「罪無くして宿り給えるマリアよ、御身に頼るわれらのために祈り給え」 近代主義と戦う無原罪の御宿り 100日間の贖宥 (ラマルシュ 図版123)

VIRGO POTENS, Sainte Vierge du rue de Bac, Lamarche, pl. 123



115 x 75 mm

フランス  1886年頃



1885年12月19日、教皇レオ13世が教皇答書を出した際に製作されたフランスのカニヴェ。「ウィルゴー・ポテーンス」(VIRGO POTENS)、すなわち力ある童貞マリアを描いています。


カニヴェの表(おもて)面には、聖母の全身像をインタリオ(intaglio 凹版)で描きます。

地上界を象徴する球体に乗る無原罪の御宿り、すなわち聖母マリアは、グロブス・クルーキゲル(世界球)を胸の前に持ち、眼差しを天に向けて祈っています。





聖母は12個の星でできた冠を被っていますが、これは下に示す聖句に基づきます。

Et signum magnum apparuit in caelo: mulier amicta sole, et luna sub pedibus eius, et super caput eius corona stellarum duodecim. ("Apocalypsis Ioannis", XII: I)

「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」(「ヨハネの黙示録」 12:1 新共同訳)


12の星のデザインは、不思議のメダイとも共通しており、十二使徒すなわちキリスト教会の象徴であると考えられます。


聖母はまた足下に蛇を踏みつけていますが、これは下に示す聖句に基づきます。

Inimicitias ponam inter te et mulierem et semen tuum et semen illius. Ipsum conteret caput tuum et tu insidiaberis calcaneo eius. ("Genesis", III 15)

 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に / わたしは敵意を置く。 / 彼はお前の頭を砕き、/ お前は彼のかかとを砕く。(「創世記」 3:15 新共同訳)

これは人祖アダムの妻エヴァを誘惑した蛇に向かって神が語った言葉で、

蛇の支配を受けない女、すなわちその身に罪を帯びない聖母マリアと、聖母から生まれるキリストに関する預言であるとされます。





聖母が持つ十字架付の「世界球」(GLOBUS CRUCIGER グロブス・クルーキゲル)は天地の支配権の象徴であり、

これを胸の前に持つ聖母の図像は「力ある童貞(処女)」、

ラテン語では「ウィルゴー・ポテーンス」(VIRGO POTENS)、フランス語では「ヴィエルジュ・ピュイサント」(la Vierge puissante) の名前で知られています。

「力ある童貞」はマリアが有する伝統的な称号のひとつで、ロレトの連祷にも現れます。


グロブス・クルーキゲルを持つ聖母の両手には多数の指輪がはめられて、そのひとつひとつから降り注ぐ恩寵の光が地上を照らしています。

実はこれは 1830年、パリ、バック通の愛徳姉妹会において、カトリーヌ・ラブレに出現した聖母の姿です。


不思議のメダイに表された聖母は両腕を斜め下に伸ばしていますが、これは無原罪の御宿りの伝統的図像からの逸脱を嫌う教会の意向が働いた結果であって、

カトリーヌが実際に幻視した聖母は両手を広げず、グロブス・クルーキゲル(世界球)を両手で包み込むように胸の前に持っていました。





上の写真において定規のひと目盛は 1ミリメートルで、実物の面積を 170倍に拡大しています。

聖母の肌と後光を除く全面に引かれた等間隔の細い直線、及び聖母の足下の球体はグラヴュール(エングレーヴィング)で、それ以外の部分はオー・フォルト(エッチング)で製作されています。

