丸みのある形が愛らしい聖母のメダイ。本品に類する品物は、筆者(広川)がこれまでに見た限り、すべて青色ガラスを使用しています。赤系統のガラスによる作例は極めて珍しく、本品以外に目にしたことがありません。枠は800シルバー製で、上部の孔付近にフランスのポワンソン(ホールマーク 貴金属検質所のマーク)が刻印されています。孔に通した環にはフランスの銀細工工房のマークを刻印し、溶接で閉じています。
一方の面には、赤色ガラスの中央に、マリアの頭文字 (M) を十字架と組み合わせた銀のモノグラム(組み合わせ文字)が浮かんでいます。モノグラムの表面は平坦でなく、円や楕円、方形、平行する線によって繊細な装飾が施されています。
本品はガラス職人と銀細工師の連繋作業によって、次のような手順で制作されています。
1. | ガラス職人は赤色ガラスよりも融点が若干低い不透明ガラスと銀箔、鋳型を使い、銀箔を張った薄いモノグラムと聖母子像を作る。 | |||
2. | カボションのベースとなる楕円形のガラス板を二枚用意する。 | |||
3. | 2. で用意した二枚の板のそれぞれに赤色半透明ガラスを載せてカボションとする。 | |||
4. | 3. で載せた赤色ガラスの表面が硬化しないうちに、1. で作った銀箔ガラスのモノグラムをカボション上に置く。この作業はピンセットを使って正確かつ迅速に行わなければならない。 | |||
5. | 3. で作ったもう一方のカボションについても同様の作業を繰り返し、聖母子像のカボションを制作する。 | |||
6. | 4, 5 .で作ったふたつのカボションに、無色透明のガラス層を被せる。仕上がったカボションは銀細工師に引き渡される。 | |||
7. | 銀細工師は周囲に文様を施した打ち出し細工の枠を二枚合わせて鑞付けし、膨らみを持たせたひとつの枠を作る。 | |||
8. | 6. で完成した二点のカボションを、背面同士を合わせた状態になるように、7. の枠にベゼル・セット(覆輪留め)する。 |
ガラスの融点は概ね摂氏千五百度、あるいはさらに高い温度ですから、ガラス製部品の制作作業を正確かつ迅速に遂行するには、高度な熟練が必要です。銀細工師の仕事に関しても、ベゼルはカボション最下部のわずかな部分を覆っているだけなのに、非常にしっかりと留められています。本品は小さな品物ですが、熟練したガラス職人と銀細工師の共同作業による立派な工芸品であることがわかります。
反対側の面には、六角形のフランス国土の中心よりも少し南、オーヴェルニュ地域圏オート=ロワール県にある中世以来の巡礼地、ル・ピュイ=アン=ヴレ (Le Puy-en-Velay) の巨大な聖母子像ノートル=ダム・ド・フランスが、あたかも天地を繋ぐかのように、上下いっぱいに造形されています。この面はかつて衝撃を受けたことがあるらしく、最も突出した部分に表面的な剥離が認められますが、カボションが割れる原因になる罅(ひび)等、重大な破損はありません。
金や銀の聖母像をカボションの表面に浮かべた本品のようなメダイは珍しい種類のもので、めったに手に入りません。筆者がこれまでに数点を目にしたことがありますが、それらの類品はすべて青色ガラスを使用していました。赤色ガラスのカボションを使用した作例は非常に珍しく、私は本品以外に見たことがありません。
キリスト教の象徴体系において、赤は神の愛を、青は神の知恵を表します。土の色に近い赤は地上の象徴、空の青は天の象徴でもあります。それゆえ本品の赤いカボションは、地に降(くだ)り給うた神の愛を表します。神は少女マリアを恩寵の器として選び給い、マリアを通して地上に降り、愛の極点である十字架上の受難によって救世を成し遂げ給うたのです。
本品の赤色ガラスは真っ赤ではなく、オレンジ色の珊瑚またはカーネリアンを思わせる優しい色彩です。マリアのモノグラムのごく一部、及び聖母子像の半分以上の銀箔が剥離しています。商品写真は実物の面積を数十倍に拡大しているゆえに、銀箔の剥離がよくわかりますが、肉眼で実物を見ても気になりません。800シルバー製の枠はまったく破損していません。11ミリメートルを超える厚みの、丸みを帯びたデザインが可愛らしい稀少なアンティーク・ペンダントです。