















芸術の力と歴史性 《天地を繋ぐ世界軸 ルルドの無原罪の御宿り 31.0 x 19.0 mm》 心を動かす摩滅と美しい古色のメダイ フランス 1876
- 1880年代
重量 5.6 g
突出部分を含むサイズ 縦 31.0 x 横 19.0 mm 最大の厚み 3 mm


| hic canit errantem Lunam, Solisque labores, | ここで[イオパスは]さまよう月を歌い、太陽の働きを歌う。 | |||
| Arcturumque, pluviasque hyadas geminosque triones | またアークトゥルス、雨、[雨を降らせる]おうし座のヒュアデス(希 Ὑάδες 七つ星)、ふたご座、おおぐま座とこぐま座を歌う。 |








| Doch wollen wir diesen Aspekt des Problems zunächst beiseite lassen und uns auf den Vergleich der beiden in Frage stehenden Erfahrungen - der Erfahrung des heiligen Raums und der Erfahrung des profanen Raums - beschränken. | しかしながら[議論を]始めるにあたり、問題のこの側面は脇に除けておき、いま問われている二つの経験 ― すなわち聖なる空間の経験と、俗なる空間の経験 ― を比較することだけを考えよう。 | |||
| Wir erinnern uns: die Offenbarung eines heiligen Raums gibt dem Menschen einen >festen Punkt< und damit die Möglichkeit, sich in der chaotischen Homogenität zu orientieren, >die Welt zu gründen< und wirklich zu leben. | ここで思い起こされるのは、次のことである。すなわちひとつの聖なる空間が啓示されれば、人間は[これによって]ひとつの「固定点」を得る。そしてその固定点を使えば、人間は無秩序な均質性のうちにありながらも自身を方向づけ、「世界を基礎づけ」、真に生きる可能性を得る。 | |||
| Die profane Erfahrung dagegen bleibt bei der Homogenität und folglich der Relativität des Raums. | これに対して、俗なる経験は均質性に留まり、その結果として、空間の相対性に留まることになる。 | |||
| Eine wahre Orientierung ist unmöglich, denn der >feste Punkt< ist nicht mehr eindeutig ontologisch bestimmt; er erscheint und verschwindet je nach den Erfordernissen des Tages. | [俗なる人間にとって、]真の方向づけは不可能である。なぜならば[俗なる人間の経験においては]「固定点」がもはやはっきりと存在論的に決定されないからである。その日の必要に応じて、固定点が現れたり消えたりするのだ。 | |||
| Es gibt, also eigentlich keine >Welt< mehr, sondern nur noch Fragmente eines zerbrochenen Universums, eine amorphe Masse unendlich vieler mehr oder weniger neutraler >Orte<, an denen der Mensch sich bewegt, getrieben von den Verpflichtungen des Lebens in einer industriellen Gesellschaft. | それゆえ、本来的に言えば、[俗なる人間にとって]もはや「世界」は存在せず、ただ壊れたウニヴェルズムのかけらが残るのみである。ウニヴェルズムのかけらは不定形の塊で、無限に多くの数の、多少なりとも中性的な場所から成っている。産業社会の生活によって生じる様々な義務に急き立てられて、人はそこを動くのである。 | |||
| Mircea Eliade, „Das Heilige nd das Profane - Vom Wesen des Religiösen“, Rowohlts Deutsche Enzyklopädie, Nr. 31, Hamburg, 1957, Kapitel I, Der heilige Raum und die Sakralisierung der Welt (Homogenität des Raums und Hierophanie) | ミルチャ・エリアーデ「聖なるものと俗なるもの ― 宗教的なるものの本質について」 第一章「聖なる空間と世界の聖化」 《空間の均質性と聖なるものの顕現》 |