グラヴュール及びオー・フォルトの線は1ミリメートルあたり4本前後、スティプル(点描)の密度は、1平方ミリメートルあたり10個から20個を数えることができます。


カニヴェは画面が小さく、至近距離で鑑賞される聖画であるために、カニヴェの版画はいずれの技法による場合でも非常に細密です。

本品も例外ではなく、グラヴュール(エングレーヴィング)に引けを取らないオー・フォルト(エッチング)の繊細さには、目を見張らせるものがあります。


さらに拡大します。聖母の顔の造作は、3ミリメートル四方の範囲に概ね収まります。





聖母の目と口の幅はいずれも1ミリメートルですが、あたかも生身の女性を撮影した白黒写真のように、精緻かつ美しい濃淡で立体的に表されています。

スティプルのインク穴の深さと密度を正確にコントロールすることにより、写真並みに自然な濃淡が実現されています。


カニヴェ表(おもて)面の最上部にはラテン語で「ウィルゴー・ポテーンス」(VIRGO POTENS 力ある童貞マリア)と書かれ、

そのすぐ下にフランス語、聖画を挟んでスペイン語とイタリア語で、「罪無きマリアよ、われらのために祈り給え」という執り成しを求める言葉が記されています。

Oh! Marie Immaculee, priez pour nous.  (フランス語)

OH MARIA INMACULADA, rogad por nos.  (スペイン語)

O Maria immacolata, pregate per noi.  (イタリア語)


金色の枠のすぐ下に "PL 123" と書かれているのは、「図版番号123」(planche 123) の意味です。





本品を縁取るレース状の切り紙細工は、百合と茨を象(かたど)っています。


百合は聖母の象徴ですが、これは旧約聖書に収録されている愛の歌「雅歌」2:2に見られる次の聖句に基づきます。

Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. ("Canticum canticorum" 2: 2)

おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 (「雅歌」 2:2)


茨は言うまでも無くキリスト受難の象徴ですが、上に引用した雅歌の聖句にある「百合の花を取り囲む茨」をも重層的に表しています。





裏面の最上部には、聖母に執り成しを求める祈りが、フランス語で次のように記されています。この祈りは「不思議のメダイ」に書かれているものと同じです。

O Marie concue sans peche, priez pour nous qui avons recours a vous.  罪無くして宿り給えるマリアよ、御身に頼るわれらのために祈り給え。


その下には教皇レオ13世 (Leo XIII, 1810 - 1878 - 1903) による聖母への祈りが書かれています。言語はフランス語で、内容は次の通りです。


 Vierge puissante, qui seule dans le monde entier avez porte le coup mortel a toutes les helesies, delivrez l'univers chretien enlace dans les filets du demon;  力ある童貞マリア、この世で唯一、あらゆる異端を滅ぼし給いし御身よ。悪魔の網に絡め取られたるキリスト教世界を解放し給え。
abaissez vos regards sur les ames seduites par les ruses de satan, afin que, rejetant tout venin de l'heresie, les coeurs egares viennent a resipiscence et rentrent dans l'unite de la verite catholique,
サタンの策略により誘惑を受くる人々に目を留め給いて、惑わされたる魂が異端の害毒を退け、悔悛し、カトリックの真理のうちに再び入りてひとつとなるべく計らい給え。
grace a votre intercession pres de Notre-Seigneur Jesus-Christ qui vit et regne dans les siecles des siecles. Ainsi soit-il.
世世に生きて統べ給うわれらの主イエズス・キリストの傍(かたわ)らにて、御身が為し給う執り成しによりてこそ、そは可能なれば。アーメン。
.

100 jours d'indulgences

(Rescrit de Notre Tres Saint Pere le Pape Leon XIII. 19 decembre 1885.)
100日間の贖宥

(1885年12月19日、教皇レオ13世の教皇答書)



