手作りの十字架・心臓・ビーズ 祈りの個別性を思い出させるシャプレ 真珠母のアンティーク・ロザリオ 全長 47 cm


ロザリオを吊り下げて測った全長 47 cm

重量 28.2 g


クルシフィクスのサイズ 縦 33.7 x 横 16.2 mm   コルプスを含む最大の厚み 4.8 mm

クールのサイズ 縦 12.1 x 横 3.7 mm   最大の厚み 4.6 mm


環状部分の周の長さ 約 62 cm  珠の直径 およそ 7 mm


フランス  十九世紀後半から二十世紀初頭



 いまから百年以上前、十九世紀後半ないしは二十世紀初頭のフランスで制作された真珠母(しんじゅも)のシャプレ(仏 chapelet 数珠、ロザリオ)。美術工芸品としてたいへん美しい作品であるのみならず、ひとつひとつ大きく異なるビーズの形が、祈りの個別性を思い起こさせてくれる善き信心具でもあります。


 本品のクルシフィクスは、真珠母から削り出した十字架に、打ち出し細工による金属製コルプス(羅 CORPUS キリスト像)を取り付けています。十字架には縦木と横木に二箇所ずつ、表裏を貫通する孔が開けられており、コルプスはこのうちの三か所を使って固定されています。

 フランス語でナークル(仏 nacre)、英語でマザー・オヴ・パール(英 mother of pearl)と呼ばれる真珠母は、真珠の母貝の殻に由来する工芸材料です。真珠はどのような二枚貝にもできるわけではありません。殻の内側に美しい真珠層を作る数種類の貝があって、それらの貝だけが真珠を作ります。真珠母はそれらの貝の殻で、真珠層を有し、特定の角度から見ると真珠同様の美しい光沢を見せてくれます。





 二枚貝の身は女性器を連想させます。二枚貝の中から出てくる真珠は、女性から生まれる新生児に似ています。それゆえそれゆえ世界の諸民族は、古来、真珠を生殖力と生命力の象徴と見做しました。

 キリスト教との関連でいえば、真珠はイエス・キリストが語られたたとえ話に登場します。「マタイによる福音書」七章六節、及び十三章四十五節から四十六節を、ギリシア語原文と新共同訳によって引用します。ギリシア語原文はネストレ=アーラント二十六版によります。

    マタイ 7:6  Μὴ δῶτε τὸ ἅγιον τοῖς κυσίν, μηδὲ βάλητε τοὺς μαργαρίτας ὑμῶν ἔμπροσθεν τῶν χοίρων, μήποτε καταπατήσουσιν αὐτοὺς ἐν τοῖς ποσὶν αὐτῶν καὶ στραφέντες ῥήξωσιν ὑμᾶς.  神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
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    マタイ 13:45 - 46  45 Πάλιν ὁμοία ἐστὶν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν ἀνθρώπῳ ἐμπόρῳ ζητοῦντι καλοὺς μαργαρίτας: 46 εὑρὼν δὲ ἕνα πολύτιμον μαργαρίτην ἀπελθὼν πέπρακεν πάντα ὅσα εἶχεν καὶ ἠγόρασεν αὐτόν.  また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。


 十三章四十五節のたとえ話において、商人が全財産を売り払って一個の真珠(「マルガリーテーン」 μαργαρίτην 単数対格形)を仕入れていることから、当時の「良い真珠」一個の値段は、現在の貨幣価値に換算すれば数千万円から数億円に相当したことが分かります。養殖真珠が出現する以前には、真珠は現代人には想像もつかないほどの貴重品でした。

