極稀少品 トゥールーズのノートル=ダム・ラ・ノワール 「黒き聖母よ。我らのために祈りたまえ」 見事な浮き彫り彫刻による名品メダイ 直径 19.5 mm


突出部分を除く直径 19.5 mm

フランス  1920 - 30年代



 フランス南西部、ピレーネー山脈に近い都市トゥールーズ(Toulouse オクシタニー地域圏オート=ガロンヌ県)に、ラ・バジリク・ノートル=ダム・ド・ラ・ドラード(La Basilique de Notre-Dame de la Daurade ラ・ドラードの聖母のバシリカ)があります。現在の聖堂は十八世紀に建て直されたものですが、元の聖堂はロマネスク式身廊を付加したローマ時代の神殿で、ガリア(フランス)で最初のマリアの聖地であったことが知られています。

 ラ・ドラード聖堂には聖母子像ノートル=ダム・ラ・ノワール(Notre-Dame la Noire 黒い聖母)が安置されています。聖母子像ノートル=ダム・ラ・ノワールは 1874年、教皇ピウス九世によって戴冠し、ラ・ドラード聖堂は小バシリカの称号を与えられました。





 本品の表(おもて)面には、ラ・ドラード聖堂の聖母子像ノートル=ダム・ラ・ノワール(Notre-Dame la Noire 黒い聖母)を、鋳造による浮き彫りで表しています。祭壇の前では後光を有するふたりの聖人が跪いています。祭壇の前には美しい花々が聖母に捧げられて、トゥールーズ市民の信仰を証ししています。

 ふたりの聖人に比べると、ノートル=ダム・ラ・ノワールはたいへん大きな聖母子像であることが分かります。本品の浮き彫りにおいて聖人たちは祭壇よりも手前にいるのに対し、ノートル=ダム・ラ・ノワールは祭壇上にあるゆえに小さく見えています。実際のところ、ノートル=ダム・ラ・ノワールは二メートルあまりの高さがあります。

 ラ・ドラード聖堂のノートル=ダム・ラ・ノワールは最初の像が十四世紀に盗難に遭い、二代目の像がフランス革命期に焼却されて、十九世紀以降は三代目となっています。しかるに二代目の像は最初の像の写しであり、三代目の像は二代目の像に可能な限り似せて作られました。それゆえ三代目のノートル=ダム・ラ・ノワールは十九世紀の作品であるにもかかわらず、ロマネスク様式の聖母子像となっています。

 ゴシック期以降の聖母子像は、聖母と幼子が顔と体を互いのほうに向け、通常の母子と同様に微笑みを交わします。しかしながらロマネスク様式の聖母子像は聖母も幼子も顔と体を正面に向け、威厳ある面持ちで崇敬者あるいは巡礼者に向き合います。本品に彫られたノートル=ダム・ラ・ノワールにもロマネスク様式の聖母子像の特徴がよく顕れています。





 ノートル=ダム・ラ・ノワール像はおよそ二メートルの高さがあり、陶磁器による装飾を伴って祭壇に安置されています。この祭壇装飾はトゥルーズの陶芸家ガストン・ヴィルバン(Gaston Virebent, 1837 - 1925)によるもので、アール=ヌーヴォー様式による非常に美しい作品です。

 ノートル=ダム・ラ・ノワールは妊産婦の守護聖人「ノートル=ダム・デ・ボンヌ・クーシュ」(仏 Notre-Dame des Bonnes Couches 良き分娩の聖母、安産の聖母)としても知られ、ラ・ドラードのバシリカでは妊婦に腹帯が授けられます。





上の写真はノートル=ダム・ラ・ノワールを安置する台の基部です。ノートル=ダム・ラ・ノワールの足元の白い帯には次の言葉が書かれています。

     Recevez et portez avec confiance cette ceinture benite comme signe de ma protection maternelle et comme gage d'une heureuse delivrance.    母なるわたしがあなたを守る印として、また幸いなる出産の保証として、祝別されたこの帯を受け取り、身に着けなさい。


