フランス南西部、ピレーネー山脈に近い都市トゥールーズ(Toulouse オクシタニー地域圏オート=ガロンヌ県)に、ラ・バジリク・ノートル=ダム・ド・ラ・ドラード(La Basilique de Notre-Dame de la Daurade ラ・ドラードの聖母のバシリカ)があります。現在の聖堂は十八世紀に建て直されたものですが、元の聖堂はロマネスク式身廊を付加したローマ時代の神殿で、ガリア(フランス)で最初のマリアの聖地であったことが知られています。
ラ・ドラード聖堂にはノートル=ダム・ラ・ノワール(Notre-Dame la Noire 黒い聖母)という大きな聖母子像が安置されています。聖母子像ノートル=ダム・ラ・ノワールは、1874年、教皇ピウス九世によって戴冠し、ラ・ドラード聖堂は小バシリカの称号を与えられました。本品はこれを記念して製作されたブロンズ製メダイユです。
本品の表(おもて)面には、ラ・ドラード聖堂の聖母子像ノートル=ダム・ラ・ノワール(Notre-Dame la Noire 黒い聖母)を、精緻な打刻による浮き彫りで表しています。このメダイが記念している通り、聖母子は戴冠しています。
トゥールーズ市民の篤い信仰を反映して、聖母子の衣は豪華な刺繍に飾られています。聖母の衣の前面左右には薔薇があしらわれています。薔薇は愛の象徴であり、聖母の象徴でもあります。無原罪の御宿リなるマリアは、棘の無いロサ・ミステイカ(羅 ROSA MYSTICA 神秘の薔薇)に喩えられます。
その一方でヴルガタ訳「雅歌」二章一節のキリスト教的解釈において、マリアは茨(薔薇)に囲まれた「リーリウム・コンヴァッリウム」(LILIUM CONVALLIUM 谷間の百合、野の百合) に喩えられています。「雅歌」二章一節から六節をノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。二節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。
NOVA VULGATA | 新共同訳 | ||||
1. | Ego flos campi et lilium convallium. |
わたしはシャロンのばら、 野のゆり。 |
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2. | Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. |
おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 |
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3. | Sicut malus inter ligna silvarum, sic dilectus meus inter filios. Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi, et fructus eius dulcis gutturi meo. |
若者たちの中にいるわたしの恋しい人は 森の中に立つりんごの木。 わたしはその木陰を慕って座り 甘い実を口にふくみました。 |
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4. | Introduxit me in cellam vinariam, et vexillum eius super me est caritas. |
その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。 |
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5. | Fulcite me uvarum placentis, stipate me malis, quia amore langueo. |
ぶどうのお菓子でわたしを養い りんごで力づけてください。 わたしは恋に病んでいますから。 |
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6. | Laeva eius sub capite meo, et dextera illius amplexatur me. |
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。 |
それゆえ聖母の衣に刺繍された薔薇は、無原罪のマリアが棘(すなわち罪)の無いロサ・ミステイカ(神秘の薔薇)であることを示すとともに、マリアが「茨の中に咲きいでたゆりの花」(羅
lilium inter spinas)であることをも重層的に示しています。
ラ・ドラード聖堂のノートル=ダム・ラ・ノワールは最初の像が十四世紀に盗難に遭い、二代目の像がフランス革命期に焼却されて、十九世紀以降は三代目となっています。しかるに二代目の像は最初の像の写しであり、三代目の像は二代目の像に可能な限り似せて作られました。それゆえ三代目のノートル=ダム・ラ・ノワールは十九世紀の作品であるにもかかわらず、ロマネスク様式の聖母子像となっています。
ゴシック期以降の聖母子像は、聖母と幼子が顔と体を互いのほうに向け、通常の母子と同様に微笑みを交わします。しかしながらロマネスク様式の聖母子像は聖母も幼子も顔と体を正面に向け、威厳ある面持ちで崇敬者あるいは巡礼者に向き合います。本品に打刻されたノートル=ダム・ラ・ノワールにもロマネスク様式の聖母子像の特徴がよく顕れています。
聖母子の伝統的図像において、聖母は幼子を左腕に抱きます。ノートル=ダム・ラ・ノワールにおいてもこれは同様です。聖母が幼子を左腕に抱くのは、被昇天のマリアが天上においてイエスの右の座を占めると考えられたことによります。
ノートル=ダム・ラ・ノワールの聖母は右手に球体を持っています。球は被造的世界の象徴です。それゆえ聖母が球を持つ意匠は、聖母の支配が全世界に及ぶこと、あるいは神の恩寵が聖母を通じて地上に遍(あまね)く降(くだ)ることを表しています。球体上にフルール・ド・リス(仏 fleur de lys 百合の花)を取り付けることで、聖母の支配がいっそう強調的に表現されています。
聖母子像の台座に「トゥールーズ、ラ・ドラード」(Toulouse, la Daurade)の文字が刻まれています。ラ・ドラード聖堂の前身である西ゴート時代の教会は「トゥールーズの聖マリアのバシリカ」(basilique
Sainte-Marie de Toulouse) という名前でしたが、バシリカの後陣が旧約聖書、新薬聖書の場面を主題とするモザイク画に飾られており、その背景が金色であったことから、やがて「ラ・ドラード」(la
Daurade)と呼ばれるようになりました。「ラ・ドラード」とは「ラ・バジリク・ドラード」(la Basillique Daurade)、すなわち「金色のバシリカ」という意味です。
メダイの最下部にも「トゥールーズ、ドラード」(Toulouse, Daurade)の文字が刻まれています。
ノートル=ダム・ラ・ノワールに執り成しを願うフランス語の祈りが、聖母子の浮彫を取り囲んでいます。
Ô Marie conçue sans péché, priez pour nous. 罪無くして宿リ給えるマリアよ、我らのために祈り給え。
マリアはすべての人の母ですが、ノートル=ダム・ラ・ノワールはとりわけ妊産婦の守護聖女として親しまれています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品はスクリュー・プレスで打刻して作られていますが、マトリス(仏 matrice 母型)に施された彫刻の細密さに驚かされます。
裏面には「クーロネ・パール・ピィ・ル・ヌヴィエム」(仏 Couronnée par Pie IX ピウス九世により御戴冠)の文字を二本の百合で囲み、最上部に聖母の冠を置いています。ノートル=ダム・ラ・ノワールに祝福を求めるフランス語の祈りが、メダイの周囲に刻まれています。
Notre-Dame la Noire, bénissez les mères, les enfants, les familles. 黒き聖母よ。母と子と家庭を祝福してください。
トゥールーズのラ・ドラードはガリア(フランス)で最も古いマリアの聖地であり、ノートル=ダム・ラ・ノワール(黒い聖母)は妊産婦の守護聖女としてよく知られています。しかしながらノートル=ダム・ラ・ノワールのメダイは数が少なく、滅多に手に入りません。二十世紀の作例は製作年を限定しませんが、見つかるのはおよそ十年に一度です。聖母戴冠の記念として1874年に一度だけ製作された本品は、二十世紀の作例以上に稀少であり、入手はほぼ不可能です。筆者自身、この一点しか見たことがありません。
本品は百四十四年前に制作された真正のアンティーク品ですが、たいへん古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。突出部分の摩滅はごく軽微で、細部まで製作当時の状態を留めています。特筆すべき問題は何もありません。