稀少な美品 ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ 「病者を癒し給う聖母よ、我らのために祈り給え」 癒しの聖母のカニヴェ (メゾン・バセ  図版番号不明) 108 x 67 mm

Notre-Dame de la Drèche - "Salut des infirmes, priez pour nous."


Maison Basset, numéro inconnu, 108 x 67 mm


フランス  1859年



 フランス南西部ルスキュル=ダルビジョワ(Lescure-d'Albigeois)の聖母子像、ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ(Notre-Dame de la Drèche ラ・ドレシュの聖母)のカニヴェ。ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュは高さ 85センチメートルの「上智の座」(知恵の座 SEDES SAPIENTIAE) 型聖母子像で、オーヴェルニュ式と呼ばれるタイプに属するロマネスク式聖像です。

 このカニヴェは美術館で使うものと同じ棹を使い、日本国内の職人が制作した特注品(一点もの)の木製額に入れています。額は壁掛け式で、縦横のサイズは 22.7 x 18.4センチメートル、最大の厚みは 3.5センチメートルです。皿立てを使えば、額を平面に置いて飾ることもできます。なお商品写真の撮影に際しては、反射を避けるために透明アクリルまたはガラスを外しています。ベルベット張りマットの色は変更できます。





 カニヴェのサイズは縦 108ミリメートル、横 67ミリメートルです。表(おもて)面に聖母子像「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」(ラ・ドレシュの聖母)を大きく描き、聖母像の下には「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」(Notre-Dame de la Drèche)の文字を記します。

 ロマネスク様式の聖母子像は、母子の顔が互いに向き合うのではなく、母子ともに厳粛な表情で正面すなわち崇敬者のほうを向きます。またロマネスクの聖母子像において、幼子イエスは聖母の左膝(向かって右側の膝)に座ります。それゆえイエスから見れば、聖母は右側にいることになります。これは被昇天の聖母がイエスの右の座にいることを示しています。

 ロマネスク式聖母子像が一般に有するこれらの特質は、「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」にもそのまま当てはまります。「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」において、聖母子はともに像の崇敬者を見つめています。幼子イエスは聖母の左膝に座っています。マリアとイエスは母子ともに戴冠し、幼児であるイエスも威厳ある表情です。





 本品の聖画において、幼子イエスの頸からは心臓の模(かたど)りが提げられています。幼子イエスの右後ろにも、聖母の体に密着した心臓の絵が見えます。ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュは癒しの聖母として知られています。聖画に彫られた心臓の模型と絵は、病気を癒された人々からの感謝の奉献物です。病からの癒しと執り成しを聖母に求めるフランス語の祈りが、グラヴュール上辺のアーチ状部分に刻まれています。

  Salut des infirmes, priez pour nous.  病者を癒し給う聖母よ、我らのために祈り給え。

 古来心臓は生命の座と考えられてきました。血液循環を発見したウィリアム・ハーヴェイ自身も、心臓が血液に生命力を授ける臓器であることを自明の事実と考えていました。治療困難な心臓病を抱える人にとって、病者を癒し給う聖母ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュはどれほど大きな希望を与え、心の拠り所となったことでしょうか。またノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュへの巡礼後に癒しを得た人たちは、どれほど大きな感謝を聖母に捧げたことでしょうか。





 上下の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。カニヴェの画面は小さいので、オー・フォルト(エッチング)を使っても十分に細かい表現が可能ですが、本品では手間を惜しまず大きな面積をグラヴュール(エングレーヴィング)で制作しています。オー・フォルトによる領域は衣の明部と冠に限られます。





 聖母子の肌にはグラヴュール・オ・ポワンティエ(仏 gravure au pointillé スティプル・エングレーヴィング)が援用され、線刻に比べて一層きめ細かな表現となっています。目の高さは 0.5ミリメートルほどですが、瞳孔と光彩を明瞭に識別できます。瞼(まぶた)や唇も生身の母子と同様に柔らかさを感じることができます。

 母子ともに正面を向いて座るロマネスク様式の聖母子は、近寄りがたい威厳を感じさせます。しかしながら本品の聖画を制作したグラヴール(仏 graveur 版画家)は、優れた英術的感覚と熟練した技術によって、ロマネスク式聖母子像「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」の神々しさを損なうことなく、カニヴェの聖画に親しみやすさを表現しています。病める者に寄り添い、救い給う聖母の、生身の母としての優しさが、グラヴールの優れた才能によって可視化されています。