 童形のケルビムに囲まれた磁器絵には、聖母子から腹帯を受け取る妊婦の姿が描かれています。





 祭壇の前に跪くふたりの聖人は、向かって左がグスマンの聖ドミニクス(Domingo de Guzmán Garcés, 1170 - 1221)、右がアッシジの聖フランチェスコ(San Francesco d'Assisi, 1182 - 1226)です。聖ドミニクスはカタリ派を説得するためにラングドックを訪れ、1215年にはトゥールーズに滞在しています。聖フランチェスコはトゥールーズに来てはいませんが、フランチェスコとフランシスコ会は、ドミニクスとドミニコ会と同様に、グレゴリウス改革の申し子ともいえる聖人および教会改革勢力であり、やはり同時代の信仰改革勢力でありながらカトリック教会と決別したカタリ派に対抗するうえで、間接的にせよカトリック教会に大きく貢献しました。

 教皇グレゴリウス七世(Gregorius VII, c. 1020 - 1073 - 1085)が改革に着手する前、カトリック教会はシモニア(聖職売買)をはじめ、聖職者の徳性の弛緩に悩んでいました。これを批判する勢力は、腐敗した聖職者による秘跡の有効性を否定しました。しかし聖職者が堕落しているからという理由で秘跡の有効性を否定するならば、それは聖職者すなわち人間の働きによって(羅 EX OPERE OPERANTIS)秘跡が有効性を獲得すると考えることであり、正統教義に反します。秘跡が神の力による以上、仲立ちとなった人物の徳性とは無関係に、神が為し給う働きによって(羅 EX OPERE OPERATO)秘跡は常に有効であるはずです。

 秘跡の有効性が聖職者の徳性に左右されるとする主張はアウグスティヌス以前の時代からありましたが、カトリック教会(ἡ καθολικὴ ἐκκλησία 公同の教会)はこの考えを退け、「エクス・オペレ・オペラートー」(羅 EX OPERE OPERATO 為されたる秘跡自体によって)、すなわち秘跡を与えた聖職者の徳性の高低に一切関わりなく、秘跡は有効であるとの考えを貫いてきました。しかしながら教皇グレゴリウス七世は正統信仰からの逸脱をも顧みず、腐敗聖職者による叙任(すなわち秘跡)の有効性を否定してまで、カトリック教会の浄化を試みました。聖ドミニクスと聖フランチェスコ、及びそれぞれの托鉢修道会が現れたのは、この改革が続行している時代であったのです。もしも数十年ずれて現れていれば、すなわちグレゴリウス改革と時を同じくしていなければ、ふたりの聖人は福音的実践の厳格さゆえに異端視されたことでしょう。その結果、ふたりの聖人とその托鉢修道会は、カトリック教会に帰属する意思の有無にかかわらず、リヨンのピエール・ヴァルド(Pierre Valdo, 1140 - c. 1218)及びヴァルド派と同様の運命を辿ったことでしょう。

 トゥールーズを中心都市とするラングドックはカタリ派の勢力が非常に強い地方であり、ラ・ドラード聖堂はカトリック教会の橋頭堡のひとつでした。一方ふたりの聖人と彼らが率いる托鉢修道会は、ラングドックで戦うカトリック側の前衛と後衛でありました。ラ・ドラード聖堂において聖母の前に跪く二聖人の像は、教会史の大きな出来事であるグレゴリウス改革を記念する極めて印象深い作品となっています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。突出部分の細部は摩滅によって幾分不明瞭になっていますが、元々の浮き彫りは極めて細密な作品であったことが分かります。聖母子の頭部、その台座で磁器絵を囲む十人のプッティの頭部、ふたりの聖人の頭部は、いずれも直径 0.5ミリメートル前後ですが、それぞれ目鼻立ちが丁寧に表現されていたことがうかがえます。現在見ることができるアッシジの聖フランチェスコ像は足が欠損していますが、メダイの浮き彫りは破損する前の姿を写しています。