宗教的人間が経験する聖なる空間と、世俗的人間(宗教心が希薄な人間)が経験する俗なる空間は、性質が全く異なります。上の引用個所では本来の主題である前者よりも、むしろ後者に多くの言が費やされていますが、我々が日ごろ無自覚に経験している「俗なる空間」の特性を分析することで、「聖なる空間」の特性が逆照射されて浮かび上がります。
宗教的人間にとって、聖なる空間は固定点(独 ein feste Punkt)です。固定点は世界軸と同じもので、聖なる世界に向けて開いた窓に譬えることができます。無秩序で均質であった世俗的空間は、固定点を得ることによって基礎付けられ、意味を獲得します。
人が生きる世界は、固定点において、至高の存在と関連付けられます。エリアーデはこれを世界の聖化(独 die Sakralisierung der Welt)と呼んでいます。聖化された世界に生きる人は、日々の生活と人生において進むべき方向を示されます。聖化された世界においてこそ、人は真に生きる(すなわち、生きるべき生を自覚して生きる)可能性を得るのです。
神は世界の外におられます。これに対して聖地ルルドとそこに出現し給うたルルドの聖母、及び聖地ルルドは、地上の人々の祈りを神に届けるための通路であり、エリアーデ教授が言う固定点すなわち世界軸です。しかるに聖地ルルドを持ち歩くことはできません。本品メダイは聖地ルルドの代わりとなる固定点(世界軸)であり、いわば持ち運べる聖地、固定点、世界軸であるといえます。
本品の聖母像は背景から大きく突出しています。常に身に着けて持ち運ばれたせいで生じた突出部分の摩滅は、持ち主の信心深さが形となって物質に刻み込まれたものであり、元々の浮き彫りと並んで、いやむしろ元の浮き彫り以上に、不可視の信仰の形象化であるといえます。

裏面中央のマンドルラにはノートル=ダム・ド・ルルド(仏 Notre-Dame de Lourdes ルルドの聖母)のモノグラム(組み合わせ文字)であるエヌ・デ・エル(NDL)と、その上下に一個ずつの星が彫られています。エヌ・デ・エルのエルは左右対称に図案化され、錨のように見えます。エルの縦棒の途中にある盾形には、もともとノートル=ダム・ド・ルルドのド(仏
de 日本語で「の」に相当する前置詞)が書かれていました。
キリスト教の枢要徳は信仰、希望、愛の三つで、信仰は十字架、希望は錨、愛は心臓に象徴されます。錨が希望を象徴するのは、「ヘブル人への手紙」六章十九節によります。ノートル=ダム・ド・ルルドのモノグラムにおいて錨を模(かたど)るエル(L)は、聖地ルルドとそこに現れ給うた聖母が人の望みであることを、象徴的に表しています。

各地の聖母像は、厳かな儀式が挙行され戴冠することがあります。聖母像の戴冠は、聖母に執り成しを願う人々の篤い信仰の証です。
ルルドの聖母は 1876年7月3日に戴冠しました。ノートル=ダム・ド・ルルドのモノグラムが戴冠していることから、本品メダイは 1876年以降に制作されたものであるlことがわかります。もしかすると
1876年に制作された戴冠記念メダイかもしれません。
フランスの王冠にはフルール・ド・リス(仏 fleurs de lys 百合の花)があしらわれています。百合は聖母の象徴であるゆえに、王冠にあしらわれた百合は、フランスがカトリック教会の長姉(仏
fille aînée de l'Église)であることを示します。本品メダイにおいては聖母ご自身の冠に百合があしらわれていますが、これにはルルドを選んで出現し給うた聖母がフランスの守護者であるとの意味も籠められています。

マンドルラを囲む部分には透かし細工が施されています。透かし細工はメダイのマトリス(仏 matrice 打刻や鋳造の母型、マトリクス)由来のものではなく、完成品のメダイの周辺部を金属用鋸で取り除いた手仕事によります。フランスのメダイには時折このような作例が見られます。
フランスはメダイユ芸術が最高度に発達した国であり、浮き彫り彫刻の技術には目を見張るものがありますが、メダイの完成後に施される透かし細工もメダイを彩る技法の一つといえます。聖母のために美しいメダイを制作する技術と並んで、完成品のメダイに対して費やされる多大な労力には、純朴な信仰の発露が垣間見えます。

