ドニ・フェルナン・ピィ作 大型メダイユ 「ノートル=ダム・ド・ラ・クロワ」(十字架の聖母) 直径 50.5 mm 重量 59 g


突出部分を除く直径 50.5 mm  厚さ 5.0 mm  重量 59.0 g

フランス  1920 - 30年代



 フランスの彫刻家ドニ・フェルナン・ピィ(Denis Fernand Py, 1887 - 1949)による大型メダイユ、「ノートル=ダム・ド・ラ・クロワ」(Notre-Dame de la Croix 十字架の聖母)。聖母は幼子イエスの背後に跪(ひざまず)き、幼子の体をしっかりと支えています。四人のセラフィムが聖母子を取り囲んでいます。





 球体上に立つ幼子イエスは、伸ばした表腕を水平に持ち上げ、半ば閉じた手を前に向けています。その姿は十字架上に受難する救い主とそのまま重なります。

 クルシフィクス(キリスト磔刑像)のキリストは、三つの様式に分けられます。第一の様式は、十九世紀から二十世紀前半のアンティーク品で最もよく見かける「クリストゥス・ドレーンス」(CHRISTUS DOLENS ラテン語で「苦しむキリスト」の意)です。この様式において、キリストは頭部を肩の上に傾け、苦痛に身をよじっています。キリストの顔には苦悶の表情が表れています。下に示すのはフランスにおける十九世紀の作例で、「クリストゥス・ドレーンス」の例です。


(下) 真珠母と銀細工による非常に大きなクルシフィクス 101.4 x 70.0 x 9.6 mm 当店の商品




 第二の様式は「クリストゥス・パティエーンス」(CHRISTUS PATIENS ラテン語で「(死に)屈するキリスト」の意)です。この様式において、キリストは体全体が弛緩し、頭部も力無く垂れています。キリストの顔には死相が表れています。下に示すのはフランスにおける二十世紀の作例で、「クリストゥス・パティエーンス」の例です。


(下) ミニマリズムによるクリストゥス・パティエーンス パート・ド・ヴェールのシャプレ 全長 63 cm フランス 1960年代 当店の販売済み商品




 第三の第一は「クリストゥス・トリウンファーンス」(CHRISTUS TRIUMPHANS ラテン語で「勝利するキリスト」の意)です。この様式の磔刑像では、キリストは頭を直立させてまっすぐに前を向いています。キリストの表情には肉体的苦痛は表現されません。下に示すのはアッシジの聖キアラ聖堂にある「サン・ダミアノ十字」(il Crocifisso di San Damiano) で、アッシジの聖フランチェスコに「わたしの教会を建て直しなさい」と語りかけたことでよく知られています。「サン・ダミアノ十字」をはじめ、ビザンチン美術の強い影響下にあるイタリアのクルシフィクスには、「クリストゥス・トリウンファーンス」の作例が多く見られます。





 本品に彫られた幼子イエスが苦しんでいるように見えない理由は、メダイユに彫られたイエスがいまだ幼子であり、受難に至っていないから、ではありません。この作品の幼子は、むしろ受難により救世を達成した「クリストゥス・トリウンファーンス」(勝利するキリスト)として表されています。幼子イエスの表情と姿勢、トガのような衣には、天地の主としての威厳があふれています。




(上) ブーローニュの聖母 グラン・ルトゥール記念メダイ 直径 18.7 mm フランス 1943 - 1947年 当店の商品


 イエスの足下にある球体は全世界(全宇宙)の象徴であり、イエスがその上に立つ姿は、全能の創造主の権能を表します。両腕を水平に挙げて球体上に立つ幼子は、グロブス・クルーキゲル(羅 GLOBUS CRUCIGER 世界球)の十字架と重なります。上の参考写真でイエスが左手に持っているのが、グロブス・クルーキゲルです。





 勝利の姿で表された幼子イエスのすぐそばで、聖母は瞼を閉じて顔を伏せ、悲しみに沈んでおられます。ドニ・フェルナン・ピィは悲しみに耐えるかのように瞑目して俯(うつむ)く聖母を、マーテル・ドローローサ(悲しみの聖母)として表しています。

 聖母子を囲む六翼のセラフィムは、焼き尽くす愛を象徴します。十字架上に達成された救世は、人知の及ばない神の愛の極点です。本品において、人知を絶する神の愛は、十字架を象(かたど)る幼子の姿勢と、四方位から吹き付ける風のように聖母子を取り囲むセラフィムのうちに形象化されています。

 セラフに形象化される焼き尽くす愛は、いまだ地上にある人の身体を焼灼してしまいます。セラフの如き聖人、アッシジの聖フランチェスコは、キリストの姿を取ったセラフから聖痕を授かりましたが、その傷が原因となって亡くなりました。同じことは聖母に関しても言えるでしょう。

