イリノイ時計会社
Illinois Watch Company, Springfield, Illinois
(上) 1928年のブルー・ブックに掲載されたイリノイの広告。ブルー・ブック(The Blue Book)は時計店向けの部品カタログです。
北米五大湖のうち最も南にあるのはミシガン湖で、南北 494キロメートルに亙り細長く伸びています。イリノイ州はミシガン湖南西岸から南西に広がる州で、ミシガン湖南端近くにあるシカゴは、中西部最大の都市としてよく知られています。イリノイ州の州都すなわち州議会の所在地は、シカゴではなく、スプリングフィールドです。
スプリングフィールドは 1837年以来イリノイ州の州都で、シカゴ中心部から南西に 300キロメートル弱離れた内陸部の町です。シカゴ都市圏が
1000万人近い人口を擁するのに対し、スプリングフィールドの人口は 11万人ほどです。国産時計会社のひとつであるイリノイ時計会社(The Illinois
Watch Company)はスプリングフィールドで創業し、この町に本社を置いていました。
【イリノイ時計会社の歴史】
(上) イリノイ 《ピカデリー 1928 - 1930年》 Illinois PICADILLY, 6/0 size, grade 905,
model 164, 1928 - 1930
当店の商品です。
■ スプリングフィールド時計会社 The Springfield Watch Company
1870年、当時すでにイリノイ州の州都であったスプリングフィールドで、マサチューセッツ出身のジョン・C・アダムズ(John C. Adams)及び数名の地元出資者により、スプリングフィールド時計会社(The
Springfield Watch Company)が創業しました。スプリングフィールド時計会社の資本金は十万ドルで、出資者のひとりであるジョン・トッド・スチュアート(John
Todd Stuart)が初代社長に就任しました。同社は 1872年末までに約一万個のムーヴメントを制作販売し、1873年にはニューヨークに支店を構えました。
■ イリノイ・スプリングフィールド時計会社 The Illinois Springfield Watch Company
創業早々に財政危機に陥ったスプリングフィールド時計会社は、1877年 7月に会社を再編しました。同社は社名をイリノイ・スプリングフィールド時計会社(The
Illinois Springfield Watch Company)に変更し、旧会社で副社長を務めていたエラスタス・ニュートン・ベイツ(Erastus
Newton Bates)が、1878年7月まで社長を務めました。
■ イリノイ時計会社 The Illinois Watch Company
会社の再編後も財政は改善されなかったので、1878年の秋から冬にかけて再び組織が編成し直され、イリノイ時計会社(The Illinois Watch
Company)が誕生しました。新会社の社長ジェイコブ・バン・シニア(Jacob Bunn Sr., 1814 – 1897 註1)の下でイリノイ時計会社は成長し、ムーヴメントの生産数は
1879年には 33,285個でしたが、翌 1880年には 47,065個に増えました。また 1879年に 260名であった従業員数は、翌1880年に
400名に増えました。1890年までに、イリノイ時計会社はシカゴ、ニューヨーク、サンフランシスコに支店を有するまでになり、最盛期の社員数は 1,200名に及びました。
■ イリノイ時計会社の終焉
イリノイ時計会社は 1927年にハミルトン時計会社の傘下に入り、1930年代にアメリカ国内での時計生産を停止しました。
註1 イリノイ時計会社社長のジェイコブ・バン・シニアは、弟ジョン・ホイットフィールド・バン(John Whitfield Bunn, 1831 - 1920)とともに、後に合衆国大統領となるエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln, 1809 – 1865)と親交があった。バン兄弟は財政面でリンカーンを支えた。
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