フランソワ=マリ・フィルマン=ジラール作 「代母の庭」 1875年のサロン出展作 丁寧な仕上げのフォトグラヴュールによる名品
Le jardin de la Marraine / The God-mother's Garden
原画の作者 フィルマン=ジラール(François-Marie Firman-Girard, 1838 - 1921)
画面サイズ 縦 264 mm 横 175 mm
フランスの画家フランソワ=マリ・フィルマン=ジラール(François-Marie Firman-Girard, 1838 - 1921)が
1875年のパリ・サロン展に出品した「ル・ジャルダン・ド・ラ・マレーヌ」(仏 Le jardin de la Marraine 「代母の庭」)を、フォトグラヴュールとして複製したアンティーク版画。
グピル社(Goupil & Cie)は十九世紀フランスの美術商として最大の規模を誇った美術関連会社で、フォトグラヴュールをはじめとする版画の工房「アトリエ・フォトグラフィーク」(Ateliers
Photographiques) をパリ近郊に有し、パリ本店のほか、1840年にロンドン、1848年にニューヨークに支店を開設し、やがてベルリン、ウィーン、ハーグ、ブリュッセルにも進出しました。本品のフォトグラヴュールは、グピル社によります。
本品のパブリシャーは、フィラデルフィア(ペンシルヴェニア州)のゲビー社(Gebbie & Co, Philadelphia)です。この版画は
1883年に同社が刊行した画集「フランス美術の名作」("The Masterpieces of French Art")に収められた作品です。
「代母」(仏 marraine マレーヌ)とは子供の洗礼に立ち会う名付け親のことです。子供の洗礼には子供の両親と司祭のほかに代父(仏 parrain パラン)、代母(仏
marraine マレーヌ)が立ち会います。代父、代母は子供に名前をつけ、子供の出生と洗礼を記憶する役割を果たす人たちです。さらに子供の両親に万一の事故があった場合には両親に代わって子供を養育し、また精神的な支えになる人でもあります。このような役割からして、子供の代父、代母になるのは子供の両親よりも若い世代の友人が選ばれるのが普通です。
この作品において、フィルマン=ジラールは代母を訪ねてきた若い母親と幼い女の子を描いています。年下の友人を訪れた若い母は、幼い娘の手を引いて友人宅の庭に出て、友人が秋の花を摘む様子を微笑みつつ見守っています。友人が摘んでいるのはマルグリット(マーガレット)の花々です。「マルグリット」はラテン語で「真珠」のことです。庭に咲いた秋の真珠、マルグリットの花束は、真っ白なドレスを着た幼い少女にプレゼントされるのでしょう。古来、真珠は「この上なく大切なもの」を象徴します。若き母にとっても、代母となった女性にとっても、幼い少女は何よりも大切な真珠なのです。
若い母は小さな女の子の柔らかく温かい手を握り、その視線は娘のために花を摘んでくれている年若い親友の優しい手もとに注がれています。わが子の手をひく彼女の表情は母親らしい慈愛に溢れています。小さな女の子はさっそく自分で摘んだ花を手にして、あどけない視線で母を見上げています。子供らしい魅力に溢れる少女の何と愛らしいことでしょう。
絵の詩情をさらに高めているのは、代母である女性の若く美しい横顔です。彼女のドレスは落ち着いた色調のベルベットで、白やピンクの菊の花と鮮やかな対照をなしています。菊の花、背景の木々、小道の落葉・・・少し色づき始めた木々の葉と、女の子のドレスについた毛皮の房飾りを、優しい秋風がくすぐっています。葉と葉が触れ合うサワサワという音さえ聞こえてきます。
モノクロームの版画であることを忘れさせるような空間と色彩と音。少しひんやりとした空気。頬をくすぐる秋風。言葉を交わさなくても三人の女性の間に感じられる深い信頼と愛情。私はこれほど情感溢れる絵を見たことはありません。美術史上のどの名画にも劣らない美しい絵です。
《本品の版画技法について》
本品はパリのグピル社(Goupil & Cie)が制作したフォトグラヴュール(仏 photogravure)です。
フランス語「フォトグラヴュール」、英語「フォトグラヴュア」は、わが国でいう「グラビア」(フォトグラビア)と同じ言葉です。しかしながら「グラビア」が実際には輪転機による産業的オフセット印刷であるのに対し、アンティーク・フォトグラヴュア(古典的フォトグラヴュール)は手作業で製版を行う平版であり、両者はまったく異なります。本品はフォトグラヴュールの長所を最大限に活かしつつ、この技法の弱点を版画家の手作業で補って、版画作品としての完成度を最高度に高めています。
フォトグラヴュールの長所が本品でどのように活かされているか、見てみましょう。
・フォトグラヴュールの第一の長所 ― 細密性
フォトグラヴュールの第一の長所は、きめの細かさです。
上の写真は現代のグラビア印刷を拡大して撮影したものです。写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。美術画集等を肉眼で見ると十分に美しく見えますが、現代のグラビア印刷は網点で構成されており、強力なルーペで拡大するとこのように見えます。
