銀無垢の高級品 百合と十字架の銀無垢プラケット 《聖オディル修道院巡礼記念 20.4 x 17.1 mm》 フランスならではの美しい作例 1910 - 30年代



突出部分を含むサイズ 縦 20.4 x 横 17.1 mm   厚さ 2.0 mm   重量 1.3 g




 聖オディル(聖オッティーリエ、聖オディリア)はアルザス公を父に持つメロヴィング時代の聖女で、目が不自由な人の守護聖人、ならびにアルザスの守護聖人と考えられています。カトリック教会では12月14日、正教会では12月13日が祝日となっています。

 本品は今から八十年ないし九十年前にフランスで制作された聖オディルの十字架型プラケットです。プラケットとは円くないメダイのことで、広義のメダイに含まれます。本品はめっきでない銀でできた銀無垢製品で、テト・ド・サングリエ(仏 une tête de sanglier イノシシの頭)が上部に突出した環の基部に刻印されています。テト・ド・サングリエは純度八百パーミルを表すモネ・ド・パリ(仏 la monnaie de Paris パリ造幣局)の検質印です。





 メダイにおける聖オディルの浮き彫りは修道院長の牧杖と聖ベネディクト戒律を持っていますが、どちらの物品をどちらの手に持つかは決まっていません。牧杖を右手に、修道戒律を左手に持つ作例も多いですが、本品の聖オディルは修道戒律を右手に、牧杖を左手に持っています。

 オアンブール修道院の中庭にある聖オディル像、及び同修道院の鐘楼頂上に据えられている聖オディル像は、本品と同様、左手に牧杖を持っています。本品の浮き彫りはとりわけ前者に似ていますし、足元の造形も彫像の台座のように見えます。それゆえ本品の浮き彫りは、おそらくオアンブール修道院中庭の聖オディル像に倣って制作されたものと考えられます。


 伝承によるとオディルはアルザス公の長子として生まれましたが、父が跡継ぎの男子を望んでいたのに女子であり、しかも生まれつき盲目であったせいで父に見捨てられ、十三歳までヴォージュ山中の修道院で育てられました。

 その頃アイルランドの宣教師聖エルハルトがラインラント、すなわちフランスとドイツの間を流れるライン川流域を巡っていましたが、神から命じられて修道院に立ち寄り、少女に洗礼を授けました。その際エルハルトが少女の眼に聖油を付けると、少女は視覚を取り戻したと伝えられます。少女はそのときからオディル(仏 Odile)またはオディリア(羅 ODILIA)と呼ばれるようになりました。オディルはフランク語で豊かさを表す名前です。





 聖オディルが左手に持つ書物は、ベネディクト戒律の象徴です。

 生まれつき盲目であったオディルは、洗礼の際に視力を回復しました。それにも関わらず図像における聖オディルは、しばしば視覚障碍者のような表情で描かれます。開いた両眼は聖女の顔ではなく、書物の上にあります。本品の浮き彫りは突出部分が摩滅して顔立ちの細部が分かりづらいですが、修道院長の牧杖と修道戒律の本を持つ定型的表現ですので、聖オディルは盲人の表情で描写されていると思われます。修道院長聖オディルは視覚を回復しているはずなのに、聖女の表情は幼時と変わらず盲人のようであり、開いた両眼は聖女の顔ではなくベネディクト戒律の上に描かれる ―― この奇妙な描写は何を表しているのでしょうか。





 ベネディクト戒律に浮き彫りにされた聖女の両眼は、洗礼によって視覚を取り戻した聖オディルが、神に捧げたその後の人生において、修道者の立場から全てを見、考えるようになったことを象徴的に表します。自身を神に捧げた聖オディルは自らの立場で物を見る眼を放棄して神のうちに生き、いわば全てを神のために見ることで、却って明敏な視力を手に入れたのです。開いた両眼が聖女の顔ではなくベネディクト戒律の上に描かれる図像は、そのことを表しています。

 さらにもう一つの意味として、オディルはアルザスの守護聖人であるゆえに、ベネディクト戒律に彫られた二つの眼は聖オディルがアルザスの人々に向ける守護と見守り、ならびに守護の聖女オディルを通してアルザスに注がれる神の愛を表しています。





