ポワチエ聖十字架修道院にて、フランスをキリストに奉献する聖ラドゴンド (ブアス=ルベル 図版番号 1536)

  Ste Radegonde, Reine de France, fondatrice de l'abbaye de Ste. Croix de Poitiers. (6ème Siècle) , Bouasse-Lebel, pl. 1536


123 x 78 mm

フランス  1860 - 70年代



 普仏戦争(1870 - 1871年)とパリ・コミューン(1871年)のあと、カトリック信仰が復興した時代のフランスで制作されたカニヴェ。上辺の切り紙細工に破損がありますが、補修済みです。





 カニヴェの表(おもて)面は黒の細枠で囲まれ、中央に長方形の聖画、その下に画題を配しています。聖画に描かれているのは、修道衣を着たポワチエの聖ラドゴンドが聖十字架修道院の床に跪き、キリストを礼拝する姿です。聖ラドゴンドがキリストに捧げているのは、ネウストリア王国すなわち今日のフランスの冠と笏です。


 ラドゴンドは現在のドイツ東部に居住するチューリンゲン族の王ベルテールの娘でしたが、父ベルテールは実の兄弟ヘルマンフリートとボデリックによって殺され、さらにヘルマンフリートはクローヴィスの息子であるフランク王テウデリク1世と同盟を結んでボデリックを殺しました。ところがヘルマンフリートはテウデリク1世との約束を破ってチューリンゲンの支配権を独占したため、テウデリク1世は兄弟であるクロタール1世と組んでヘルマンフリートを攻め滅ぼします。当時 11歳のラドゴンドとその弟ヘルマンフリートは叔父ヘルマンフリートに引き取られていましたが、クロタール1世はふたりを自国ネウストリア (Neustria)に連れ帰りました。ネウストリアはクローヴィスのフランス王国の西半分で、おおむね現在のフランスに相当します。

 ラドゴンドはクロタール1世の妻、信仰篤いアンゴンドの影響を受け、ラテン語を学び、信心書を読んで信仰を深めました。538年にアンゴンドが亡くなるとクロタール1世はラドゴンドを妻にしようとし、ラドゴンドはペロンヌ(Peronne 現在のピカルディ地域圏ソンム県)に逃れますが連れ戻され、結婚を承諾せざるを得ませんでした。夫王クロタール1世はやがてラドゴンドの弟ヘルマンフリートも殺してしまいました。





 ラドゴンドは肉親同士が血を血で洗うフランク族の権力闘争に大きな悲しみを感じるとともに、身近な人たちの罪深い行いを改めさせることができずに、無力感と孤独を深めたことでしょう。ラドゴンドは王妃の立場を実質的に逃れ、ポワチエにサント・クロワ(聖十字架)修道院を開設して、そこにこもりました。

 ラドゴンドが王妃の冠と笏をキリストに差し出す図像には、王妃であることを止めるという意味、及びラドゴンド自身の心の中に、キリストを王、支配者として迎え入れるという意味に加えて、ネウストリア(フランス)をキリストに奉献し、キリストの支配に委ねる気持ちが籠められています。カニヴェの聖画において、ラドゴンドが捧げる冠、笏、それを置いたクッションには、フランスの象徴であるフルール・ド・リスがあしらわれています。キリストはフルール・ド・リスの付いたフランス王の冠を被っています。


 ちなみにラドゴンドが生きたメロヴィング時代には、フルール・ド・リスは未だ「フランス王室の印」にはなっていませんでした。499年頃、クローヴィスは受洗してカトリックになりましたが、伝説によると、このとき天使がクローヴィスに命じて、三位一体の象徴であるフルール・ド・リスをその紋章とさせたと言われています。ヨーロッパにおいて紋章が使われ始めたのは12世紀であるゆえに、この伝説が後世の捏造であることは明らかです。

 しかしながらラドゴンドの王冠や笏に、フルール・ド・リスが実際にあしらわれていた可能性は十分にあります。ラドゴンドの義父クローヴィスは 507年にローマ皇帝(東ローマ皇帝)アナスタシウス1世 (Anastasius I, 431 - 518) から帝国の執政官に任命されており、メロヴィング朝の宮廷が文物においてもビザンティン文明の影響を受けたであろうことは強く推察されます。したがってビザンティン宮廷におけると同様に、メロヴィングの宮廷においても、諸王の礼装、王笏、王冠にはフルール・ド・リスの意匠が使われていた可能性が高いと考えられます。

 フルール・ド・リスが王室の重要な印となるのは、カペー朝の時代です。カペー朝においてフルール・ド・リスが重視されるようになったのは、シュジェ、及びクレルヴォーの聖ベルナールの影響と考えられています。シュジェ (Suger, 1081 - 1151) はサン=ドニ修道院長となり、最初のゴシック建築であるサン=ドニ聖堂を建設した人物です。シュジェはカペー朝第5代国王ルイ6世 (Louis VI le Gros, 1081 - 1137) と同い年で、10歳のときからの親友でした。ルイ6世とその子ルイ7世 (Louis VII le Jeune, 1120 - 1180) に仕え、ルイ7世が十字軍で不在であった間は摂政も務めました。クレルヴォーの聖ベルナール (St. Bernard de Clairvaux, 1090/91 - 1153) はシトー会の改革者であり、当時の西ヨーロッパで最も影響力のある宗教人でした。アベラールとの論争に勝ったことや、ヴェズレーで第一回十字軍を勧説したことによっても知られています。いずれも聖母崇敬に熱心であったシュジェとベルナールは、カペー家を聖母の庇護の下に置くべく王室の聖母崇敬を推し進め、これに伴って聖母の象徴である百合文、すなわちフルール・ド・リスも多用されるようになりました。