上の写真は本品の一部を拡大して撮影したものです。写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。写っている面積は、グラビア印刷の拡大写真と同じです。古典的フォトグラヴュールにはもともと網点が存在せず、画像のテクスチャは無段階の滑らかさで再現されます。長いまつげが愛らしい目元や、母に何かを話しかけようとする口元が、一ミリメートルほどの極小サイズにもかかわらず、フィルマン=ジラールの筆遣いのままに、版画に写し取られています。
・フォトグラヴュールの第二の長所 ― 明暗の再現性
フォトグラヴュールの第二の長所は、非常に明るい部分及び非常に暗い部分が正確に再現できることです。
フォトグラヴュールは金属の平版を用いる版画技法で、写真の原理を応用したものですが、明度を無段階に表現する再現性は、写真よりもはるかに優れています。技術的に未発達であった十九世紀の写真は言うに及ばず、デジタルカメラによる現代の写真においても、極端に明るい部分や暗い部分は写真でうまく再現できません。明るい部分は真っ白に色が飛び、暗い部分は真っ黒に潰れてしまいます。これに対してフォトグラヴュールは明暗の階調を、肉眼で見えるとおりに、無段階的に正確に再現します。
・フォトグラヴュールの弱点を補う工夫 ― 他の技法を併用した版の仕上げ
以上で見たように、フォトグラヴュールは極めて優れた版画技法であり、描写の細密さ、及び明暗の再現の正確において並ぶものがありません。唯一の弱点は、色相の区別です。フォトグラヴュールは単色の版画であるゆえに、色相の違いを表現できません。分かりやすい事例を引けば、隣り合う二色の明度が同じであれば、色相が全く異なっていても、色の境界を判別できないのです。
それゆえフォトグラヴュールは、写真の原理による版画ではあっても、写真のように機械的に制作することはできず、エングレーヴィングやエッチング、メゾティント等の技法を部分的に混用し、手作業による大幅な修正を版に加えて、単色版画ゆえの弱点を補う必要があります。
上の写真本品に描かれた母親の頭部を拡大しています。版画を肉眼で見ても気づきませんが、ここまで大きく拡大すると、耳に近い髪の生え際、及び後頭部のあたりに、メゾティント用ロッカーで手が加えられていることがわかります。
上の写真は友人を描いた部分です。やはり暗部にロッカーを適用した跡があることに気づきます。これで分かるように、フォトグラヴュールは写真の原理を応用した技法とはいえ、製版に非常な手間がかかります。フォトグラヴュールの制作にかかる労力は、他の版画技法とかわりません。
《フィルマン・ジラールについて》
フランソワ=マリ・フィルマン=ジラール(François-Marie Firman-Girard, 1838 - 1921)は、スイスに近いフランス東部の村ポンサン(Poncin オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アン県)に生まれた画家です。1838年生まれのフランソワ=マリ少年は、早くも
1854年にパリの国立高等美術学校(École nationale supérieure des beaux-arts de Paris, ENSBA)に入学し、シャルル・グレール(Charles
Gleyre, 1806 - 1874)及びジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824 - 1904)に師事しました。1859年からは「サロン・ド・パリ」(Salon
de Paris フランス美術アカデミーの審査に通った作品の展覧会)及びサロン・ド・パリを引き継いだ「サロン・デ・ザルティスト・フランセ」(Salon
des artistes français)に出品を続け、多数のメダルを獲得しています。1861年にはローマ賞で二等を得て、ジェロームと同じクリシー通り(le
Boulevard de Clichy)にアトリエを構えています。
フィルマン=ジラールは多才な画家で、歴史画、宗教画、風俗画のいずれにも秀でています。その作品は常に美しい光に溢れており、従来の写実主義を超えて印象派の作品に近づいています。
フィルマン・ジラールは1863年にレジオンドヌール勲章三等、1874年にレジオンドヌール勲章二等を贈られています。また1880年にはレジオンドヌール・シュヴァリエ章を受賞しました。
《額装について》
版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。下の写真は額装例で、外寸
40 x 31センチメートルの木製額に、緑色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装の価格は 24,800円です。
額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは赤や青、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。
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