透かし彫り部分にあしらわれた薔薇と百合(フルール・ド・リス)は、いずれも聖母の象徴です。
古典古代の薔薇はウェヌス(羅 Venus ヴィーナス)の花であり、性愛、青春、麗姿、復活の象徴とされました。しかるに中世ヨーロッパ以降の宗教的コンテクストにおいて、薔薇は高い精神性を賦与されます。まずイエス・キリストとの関連において、キリスト受難の際に脇腹から流れる血を受けた聖杯は、一説によるとダマスク・ローズのような深皿状であったと考えられました。救世主の受難は神のアガペー(希
ἀγάπη 価値無き者を愛する無償の愛)が顕れた究極の形です。
聖母と薔薇の繋がりに目を移すと、五世紀のラテン詩人セドゥーリウス(Cœlius/Cælius Sedulius)は、よく知られた作品「カルメン・パスカーレ」("CARMEN PASCHALE" 復活祭の歌)第二巻で人祖の妻エヴァと聖母マリアを対比し、聖母を薔薇に喩えています。薔薇はキリスト教古代においてさまざまな聖女や殉教者を象徴していましたが、「カルメン・パスカーレ」に現れる薔薇は優れて聖母を象徴する花とされています。さらに中世になると「雅歌」二章二節に基づき、聖母と薔薇はいっそう緊密に結びつきます。「雅歌」二章二節のテクストは次の通りです。
Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. (Nova Vulgata)
おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 (新共同訳)
わたしの恋人(羅 amica mea)と呼ばれる聖母は、茨(薔薇)の中にいます。この聖句に基づき、中世のラインラントでは薔薇の園にいる聖母子の図像が数多く描かれました。薔薇の生垣で閉ざされた園は、処女のままで受胎した聖母その人を象徴します。さらに教皇シクストゥス五世が
1587年に公認したロレトの連祷には、聖母マリアに対する「神秘の薔薇よ」(羅 Rosa Mystica)との呼びかけが含まれます。棘は罪の象徴であるゆえに、棘の無い神秘の薔薇は、原罪を引き継がない聖母マリアを象徴します。

百合と聖母の関連に目を移すと、第一に白百合は罪の無さ、純潔、処女性を表し、これはマリアの処女性及び無原罪性の象りにふさわしい属性です。第二に白百合は神による選びを表しますが、この点でも神の花嫁に選ばれたマリアと白百合の親和性は明らかです。第三に白百合は神の摂理に対する信頼、神への絶対的信仰を表しますが、これこそ受胎告知の際、「お言葉通り、この身に成りますように」と答えたマリアに、卓越的に当て嵌まります。さらに上で引用した「雅歌」二章二節において、聖母はまさしく「百合の花」と呼ばれています。これらのことから、百合は薔薇に勝るとも劣らない聖母の花といえます。
フルール・ド・リスは古代エジプト以来非常に長い歴史の中で培われた図像であり、何の花を表しているのか、実のところ定かではありませんが、一般には百合の花とされています。この図像を自らの象徴として採用する国や都市、王朝は数多くあり、ブルボン朝のフランス王国もこれに含まれます。聖母マリアの象徴であると同時にフランスの象徴でもあるフルール・ド・リスは、それゆえ、カトリック教会の長姉(仏 fille aînée de l'Église)であるフランスを聖母が愛し守り給う象徴でもあります。
聖母は出現にあたって、フランスの地なるルルドを選び給いました。十九世紀のフランスの人々は、この事実のうちに、聖母がフランスに与え給う特別な加護を感じ取りました。十八世紀のフランスで制作された本品メダイにおいて、当時の人々が聖母に抱いた愛と信仰が、フルール・ド・リスのうちに形象化しています。

