稀少品 ノートル=ダム・デュ・ピュイ ル・ピュイの聖母の十字架形ブローチ シャンルヴェによる多色エマイユ


43.8 x 37.2 mm

1932年   フランス



六角形のフランス国土の中心よりも少し南、ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay オーヴェルニュ地域圏オート=ロワール県)にあって、

中世以来、数知れない巡礼者の尊崇を集める聖母子像、ノートル=ダム・デュ・ピュイ(Notre-Dame du Puy ル・ピュイの聖母)のブローチ。


ル・ピュイ=アン=ヴレは現存する巡礼の記録が9世紀に遡る古い聖地で、ノートル=ダム・デュ・ピュイに関する文書記録も1096年まで遡ることが可能です。

中世の黒い聖母、ノートル=ダム・デュ・ピュイは、フランス革命時の 1794年に焼却されてしまいました。

ル・ピュイ司教座聖堂ノートル=ダム=ド=ラノンシアシオン (La cathedrale Notre-Dame-de-l'Annonciation) に現在安置されている聖母子像は、17世紀に製作されたものです。


本品はブロンズで鋳造されたもので、各先端に向かって広がるラテン十字を象(かたど)り、フランス語で「ロブ」(lobe) と呼ばれる古典的な四つ葉形の画面を交差部に配します。

エマイユは、水田の畦(あぜ)のような仕切りがある型に、各色のガラスを流し込む技法、「シャンルヴェ」(champleve) によって製作されています。

使用されているガラスは、白、黒、クリーム色、水色、青の不透明ガラス、及び赤い透明ガラスの、合計六色に及びます。


ル・ピュイの黒い聖母はロブの内部いっぱいに大きく表され、「ノートル=ダム・デュ・ピュイ」(Notre-Dame du Puy ル・ピュイの聖母)の金文字に囲まれています。


ノートル=ダム・デュ・ピュイは 1856年6月8日、元の像が焼かれたのと同じ日に、教皇ピウス9世の代理であるル・ピュイ司教によって戴冠されました。

エマイユの聖母子は戴冠し、幼子イエズスの首には神の愛を象徴する聖心のペンダントが懸けられています。





手間を掛けて製作したアンティーク・ファイン・ジュエリーには、ミル打ちと呼ばれる粒状の彫金細工が施されることがありますが、

このロブにはミル打ちを模した細工があしらわれ、たいへんクラシカルな趣があります。


ノートル=ダム・デュ・ピュイが纏(まと)う円錐状の衣あるいはマントは、聖母子の一体性を強調するタイプです。

衣の表面には、いずれも聖母を象徴する薔薇と百合があしらわれています。

ノートル=ダム・デュ・ピュイをはじめ、フランス各地の聖母子像の衣は華やかな刺繍によって飾られていますが、このブローチは小さなエマイユによって、この種の衣を見事に再現しています。


拡大写真で一見すると素朴な図像に見えるエマイユ画ですが、

聖母子像の足元から冠の頂部まで18ミリメートルという小さなサイズであることを考えると、彫金、エマイユともにたいへん細かい細工であることがわかります。

下の写真において、定規のひと目盛は1ミリメートルです。






聖母子は赤色の透明ガラスに浮かんでいます。


金属粒子のサイズがナノメートル(10億分の1メートル)の単位まで小さくなると、表面電子は特定の波長の光エネルギーを吸収するのみで、放出(反射)しなくなります。

粒径10ナノメートル程度の金 (Au) は、青や緑の波長の光を吸収して赤く見えます。


近年の赤いガラスの色はセレン (Se) によりますが、20世紀前半の赤いガラスは、多くが金のナノ粒子を溶かした金赤(きんあか)です。

この赤色エマイユも、ガラスの厚さが 0.1〜 0.2ミリメートル程度であるにもかかわらず、深紅のステンドグラス並みの発色が得られていることを考えれば、ごく高濃度の金赤であろうと思います。

ノートル=ダム・デュ・ピュイに金の捧げものをする気持ちを籠めて、聖母子像の背景に金赤ガラスを選んだのでしょう。


赤以外のエマイユは、不透明ガラスが使用されています。

十字架部分には二色の青が使用されていますが、青は空の色であるゆえに天国を表し、また「ブリュ・マリアル」(le bleu marial マリアの青)は聖母を象徴します。


ブローチの裏面には、「S. プランショ」(S. PLANCHOT) というエマイユ工房の名前と、工房の所在地(ノール県ラ・マドレーヌ La Madeleine, Nord)が刻印されています。

針にぐらつきや緩みはみられず、ブローチはまったく問題無く実用できます。


教皇ヨハネス15世 (Ioannes XV, + 996) の布告以来、聖金曜日が受胎告知の祝日と一致する年は、ル・ピュイ巡礼の聖年とされています。

このブローチは、作りから推定できる年代が 1930年代ですので、20世紀に3回あったル・ピュイの聖年のひとつ、1932年に製作されたものと思われます。

この年の復活祭にル・ピュイに集まった巡礼者は、30万人にも及びました。


1932年の復活祭の頃、ドイツで行われた大統領選挙でヒトラーは30パーセント以上を得票し、7月の選挙ではナチスが圧勝します。

翌年にはヒトラー内閣が成立してワイマール憲法が停止され、その翌年には水晶の夜事件が起こります。


994年のル・ピュイ公会議において、ル・ピュイ司教ギィ・ダンジュー (Guy d'Anjou, 932 - 996) は「神の平和」(La Paix de Dieu) を説きました。

これはカロリング王権が崩壊して弱肉強食の無法状態に陥った当時の社会に、武力によらない平和をもたらすために始められた運動で、10世紀から13世紀頃まで影響力を及ぼし続けました。

「神の平和」運動の発祥地にあって、ノートル=ダム・デュ・ピュイはどのような想いでこの時代を見つめていたことでしょうか。


このブローチはたいへん良好なコンディションで、特筆すべき問題は何もありません。

美しい工芸品であるとともに、実用に耐えるアクセサリーでもあります。

製作年代はおよそ80年前ですが、そのデザインは二千年に亙るキリスト教史を前提に成立したものであり、さらに初期中世から1932年に至る歴史の証言でもあります。



21,800円

電話 (078-391-7323) またはメールにてご注文くださいませ。



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