 なおこのカニヴェの表(おもて)面にあるすべての文字は、聖母子の絵と同様に、彫刻刀を使ったグラヴュール(仏 gravure エングレーヴィング)で刻まれています。聖画の下辺に沿って、版元名(Paris, Maison Basset, rue de Seine 33. パリ、メゾン・バセ セーヌ通り三十三番地)、及び印刷所名(Imprimerie Veuve Goguet, 20. rue de Seine ヴーヴ・ゴゲ印刷工房 セーヌ通り二十番地)刻まれています。中央に書かれた「デポゼ」(Déposé 登録済)の文字は、このカニヴェの意匠が登録済であるという意味です。

 本品の版元メゾン・バセは十八世紀初頭にパリで創業した版画工房です。1849年から 1865年まで、創業家出身のジュール・バセ(Jule Basset)が経営者を務めた後、ブアス=ルベル(Bouasse-Lebel, Paris: 1845 - 1965)に買収されました。





 カニヴェの裏面には、1859年にノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ聖堂で増築と修復が行われた際、アルビ大司教が発した司牧書簡からの抜粋が記されています。抜粋の内容は、ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュの縁起(由来)と、巡礼者たちが得た恩寵に関する記述、及びノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュの慈善団体に関する説明となっています。フランス語の原文に日本語訳を付して、以下に示します。なお裏面に刷られた文字は活版です。

     Sur une colline à cinq kilomètres d'Albi, s'élève un temple modeste, mais dont la configuration décèle l'esprit de foi, comme le goût éclairé de nos religieux ancêtres. D'après les traditions les plus respectables, c'est là que Marie elle-même déclara jadis l'intention d'être honorée. Sa statue miraculeuse, trouvée au milieu des champs, attira bientôt une affluence considérable de peuple. On jeta les fondements d'une église dans laquelle fut déposée avec révérance sa précieuse image, et depuis lors la foule des pèlerins n'a pas cessé d'alller se prosterner à se pieds.     アルビから五キロメートル離れた丘の上に、ひとつの聖堂が建っている。小さな聖堂だが、建物の形状を見れば、宗教が生活に入り込んでいた時代の洗練された趣味に、信仰の精神が見て取れる。大いに尊重すべき伝承によると、かつてマリアご自身が、この地で崇敬されることを望み給うたのだ。奇跡のマリア像は野の只中で見出されるや、すぐに多くの人々を惹きつけた。聖堂が定礎され、マリアの尊い御姿はその聖堂に恭しく安置された。この時以来、マリアの足下に身を投げ出すために、大勢の巡礼者が絶えず聖堂を訪れている。
     Eux seuls pourraient raconter les grâces insignes et abondantes qu'ils y ont obtenues ; les uns pour leur persévérance et leur progrès dans les voies de la perfection chrétienne ; les autres pour leur retour à la vertu après de trop longs égarements ; ceux-ci pour la guérison de leurs infirmités corporelles ; cuex-là pour les divers besoins des personnes auxquelles les unissaient les liens du sang ou de l'amitié...    巡礼者たちはこの聖堂で、素晴らしく、また豊かな恵みを与えられた。それについて語ることができるのは、ただ彼らだけである。聖母の恵みによって信仰に留まり、キリスト教的完徳への道を進んでいった者たちもいる。あまりに長くさ迷った後に、徳に立ち返った者たちもいる。身体の病気を癒された者たちもいれば、血や友情でつながる人々が抱える様々な必要を叶えられた者たちもいる。
          
     ART. 5. Les aumônes en faveur de cette Œuvre peuvent être remise soit à MM. Les curés du diocèse d'Albi, soit au secrétariat de l'Archevêché, soit à M. le supérieur des Missions.    第五項 ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュの慈善団体へ寄付する場合の送り先は、アルビ司教区の各教区司祭、あるいは大司教区の秘書局、あるいは宣教団の長とする。
         
     ART. 6 Une messe sera célébrée à perpétuité le premier samedi de chaque mois et autant que possible, à huit heures du matin, dans l'Église de Notre-Dame-de-la-Drèche pour les bienfaiteurs de l'Œuvre.    第六項 毎月第一土曜日には、可能な限り朝八時から、ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ聖堂において、慈善団体寄付者のためのミサが永久に挙行される。
         
     Extrait de la lettre pastorale de Monseigneur l'Archevêque d'Albi à l'occasion de l'agrandissement et de la restauration de l'église de Notre-Dame de-la-Drèche.     ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ聖堂で増築と修復が行われた際の、アルビ大司教猊下の司牧書簡から抜粋
     --- Maison BASSET.    メゾン・バセ
         
 裏面最下部の余白に、次の言葉が鉛筆で記入されています。 
         
     Souvenir d'un beau jour, 7, 8re, 1862, Sauveur    良き日の記念に。1862年10月7日 ソヴール



 「良き日の記念に」(Souvenir d'un beau jour)という書き込みから、この美しいカニヴェは、初聖体を受けた十二歳の少年ソヴ―ル君に贈られた記念の聖画であることがわかります。