上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。

このメダイはおよそ百五十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品です。突出部分は摩滅して優しい丸みを帯び、メダイ全体が厚く均一の古色に美しく覆われています。
ルルドの聖母は物体化して出現したのではありません。聖母の姿は少女ベルナデットにしか見えていませんでした。マサビエルの岩場に現在安置されている聖母像は彫刻家ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues
Fabisch, 1812 - 1886)の作品で、本品メダイの浮き彫りもファビシュの聖母像をモデルにしています。しかしながらベルナデット自身はこの聖母像を評価せず、自分が会った聖母とは「全然違う」と言いました。これはファビシュの聖母が具象彫刻として細部まで明瞭に造形されていたためであり、さらに聖母の表情もベルナデットが受けた印象と一致しなかったからでしょう。
しかしながら本品メダイの立体的な浮き彫りは突出部分が摩滅し、鑑賞者が抱く聖母のイメージをそのまま受け容れます。メダイの聖母を観る者は、ベルナデットが為したのと同様に、自身の心眼で聖母に見(まみ)えることができるのです。生きて働く想像力への親和性は摩滅したアンティーク品のみが備える芸術品としての力であり、心の深奥に働きかける能力です。

さらに本品は深緑色の古色に覆われています。
突出部分の摩滅と並び、メダイ全体を厚く被う古色は、アンティーク品が長い歳月をかけて獲得した美でこそあれ、劣化ではありません。古さゆえの摩滅や変色は美術品がたどってきた年月の刻印であり、歴史と不可分な存在である古美術品にとって、本質的属性であるといえます。欠点とは本来あるべき美点が欠けている状態のことですが、一見したところ欠点とも見えるこれらの属性こそ、個々のアンティーク品を一点限りのアンティーク品たらしめている本性的魅力です。
アンティーク品の歴史性を無視して美術工芸品としての完成度のみを重視するならば、制作されたばかりの新しい作品、あるいは古くても制作当時の状態を保持した作品こそが、高い評価に値することになります。なぜならば出来上がったばかりの作品は、彫刻家の意図に何も加えず、何も引かず、当初の計画通りの状態にあるからです。この考え方に立つならば、摩滅や変色のあるアンティーク品よりも、制作当時の状態を忠実に再現したレプリカ(複製品)のほうが、むしろ価値があることになります。他方、アンティーク品の歴史性を重視するならば、レプリカには価値がありません。なぜならば、新しく作られたレプリカは、出来不出来にかかわらず、アンティーク品の本質的属性である歴史性を持たないからです。
古美術品やアンティーク品を目にするとき、我々は百年前の物、千年前の物を見ているのではありません。もしも百年前の物、千年前の物を見ようとするのであれば、同じ素材と同じ技法を使い、制作当時の状態を正確に再現したレプリカを見る方が、むしろ目的に適います。百年前、千年前の古美術品やアンティーク品を見るとき、我々が見ているのは物品ではなく、可視化された時間すなわち歴史です。
百年前に作られて現在まで伝わる物は、作られた当初からその在り様(よう)を変えて、「可視化された百年の年月」となっています。千年前に作られて現在まで伝わる物は、「可視化された千年の年月」となっています。ここで筆者(広川)が言う「在り様の変化」とは、経年による化学的変化から、社会的コンテクストの中でその物品が占める位置・役割の変化まで、歴史の中でその品物に起こったあらゆる変化を包摂します。すなわち古美術品やアンティーク品を見る我々は、物品に対面しているのではなく、むしろ歴史に対面しているのです。
現代品にはない意匠や、現在は途絶えてしまった制作技法など、アンティーク品の魅力は様々です。しかるにアンティーク品の数ある魅力のうち、最も重要であるのは細部の摩滅が齎す想像力との親和性、及び重厚な古色のうちに可視化した歳月の歴史性であると筆者(広川)は考えます。本品はこの両方を兼ね備えた美しい作例であり、お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。
本体価格 42,800円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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