチングによります。本品はエマイユの表面に数か所のひっかききずあり、材質がガラスであるために磨き落とすことができません。しかしながらペンダントまたはブローチとして使用する際の美しさに、この瑕(きず)は影響しません。







 本品の重量は 23.3グラムで、百円硬貨五枚分弱に相当します。ペンダントとして使用する場合、上の写真でモデルが使用するチェーンと合わせると百円硬貨六枚分強の重量となり、少し重く感じる方もあるかもしれません。エマイユ・パン(エマイユ画)はくすんだ色で透明感に欠ける作品が多いですが、本品は赤い宝石のように輝くマントが大きな面積を占めており、さらには背景にも半透明の艶があって、落ち着いた雰囲気の中にも煌めく華やぎを有します。

 エマイユの表面には数か所の瑕(きず)があります。商品写真はこの瑕を敢えて目立たせるように撮っていますが、実物の瑕は着用中に鏡を見ても、人から見ても、あまり気にならないと思います。パイライトに脱落はなく、本品が揺らめくたびに多数のシンチレーション(チカチカとした煌めき)を放ちます。数あるアンティーク・エマイユ・パンのなかでも、本品はとりわけ透明感に溢れた作例です。





本体価格 58,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。



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