 「フィロカリア」("φιλοκαλία")にも著作が収録されているギリシアの司教、フォーティケーのディアドコス(Άγιος Διάδοχος Φωτικής, c, 400 - c. 486)は、このたとえ話の「真珠」が至福直観を表すと解釈しています。至福直観とは天国において神にまみえることであり、人間の知性(被造的知性)に許された最高の幸福です。至福直観は「救い」を主知主義的に表現したものであるといえます。またアレクサンドリアのオリゲネス(Ὠριγένης, c. 184 – c. 253)は、このたとえ話の真珠がキリストを意味すると解釈しています(「マタイ福音書注解」十巻九節)。すなわちキリスト教思想において、真珠は救いの象徴、恩寵の象徴、キリストの象徴とされているのです。





 真珠がキリストの象徴であり、あるいはキリストの属性である「生命」の象徴であるとすれば、真珠を生み出す真珠貝あるいは真珠母は、聖母の象徴に他なりません。マリアは受胎告知を受け容れて救い主を生み、罪びとに救いをもたらしました。それゆえ真珠を「救い」や「神の恩寵」の象徴と考えても、真珠をもたらす真珠母は、「恩寵の器」(恩寵の通り道)なるマリアを表すことになります。

 したがって十字架に真珠母を使用した本品のクルシフィクスは、「ピエタ」の図像と同様に、真珠母に象徴される聖母が、受難のキリストを抱いている姿と解釈できます。真珠母でできた十字架はイエスへの愛ゆえにイエスと共に受難する聖母の悲しみを表し、それと同時に十字架上のわが子を抱きしめる聖母の愛をも表しています。




(上) 花嫁のドレスの少女 セルロイドと紙人形による初聖体のカニヴェ 46 x 79 mm フランス 1890 - 1910年代頃 当店の商品です。


 聖母はキリスト者の鑑(かがみ 手本)でもあります。したがって十字架に真珠母を使用したクルシフィクスは、これも「ピエタ」の図像や、ルーベンスがアントウェルペン司教座聖堂の三翼祭壇画中央パネルに描いた「十字架降架」の板絵と同様に、キリストを心に受け容れる「信仰」をも象徴的に表しています。

 フランスの子供たちは初聖体の際、真珠母製のものをはじめ、白いシャプレ(ロザリオ)を持つことが多くあります。初聖体の白いシャプレは子供の純潔を表すとされていますが、白いガラスではなく真珠母でできたシャプレの場合は、至高のクリストゥストレーゲリン(独 die Christusträgerin キリストを受け容れる人)なる聖母に倣う信仰が、シャプレによって象徴されていることになります。





 ロザリオのセンター・メダルを、フランス語でクール(仏 cœur)といいます。クールとは心臓、ハートのことです。フランス製シャプレ(ロザリオ)のクールが心臓形であるとは限りませんが、本品のクールは文字通り心臓形(ハート形)に作られています。

 五連のロザリオを使う祈りは、クール(心臓)を通って環状部分を循環します。クールから始まった祈りは、途中何度もクールを通り、最後はクールに戻ります。これは血液の循環と同じであり、祈りが信仰を活かす血液であることを示しています。


 人間の「魂」(ψυχή, ANIMA, âme, soul)と「霊」(πνεῦμα, SPIRITUS, esprit, spirit)は分けて考えられます。これら二つのうち、宗教心を司るのは「霊」であると考えられています。しかるに神と繋がる「霊の座」とは、心臓に他なりません。「詩篇」五十一篇十九節、及び「エゼキエル書」三十六章二十六節において、心臓は「霊」と同一視されています。

 シオンは世界の心臓であり、エルサレム神殿はシオンの心臓と呼ばれていましたが、神のいます至聖所こそがエルサレム神殿の心臓でした。キリスト教の聖堂建築においても、十字架形平面プランを有する聖堂において、主祭壇の位置は受難するキリストの心臓がある場所と一致します。これらの事からも、心臓が宗教心、信仰を司る「霊の座」と見做されたことがわかります。

 宗教とは別に、心臓は「愛の座」でもありました。現代においても、クール(心臓形、ハート形)は愛の象徴とされています。愛する人の左手薬指に指輪を嵌めるのは、心臓と左手薬指を繋ぐ「ウェーナ・アモーリス」(羅 VENA AMORIS 愛の血管)を縛って、愛を逃がさないためです。