 「ソヴール」(Sauveur)は男性のプレノム(仏 prénom 姓名の「名」)で、原意は「救い主」です。「救い主」という男性名は、イタリア語(サルヴァトーレ Salvatore)やスペイン語(サルバドル Salvador)では珍しくありませんが、フランス語では極めて稀です。ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュの所在地ルスキュル=ダルビジョワ(Lescure-d'Albigeois)はアルビ近郊の町で、スペインまたはカタルーニャから比較的近い距離にあります。ソヴール少年の家族は、アルビかその近郊に住んでいて、おそらくイベリア半島系の人たちだったのでしょう。





 上の写真は男性店主が本品を手に取って撮影しています。本品の実物を女性がご覧になれば、この写真で見るよりも大きなサイズに感じられます。

 筆者(広川)が知る限り、メゾン・バセのカニヴェには図版番号が表示されません。それゆえ同社が版元となったカニヴェは、一般的な主題に基づいて制作されている場合、制作年代の特定が困難です。しかしながら本品が主題とするノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュの聖堂は、フランス革命期に略奪に遭って荒廃し、1859年に増築と修復が完了しました。上に引用されているアルビ大司教の司牧書簡は、同年に行われた再献堂の際のものです。したがって本品の版は聖母子像を安置する同名の聖堂ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュの再献堂を記念し、1859年に制作されたと考えられます。その三年後にソヴ―ル少年が初聖体を迎えて、地元アルビのノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュを彫った美しいカニヴェを、両親が少年に贈ったのです。

 版元のメゾン・バセは 1865年にブアス・ルベルに吸収合併され、百五十年あまりの歴史を閉じました。グラヴュールによるカニヴェ「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」は、同社が制作した最後の作品のひとつです。本品の細密版画は聖母子像ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュを写生的に写すに留まらず、生身の聖母子のように親しみやすい姿で描き、信仰生活に資する芸術品としています。メゾン・バセの「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」は、伝統ある版画工房メゾン・バセの掉尾(ちょうび)を飾るにふさわしい出来栄えです。











 上の写真は別の額を使用した額装例です。こちらの額も高品質の木製棹を使用し、日本国内の職人が制作した特注品(一点もの)です。額のサイズは 19.2 x 15センチメートル、厚みは 4センチメートルです。上の写真は男性店主が本品を手に取って撮影しています。本品の実物を女性がご覧になれば、この写真で見るよりも大きなサイズに感じられます。

 なおいずれの額も一点ものであるため、カニヴェのご注文をいただいた時点で在庫していない可能性がございます。同じ額が無い場合は、同等レベルの額の中からお客様のお好みに合うものをご用意いたします。ご安心ください。


 カニヴェは「信心具」としての性格と「美術品」としての性格を持ち合わせます。信心具である聖画はともすれば「ボンデュズリ」(仏 bondieuserie 神様趣味)と揶揄されるキッチュ(俗悪)なものになる危険性を含み、特に多色刷り石版画にはそのような作例が散見されます。しかしながら単色のカニヴェには、宗教感情の内奥に達する作品を生み出す作例が多く見られます。これはモノクローム版画に本来的に備わった不可視の本質を視覚化する力ゆえであると、筆者(広川)は考えています。このような水準のカニヴェにおいて、「信心具」と「美術品」の区別は意味を失います。

 メゾン・バセ版「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」が製版された 1859年のフランスは、第二帝政期(1852 - 1870年)の只中でした。第二帝政期は保守的な時代で、フランス社会では宗教が再び勢いを得ていました。この時期に制作され、人生の大きな区切りである初聖体の記念物となった本品は、版画自体が質の高い芸術品であることに加え、第二帝政期の精神状況を可視化した「その時代、その地域ならでは」のアンティーク品である点においても、たいへん魅力的な作例です。

 本品は百六十年近く前に制作された真正のアンティーク美術品ですが、良質の中性紙に刷られているため、酸性紙のような劣化はまったく見られません。レース細工状の縁飾りもほぼ完全な状態で残っており、これ以上は望むことができない良好な保存状態です。細密グラヴュールは写真術が未発達であった時代に発達し、現代では再現できない驚くべき技法ですが、本品の細密グラヴュールは実在の聖母子像を描きながらも単なる写生に留まりません。本品、メゾン・バセ版「ノートル=ダム・ド・ラ・ドレシュ」は、十九世紀半ばのフランス社会における生きた信仰から生まれ、人間精神の最良の部分を形象化した芸術品です。

 当店の商品は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(二回、三回、六回、十回など。金利手数料無し)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご都合の良いお支払方法について、遠慮なくご相談くださいませ。





58,800円  ※ カニヴェ、額、マット、ベルベット、工賃、税すべて込み。分割払い可

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