 一見してわかるとおり、本品メダイあるいはプラケットは十字架形に作られています。本品の十字架は西ヨーロッパで標準的なラテン十字ではなく、縦木と横木の長さが等しいギリシア十字のような形状であり、縦木、横木とも曲線を多用した装飾的な意匠です。

 縦木と横木の末端はフルール・ド・リス(仏 fleur de lts 百合の花)のように造形されています。フルール・ド・リス型の末端はフランス製の十字架及びクルシフィクスによく見られる意匠です。

 フルール・ド・リスは古代エジプトやメソポタミアが起源と考えられる非常に古い意匠であり、もともと何の花であったのかは不明ですが、少なくとも後の時代には百合の花と考えられ、フルール・ド・リスと呼ばれています。したがってフルール・ド・リスが有する象徴的機能は、百合の象徴的機能と同様に、神による選び、摂理への信頼、純潔を表します。百合は聖母マリアの象徴として知られますが、マリア以外の聖人もしばしば百合と共に描かれ、他の聖人の場合も聖母の場合と同様に、神による選び、摂理への信頼、純潔を表します。





 伝承によると、聖オディルは宣教師聖エルハルトに神のお告げが下り、十三歳のときに洗礼を授けられました。この出来事は、神による選びに他なりません。神に選ばれたのが十三歳のときである点も、少女マリアへの受胎告知と共通しています。

 また聖オディルが公女として生まれたのは、神の摂理によります。オディルの父であるアルザス公アルダリック=エティションは最初オディルを嫌いましたが、後には娘の信仰に理解を示し、遂には城を娘に譲りました。オディルはこの城を信仰の砦に変えました。オディルの生涯を考えると、オディルは生まれた当初、あるいは生まれる前から神に選ばれ、神はオディルに関する計画を摂理によって実現させ給うたのです。

 純潔に関して言えば、オディルは生涯を修道女として過ごしましたから、オディルの属性のひとつとして純潔が挙げられることは言うまでもありません。以上のことから百合が象徴する三つの事柄は、どれもオディルによく当て嵌まることが分かります。それゆえフルール・ド・リスあるいは百合を模(かたど)る本品は、オディルに相応しい意匠であると言うことができます。


 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。浮き彫りにされた聖オディル像の身長は、ちょうど十ミリメートルです。本品の浮き彫りは突出部分の摩滅によって細部が失われていますが、小さなサイズに関わらず聖女像の全身を正しい比例関係で再現しており、細密浮き彫りの優れた作例であることがわかります。





 メダイの裏面にはスヴニール・ド・サントディル(仏 Souvenir de Ste Odile サントディルから与えられた記念物)と記されており、サントディルに巡礼した際に手に入れたプラケット(メダイ)であることが分かります。既に述べたように、本品のサントディル(Ste Odile)とはおそらくモン=サントディル修道院(仏 Couvent du Mont-Sainte-Odile)のことでしょう。

 メダイやプラケットをペンダントとして愛用すると、長い年月のうちに肌や服地と擦れ合って裏面が摩滅しますが、本品の裏面には文字が彫られているだけですので、裏面の摩滅を気にせずご愛用いただけます。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一回り大きなサイズに感じられます。





 本品は第一次世界大戦前後のフランスで制作されたものです。フランスをはじめこの時代のヨーロッパでは、富の大半が富裕層に集中していました。二十世紀初頭のフランスでは、上位一パーセントの富裕層が富の七割近くを、上位二パーセントから十パーセントまでの富裕層が残り三割のうち三分の二を独占し、その残り、すなわち富の一割を九十パーセントの国民で分け合っていました。当時のフランスに中間層は存在せず、極端な富裕層以外は、全員が下層階級という二極社会であったのです。

 このような時代に作られた銀無垢メダイは、大多数の人々にとって、めったなことでは手に入らない高価な品物でした。銀無垢メダイは素材が高価なので小さくて薄い物が多いですが、本品にはある程度の大きさと厚みがあり、高価な品物であったことがわかります。突出部分に見られる軽度の磨滅は、本品が大切に、且つ肌身離さず愛用されたことを物語っています。





 本品はフランス製アンティーク・メダイならではのデザインです。突出部分の摩滅は真正のアンティーク品だけが有する歴史性の証であり、長い時を経て獲得された温かな風合いを本品に与えています。





本体価格 18,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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