 聖母マリアの信仰は、イサクを犠牲に捧げようとしたアブラハムにも勝ります。その一方で、マリアは情愛深き母でもあります。本品において、幼子イエスが不安定な球体から落ちないようにしっかりと支える聖母の手は、ナザレで暮らす間に知恵が増し、背丈も伸びてゆくわが子の成長を支える母の愛を象徴しています。イエスが心身ともに健全に成長し、十字架上に救世を達成できたのも、母の愛があってこそでしょう。子供を犠牲に差し出すために育てる母親など、どこにもいません。ましてや情愛深いマリアにおいて、イエスを待ち受ける運命を予感したとき、その悲しみは如何ばかりであったことでしょうか。




(上) Fra Angelico, "l'Annunciazione di San Giovanni Valdarno", 1430 - 1432, tempera su tavola, 195 x 158 cm, il Museo della basilica di Santa Maria delle Grazie, San Giovanni Valdarno


 マリアは「恩寵の器」として神に選ばれ、聖霊によって身ごもり、救い主を生みました。大天使ガブリエルから受胎を告知されたとき、マリアは喜んでエリザベトを訪ね、マーグニフィカト(わがこころ主をあがめ)を謳いました。しかし神の救世の計画は、神のひとり子が十字架上に刑死するという最も考え難い方法で実行され、そのためにマリアは、およそこの地上で起こりうる最も残酷な方法で、愛する我が子イエスとの死別を経験しなければなりませんでした。

 このメダイにおいて、十字架に架かる姿勢を取るイエスをマリアが支える構図は、ひとりの母親が我が子を愛する限りない愛とともに、新生児イエスをエルサレム神殿に奉献した際、シメオンの預言を聴いて心に宿った深い悲しみと、その悲しみに耐えるマリアの深い信仰を表しています。





 メダイの最下部にピィのサイン(PY)が刻まれています。

 ドニ・フェルナン・ピィ(Denis Fernand Py, 1887 - 1949)は、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881 - 1973)やジョルジュ・ブラック(Georges Braque, 1882 - 1963)と同世代の芸術家です。前衛的な美術が開花した1920年代、ピィは伝統的宗教美術に抵抗する美術家集団、「アルシュ」(l'Arche) に加わっていました。




(上) Pablo Picasso, "Les Demoiselles d'Avignon", c. 1906 - 1907, Huile sur toile, 243.9 x 233.7 cm, Museum of Modern Art, New York


 上に示したのはパブロ・ピカソが1906年から1907年にかけて制作した油彩画「アヴィニヨンの娘たち」("Les Demoiselles d'Avignon")で、キュビスムの出発点となった有名な作品です。本品「ノートル=ダム・ド・ラ・クロワ」と「アヴィニヨンの娘たち」を比べると、聖母の顔はピカソ作品の顔とたいへん良く似ていることに気付かされます。

 フランスのアヴィニヨンは、教皇庁がもたらす繁栄がヨーロッパ中のならず者たちを惹き付けて、治安が悪く、頽廃的な空気の町となりました。ピカソの絵の表題となっている「アヴィニヨン」も、バルセロナの娼館の名前です。聖母と娼婦の顔が似ているというのは変ですが、ピィが「アヴィニヨンの娘たち」に直接影響を受けたかどうかは別にしても、現代美術が生まれつつある時代の空気にピィが敏感に反応し、たとえ意図せずとも似た形の造形にたどり着いたことは指摘できます。

 しかしながらピカソとピィには大きな相違点も存在します。パブロ・ピカソは描く対象、特に女性の裸体を「見ること」に全力を投入した画家でした。キュビスムという斬新な描法も、如何にして徹底的に見るかという視覚の欲望の充足に、少しでも近付こうとする試みに他なりません。

 一方、そもそも目に見えない価値を描こうとするピィにとって、ピカソが追求した空間のキュビスムは不要なものでした。しかしながらピィは、いわば「時間のキュビスム」を必要としていました。すなわちピィは「ノートル=ダム・ド・ラ・クロワ」において、イエスの幼年時代の出来事を描写しているのではありません。すでに説明したように、両腕を伸ばして水平に上げたイエスの姿勢は、キリストの受難をも超えて、むしろキリストの勝利を表しています。したがってこの作品は神の救世の経綸を、現世に流れる時間を超えて、神の視点で表現していることになります。筆者(広川)が「時間的キュビスム」と呼ぶのは、ピィが幼子イエスを十字架と重ね合わせた表現手法のことです。ピィの手法は空間的キュビスムではないので、一見して分かる空間の分割は行われていませんが、歴史において同時に起こり得なかった要素を一つの作品中に組み合わせている点で、キュビスムの一形態と見做すことができます。

 ピカソのキュビスムは「目のためのキュビスム」でしたが、ピィのキュビスムは「魂のためのキュビスム」であるといえます。図像学上の伝統に縛られないピィの作風は、当初は教会関係者に認められませんでしたが、1930年代には聖俗いずれの分野においてもその才能を認められ、教会の仕事にも関わるようになりました。現在、ピィの作品はヴァティカン美術館にも収蔵されています。





 本品は八十年から九十年前のフランスで鋳造された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず摩耗は無く、細部まで完全な状態で残っています。五十九グラムの重量があるので、ペンダントとして使うには少し重いですが、大きなペンダントがお好きな方は、上部に環を追加すればチェーンや革紐に通すことができます。





本体価格 18,900円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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