カニヴェに取り上げられるテーマと図像表現、裏面に書かれる祈りの内容は、多くの場合、そのカニヴェが製作された時代ならではのものです。

本品に描かれた「ウィルゴー・ポテーンス」の図像と、裏面に記された教皇答書の内容も、

カトリック教会の伝統的価値観が近代思想によって脅かされた19世紀の精神状況、社会状況を色濃く反映しています。


レオ13世の前任者であるピウス9世は 1864年12月8日に回勅「クアンタ・クーラ」("QUANTA CURA") を出しています。

「クアンタ・クーラ」には「誤謬表」(SYLLABUS ERRORUM) が含まれており、

この「誤謬表」は自然主義、合理主義、汎神論、高等批評、社会主義、共産主義、信教の自由など、あらゆる近代思想を批判し、「異端」として断罪するものでした。

近代思想に対してカトリック教会が感じてきた脅威が、この「誤謬表」には良く現れています。

また当時は帝国主義の時代であり、各地で戦争が行われていました。

カトリック教会はこれら近代主義や戦争に対抗するため、ノートル=ダム・ド・フランスノートル=ダム・ド・ラ・ガルドをはじめとする巨大な聖母像を、フランス各地に建設します。

それらはヨハネの黙示録 12章において竜、すなわち教会の敵である悪魔を打ち負かす力強い聖母の姿でした。


このような時代背景に照らして見るとき、ピウス9世の後継者として近代主義と戦う教皇レオ13世が教皇答書を出した際に製作されたカニヴェの聖画として、

「ウィルゴー・ポテーンス」、力ある童貞マリア以上に適したテーマは無いことがわかります。


レオ13世は前任者ピウス9世に比べて格段と進歩的な教皇であるとされています。

しかし教皇に限らずどのような人物を評価する際にも、一枚のラベルで「こういう人である」と説明し尽くすことは決してできません。

なぜならば、ラベルに書かれる言葉は、誰もが共通して使う言葉である限り、普遍的な意味しか表し得ません。

しかるにひとりひとりの生身の人間は「普遍」(ゲネラーリス、ゲネラーリア)ではなく、「特殊」(パルティクラーリス、パルティクラーリア)であり、

本来普遍的な事物のみを表す「言葉」を使って、個々の「特殊」の有りようを完全に表現し尽くすことは、原理的に、絶対に不可能であるからです。


スコラ哲学では、「特殊」である個物、すなわち個々の人なり物なりを知解する(INTELLIGERE 知性で理解する)ことはできないと考えます。その理由は次の通りです。


すなわち、言葉が表すのは個々の「特殊」から抽出された共通の性質、抽象的な「普遍」のみです。

しかるに個々の人なり物なりが有する性質、その個物に固有の性質は、数々の「普遍」が部品として単に組み合わさったものではなく、質的一体性を有するものであって、それ自体が「特殊」です。

したがって、個々の具体的な「特殊」に固有の性質を、そのあるがままに言葉で表現することは、決してできません。

「普遍」のみを指し示すというのが、言葉の本性であるからです。


少し哲学的な議論になりましたが、要するに私が言いたいのは、「進歩的な教皇」というような言葉をキーワードにして、レオ13世の思想的立場の全体を理解することはできない、ということです。

「進歩的な教皇」とされるレオ13世といえども、ピウス9世と同様に、カトリック教会の首長として近代主義と戦う立場にありました。

「ウィルゴー・ポテーンス」を描いた表(おもて)面の聖画、レオ13世による裏面の祈り、このいずれの点においても、このカニヴェはまさに19世紀後半にしか製作され得なかった聖品なのです。


最下部にはこのカニヴェの図版番号 (123) があり、版元名と所在地が次のように書かれています。

Lamarche, editeur, rue des Grands-Augustins, 1, Paris  ラマルシュ社 パリ、グラン・ザギュスタン通 1番地



本品は130年近く前に製作されたものですが、特筆すべきコンディション上の問題は見当たりません。数箇所に薄いしみがある程度で、ほぼ完璧な保存状態といえます。

精緻なアンティーク銅版画による「力ある童貞」像の美しさが本品の最大の魅力ですが、

美術品としての価値と並んで、19世紀後半当時フランスのカトリック教会を取り巻いていた状況を鏡のように映し出す歴史的資料としても、たいへん貴重な作品です。



カニヴェの価格 19,500円

電話 (078-391-7323) またはメールにてご注文くださいませ。別料金にて額装をご注文いただくことも可能です。



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