 さらに心臓は、より根本的な「魂の座」あるいは「生命の座」でもあります。血液循環の発見者として名高いウィリアム・ハーヴェイは、1628年の著作「諸々の動物における心臓の動きと血液に関する解剖学的考察」("Exercitatio anatomica de motu cordis et sanguinis in animalibus")において、心臓をマクロコスモスにおける太陽に喩え、「生命の基礎、すべてのものの作出者」(fundamentum vitae author omnium)と呼んでいます。





 したがって円環状に進む祈りの出発点であり通過点でもあるクールは、信仰の霊の座であり、神とキリストに向かう愛の座であり、人間に生命そのものを与える生命の座でもあります。

 特に聖母のシャプレの場合、クールは聖母の汚れなき御心を表しています。聖母の汚れなき御心とは神とキリストへの愛に他ならず、シャプレのクールは「神とキリストへの愛」を表しています。とりわけ本品の場合は、クールの素材である真珠母がキリストの御母自身を象徴するゆえに、コルプスを抱く御母の悲しみ、独り子イエスへの愛がひときわの生彩を伴って、祈る人の胸に迫ります。


 本品のビーズはクルシフィクス、クールと同じ真珠母製で、表面は丁寧に研磨されています。天使祝詞のビーズ、主の祈りのビーズとも、直径はおよそ七ミリメートルです。ビーズ、チェーンともすべて十九世紀のオリジナルですが、非常に古いものであるにもかかわらず、美観上、実用上とも何の問題もありません。

 真珠母からひとつひとつ手作業でカット、研磨したビーズは形が歪(いびつ)ですが、生物由来の素材ならではの優しさに、手仕事の温かみが加わり、珠を爪繰りながら祈る指先にしっくりと馴染みます。このシャプレ(ロザリオ)を爪繰ると、救い主を遣わし、あるいは自ら救い主となって十字架に架かり給うた神の愛、「御こころ通りこの身に成りますように」と答えたマリアの神への愛、キリスト教徒の鑑(かがみ)たるマリアのイエスへの愛、イエスが説き給うた隣人への愛が、ひとつひとつのビーズから滲み出て、指先から心に響く思いがいたします。




(上) 「イエスを愛するはわが喜びのすべて。貧者に仕うるはわが幸いのすべて」 愛徳姉妹会のカニヴェ (ブアス=ルベル 図版番号 641) 105 x 67 mm フランス 1853年 当店の商品です。


 本品の真珠母製クルシフィクス、クール、ビーズは、いずれも歪(いびつ)さが特徴です。しかるにこれらの部材のうち、ビーズの歪さこそが、本品において、他のシャプレ(ロザリオ)には無い固有の長所となっています。

 ロザリオは祈りの回数を数える数珠です。しかるに祈りは、本来、回数という量には還元できません。なぜならば我々が他人と対話するとき、常に同じ内容の話を繰り返すことはありません。それと同様に神との対話においても、我々は同じ内容の祈りを機械的に繰り返さないからです。キリスト教の神が人格神である限り、祈りの文言がたとえ同じであっても、それぞれの祈りは一回限りの語り掛けとなって、神の御許に立ち昇ります。

 本品のビーズはひとつひとつが完全な手作りであるために、形がまったく不揃いです。本品のビーズの不揃いな形は、「主の祈り」と「天使祝詞」が様式化された呪文ではないこと、それらの祈りの各回は、その回に固有の「神への語り掛け」、「神との対話」に他ならないことを思い起こさせてくれます。





 本品は十九世紀、すなわち百数十年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、年代の古さにもかかわらず、極めて良好な保存状態です。真珠母の深みある輝きが無原罪の聖母の愛と執り成しを形象化し、ひとつひとつの形が大きく異なるビーズが神との親しい対話を思い起こさせてくれます。





本体価格 24,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp にてご注文くださいませ。




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