 裏面にはガロンヌ川のほとりで安らう母子の姿が浮き彫りにされています。母は堤防の牆壁に腰掛け、膝に乳児を乗せています。乳児は仰向けに寝ており、嬉々として母の顔を見ています。母は乳児に笑顔を向け、愛情を籠めて話し掛けながら幸福なひと時を過ごしています。そのひとときに、ガロンヌの対岸をふと見遣る母の視線の先にはラ・ドラードの聖堂があって、ノートル=ダム・ラ・ノワールから発する守護と恩寵の光が母子を照らし、温かく包み込んでいます。

 二十一世紀の日本に住む我々は、ほんの数十年前まで、分娩が母子の生命を脅かす深刻な出来事であったことを忘れています。中世から近世にかけての時代、妊産婦は十数人にひとりの割合で産褥死に至っていました。女性にとって、出産は平時における最大の死因であったのです。女性たちがノートル=ダム・ラ・ノワールにすがる気持ちは、現代人、特に男性には想像できないほど強かったに違いありません。





 ガロンヌ川には艀(はしけ)が浮かんでいます。トゥールーズにおいてガロンヌから東向きに分岐したミディ運河(le canal du Midi)は、カルカソンヌ(Carcassonne オクシタニー地域圏オード県)、ベジエ(Beziers オクシタニー地域圏エロー県)を経て地中海に達します。ジブラルタル海峡を経ずに大西洋と地中海を結ぶミディ運河は、鉄道以前の時代において南西フランス最大の流通路であり、トゥールーズのみならずフランス全体に計り知れない恩恵を及ぼしました。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。女性の顔は高さ二ミリメートルに足りませんが、目鼻立ちは整い、美しい横顔を見せています。乳児の頭部の直径はわずか一ミリメートルほどで、手足はさらに小さなサイズですが、幼い体に漲る力強い生命力を感じ取ることができます。

 各種の浮き彫り彫刻の中でも、メダイユ彫刻の物理的三次元性はあまり大きくありません。しかしながら優れたメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)は巧みな技術により、実際の凹凸を超えた奥行きを作品に与えることができます。本品において若き母は右斜め奥に腰を引いて座っています。女性の膝頭と腰はメダイユにおいてほぼ同じ平面にありますが、膝頭は手前に突出し、腰は画面の奥に後退しているようにしか見えません。川向こうのラ・ドラード聖堂はさらに遠くに見えます。絵画のように絵具を使わずに空気遠近法を実現し、さらには恩寵の光までもを金属の凹凸のみで表現してしまう本品の作者は、驚倒すべき芸術的才能と職人的技量の持ち主です。





 本品は八十年ないし九十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品です。フランスでは現在もメダイユが制作されますが、昔のものとは作風が随分と異なっています。本品のように優美で繊細な作例は、アンティーク品でなければ目にすることができません。

 ルネサンスよりも前のヨーロッパには、現代のような職業芸術家、すなわち自分の名前で作品を売る芸術家はいませんでした。当然のことながら、芸術そのものは中世までの時代にも存在していました。しかしながらそれらの芸術作品を生み出す画工、石工、指物師たちは自分たちを職人と考え、優れた作品によって神を讃えつつも、自分の名前を後世に遺しませんでした。本品は信心具の通俗性をはるかに超えて、十分に芸術品と呼べる高みに達しています。このような水準の作例を生み出しつつ、彫刻家が署名を遺さないメダイユ彫刻の分野には、中世美術の精神的伝統が受け継がれています。

 本品はたいへん古い年代の品物であるにもかかわらず、極めて良好な保存状態です。特筆すべき問題は何もありません。商品写真は実物を大きく拡大しているゆえに突出部分の摩滅が判別可能ですが、実物を肉眼で見るとたいへん美しく、お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





本体価格 19,500円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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