稀少品 「試練のときに救い給う聖母」 活きて働くモンペリエの聖母子 立体的な彫刻による美麗大型メダイユ 40.5 x 20.7 mm


重量 4.8 g

突出部分を含む縦横のサイズ 40.5 x 20.7 mm  最大の厚さ 3.9 mm


フランス  1920年代



 百年近く前のフランスで制作された大型アンティーク・メダイ。南仏モンペリエの有名な聖母子像「ノートル=ダム・デ・ターブル」(仏 Notre-Dame des Tables 両替台の聖母)を、たいへん立体的な浮き彫りで表しています。材質はブロンズに銀めっきを施しています。





 フランスの本土は概ね六角形をしており、南の一辺で地中海に面しています。モンペリエ(Montpellier オクシタニ地域圏エロー県)はこの一辺のちょうど中ほどにあります。モンペリエから十キロメートルあまり南東に行くと、カマルグです。

 ガリシア(現スペイン北東部)のサンティアゴ・デ・コンポステラは、中世以来ローマとエルサレムに並ぶ一大巡礼地で、ヨーロッパ中から巡礼者を引き寄せました。サンティアゴ・デ・コンポステラに向かう主要なルートのうち、最も南に位置するのが、トゥールーズを通る「ウィア・トーロサーナ」(羅 VIA TOLOSANA)あるいは「ヴォワ・トゥルゼーヌ」(仏 la voie toulousaine)と呼ばれるルートです。「ウィア・トーロサーナ」は残り三本の主要ルート、すなわちパリを起点とする「ウィア・トゥーロネンシス」(羅 VIA TURONENSIS 「トゥールの道」の意)、ヴェズレーを起点とする「ヴィア・レモウィケンシス」(羅 VIA LEMOVICENSIS 「リモージュの道」の意)、ル=ピュイ=アン=ヴレを起点とする「ウィア・ポディエンシス」(羅 VIA PODIENSIS 「ル・ピュイの道」の意)と、プエンテ・ラ・レイナにおいて合流します。


 モンペリエは「ウィア・トーロサーナ」上に位置します。モンペリエの司教座聖堂は、ここを通過する巡礼者たちにとって重要な通過点でしたが、「ノートル=ダム・デ・ターブルのバシリカ」(la basilique Notre-Dame-des-Tables) も司教座聖堂に劣らず重要な教会堂でした。「ノートル=ダム・デ・ターブルのバシリカ」の前には、モンペリエを通過する巡礼者たちのために、両替商の店が立ち並びました。このバシリカに安置される聖母子像が「ノートル=ダム・デ・ターブル」(Notre-Dame des Tables フランス語で「両替台の聖母」の意)と呼ばれるのは、このような歴史的背景に由来します。

 「ノートル=ダム・デ・ターブル」はモンペリエの母なる聖母であり、この都市の市章にもあしらわれています。市章の「ノートル=ダム・デ・ターブル」は赤い衣の上に青いマントを羽織り、青い衣を着た幼子イエスを膝に乗せています。聖母子の上方左右には「アー・エム」(AM)の文字があります。聖母子の足下には日章旗に似た白地に赤丸の盾形紋章があります。





 本品の表(おもて)面には、モンペリエの聖母子「ノートル=ダム・デ・ターブル」が非常に立体的な浮き彫りで表されています。戴冠した聖母は、幼子イエスを膝に乗せた「セーデース・サピエンティアエ」(羅 SEDES SAPIENTIAE 上智の座)として表されています。

 下に示した写真はフランスの古い絵葉書で、モンペリエにある実物のロマネスク像「ノートル=ダム・デ・ターブル」を写しています。本品の聖母子像をこの写真と比べると、本品の図像表現が元の像と多少異なることがわかります。すなわちロマネスク像「ノートル=ダム・デ・ターブル」において、イエスは聖母の膝の上に立っていますが、本品では紋章におけると同様に、イエスは聖母の膝に座っています。聖母の左手はイエスの体に添えられ、聖母の右手はグロブス・クルーキゲル(世界球)を持たず、イエスの左手を取っています。聖母は戴冠していますが、威厳ある女王というよりも、市井の母子のようにも見える微笑ましい姿に仕上がっています。聖母に執り成しを求めるラテン語の祈りが、浮き彫りを取り巻くように刻まれています。

  VIRGO MATER, NATUM ORA UT NOS IVVET OMNI HORA.  乙女(処女)なる御母よ。御独り子が常に我らを助け給うように執り成し給え。


 モンペリエのノートル=ダム・デ・ターブル 古い絵葉書から


 モンペリエのバシリカに安置されている実物の像において、聖母が右手に持つグロブス・クルーキゲルは、神の愛が被造的世界の隅々にまで及ぶことを表します。右手にグロブス・クルーキゲルを大きく正面に彫り出した聖母子像は、伝統的イコノロジー(図像学)に従って様式化された表現であり、いくぶん形式ばった近寄り難さを感じさせます。

 これに対して本品では、グロブスが聖母子の玉座の両脇に移されており、サイズも小さくなっているうえに、十字架が百合に変わっています。このため本品に彫られたグロブスは、家具に取り付けられた単なる装飾のようにしか見えません。グロブス・クルーキゲルは数ある象徴の中でも主知主義的性格が強い図像のひとつですが、メダイに浮彫を施した彫刻家はこれを意図的に排除し、母と子だけを強調することで、万人が共感しやすい聖母子像としているのです。


 


 古い聖母子像が浮き彫りや版画に移される際、新しい時代の人々の共感を得やすくするために、元の像に改変が加えられることがあります。これは本品をはじめ、とりわけ信心具において最もよく見られる現象です。古い聖母子像の改変は、それらが単なる文化財、活力を失った過去の遺物ではなく、新しい時代の人々の心に働きかける力を未だに有している証拠です。ロマン主義的な表現をすれば、彫像が命を得て動き、元の姿勢を崩していると言うこともできます。

 古い聖母子像の改変は、信心具以外にも見られます。信心具以外においてこのような改変が行われている場合、それは社会全体の宗教心の高揚を示す現象といえます。上の写真はモンペリエ市章を主題にしたフランスの郵便切手で、1941年12月15日から 1942年6月6日まで販売されたものです。図案とインタリオの製版は、フランスを代表する切手版画家であるピエール・ミュニエ(Pierre Munier, 1889 - 1962)によります。この版画においても、ノートル=ダム・デ・ターブルはグロブス・クルーキゲルを持たず、幼子だけを膝にのせて、慈しむような眼差しを注いでいます。上方に見える「アー・エム」(A M)は、「アウスピケ・マリアエ」(羅 AUSPICE MARIAE マリアの庇護の下に)を表します。

 上の切手が販売された時期は、ヴィシー政権時代(1940年7月10日から 1944年8月20日)と重なります。ピエール・ミュニエが独自の聖母子像に託した意味は彫刻家本人に尋ねなければわかりません。しかしながら筆者(広川)の目から見れば、フランスを庇護し給うように聖母に祈るフランスの人々の願いが、幼子を慈しむ聖母の姿に籠められているように思えます。





 翻って本品を見れば、その制作年代は戦間期であり、ピエール・ミュニエの切手と同様に、平和を願う気持ちが強い時代に作られていることに思い当たります。第一次世界大戦の只中であれば、愛国心の高揚によって、平和を願う気持ちはむしろ後退していたはずです。しかし本品が作られた 1920年代は、フランスが未曽有の世界大戦による荒廃から立ち上がろうとしている時代であり、平和を願う気持ちは戦時よりもむしろ強かったことでしょう。

 本品は縦四十ミリメートル強、幅二十ミリメートル強と大きなサイズであり、浮き彫りの立体性とも相俟って、生きて働くモンペリエの聖母子を眼前に見るかのような臨場感があります。平和を求める人々を庇護し祝福し給う聖母の姿は、文化財の忠実な再現を超えて、当時のフランスの精神状況を色濃く反映しています。





 メダイの裏面には、中央に「アー・エム」(AM マリアの庇護の下に)のモノグラム、その下に十字架を刻んでいます。十字架がマルタ十字になっているのが、いかにも南フランスらしい意匠です。ラテン語の祈りから抜粋した句が、モノグラムと十字架を取り巻いています。

  SALUS NOSTRA IN TEMPORE TRIBULATIONIS  試練の時における我らの救い


 これはヴルガタ訳「イザヤ書」三十三章二節の一部です。この節全体を下に引用します。日本語は筆者(広川)がヴルガタのラテン文を忠実に訳したもので、ヘブル語に基づく新共同訳とは細部が異なります。

     Domine, miserere nostri, te enim exspectavimus; esto brachium nostrum in mane, et salus nostra in tempore tribulationis.    主よ、我らを憐れみ給え。我ら、御身を待ち望みたれば。朝には我らの腕となり、試練のときには我らの救いとなり給え。






 本品はロマネスク様式の古い聖母子をモティーフとし、数百年後のメダイユ彫刻家が浮き彫り作品としたものです。メダイユ彫刻家は過ぎ去った時代の彫刻を忠実に写すことに満足せず、二十世紀に生きるフランス人が親しみ易い母子像とし、古いロマネスク彫刻に生命を与えています。メダイユ彫刻家の名前は不明ですが、作品に署名を遺していないという事実からは、彫刻家がいわば「信仰の業」として浮き彫り制作を行ったことがうかがえます。本品の彫刻家は、モンペリエの聖母に対する活きた信仰の持ち主であったに違いありません。

 本品は百年近く前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、保存状態は極めて良好です。浮き彫りは非常に立体的であるにもかかわらず、突出部分の磨滅は軽度であり、ほぼ制作当時の状態のまま残っています。特筆すべき問題は何もありません。





本体価格 18,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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