 聖画の解説に戻ります。本品の制作年代は19世紀半ばから後半で、聖画はこの年代に特有の緻密なインタリオ(intaglio 凹版)によります。より細かく見れば、人物像と床に置かれた器物、キリストの足下の雲はグラヴュール(エングレーヴィング)で、床と背景はオー・フォルト(エッチング)で、それぞれ制作されています。オー・フォルトはグラヴュールに比べて緻密さに劣る場合がありますが、カニヴェは画面が小さいので、たとえオー・フォルトであってもグラヴュールと同等のきめの細かさを実現しています。

 上と下の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。キリストとラドゴンドの顔の高さは 5ミリメートル、目、鼻、口は 1ミリメートルに満ちません。しかしながら人物の顔立ちが整っているばかりか、キリストの表情には慈愛が、ラドゴンドの表情には敬虔が溢れています。





  聖画のすぐ下には版元名と所在地、このカニヴェの図版番号が彫刻刀で刻まれています。

  Bouasse Lebel Éditeur Imprimeur, 29, Rue St. Sulpice, Paris -- 1536  版元 ブアス・ルベル パリ、サン・シュルピス通 29番地 図版番号 1536

 その下には、聖画の題名が彫刻刀で刻まれています。

  Ste. RADEGONDE, Reine de France, fondatrice de l'abbaye de Ste. Croix de Poitiers. (6ème siècle)  フランスの王妃にして、ポワチエ聖十字架修道院の開祖、聖ラドゴンド (六世紀)





 本品の聖画は、ネウストリア(フランス)の王妃が神の意思に従う修道者になり、冠と笏をキリストに捧げる場面を描いています。ラドゴンドは千数百年前の人ですが、本品は過ぎ去った出来事を描く歴史画ではなく、現代、すなわち本品が制作された 19世紀半ばから後半のフランスの状況に直結する信心画として描かれています。修道院の石畳に跪き、フランスをキリストに奉献しているのは、19世紀のフランス人たち自身に他なりません。


 ラドゴンドはカトリックの洗礼を受けたメロヴィング王朝最初の王、クローヴィスの義理の娘です。伝説によると、クローヴィスが受洗したとき、天使がクローヴィスに命じて、三位一体の象徴であるフルール・ド・リスをその紋章とさせました。これが歴史上の事実ではないことは既に述べた通りですが、後世のフランス人たちがフランスは神に祝福された特別な国であると考えていたことが、この伝説から読み取れます。

 1864年8月19日、教皇ピウス9世の小勅書により、マルグリット=マリが列福されました。これより三年前の1861年に、ラミエール神父が信心書のシリーズ「イエズスの聖心のおとずれ」(Le Messager du Sacré Cœur de Jésus) を発刊しますが、マルグリット=マリ列福後の1867年8月に発行された同誌第12号で、マルグリット=マリがパレ=ル=モニアル聖母訪問会修道院の院長に宛てた1689年6月17日の手紙、「第98書簡」が公開されました。この書簡において、マルグリット=マリは地上で辱めを受けたキリストが地上の君主に償いを求めていると述べた後、キリストが語ったという次の言葉を記しています。日本語訳は筆者(広川)によります。

 Fais savoir au fils aîné de mon sacré Cœur – parlant de notre roi – que, comme sa naissance temporelle a été obtenue par la dévotion aux mérites de ma sainte Enfance, de même il obtiendra sa naissance de grâce et de gloire éternelle par la consécration qu'il fera de lui-même à mon Cœur adorable, qui veut triompher du sien, et par son entremise de celui des grands de la terre.
 Il veut régner dans son palais, être peint dans ses étendards et gravé dans ses armes, pour les rendre victorieuses de tous ses ennemis, en abattant à ses pieds ces têtes orgueilleuses et superbes, pour le rendre triomphant de tous les ennemis de la sainte Église.
(Marguerite-Marie d'Alacoque, Lettre IIC, 17 juin 1689, Vie et œuvres, vol. II, Paray-le-Monial)
   わが聖心の長子(ルイ14世)に伝えよ。王は幼子イエズスの功徳によって儚(はかな)きこの世に生まれ出でたのであるが、崇敬されるべきわが聖心に自らを捧げるならば、永遠の恩寵と栄光のうちに生まれるを得るであろう。わが聖心は王の国を支配し、また王を仲立ちにして地上の諸君主の国々を征服することを望むからである。
 わが聖心は王の宮殿にて統べ治め、王の軍旗に描かれ、王の紋章に刻まれることを望む。そうすれば王はすべての敵に勝利し、驕り高ぶる覇者たちの頭をその足下へと打ち倒し、聖なる教会のすべての敵を征服するであろう。
(「マルグリット=マリの生涯と著作 第二巻」より、1689年6月17日付第98書簡)


 聖女の手紙はパレ=ル=モニアルのド・ソメーズ院長から、パリ、シャイヨ宮にある聖母訪問会修道院の院長、王妃、国王付聴罪司祭を経て国王に渡されるはずでした。しかしながら国王からの反応はありませんでした。聖女の手紙がいずれかの段階で止められたか、あるいは国王が手紙を読んでも内容を実行しなかったのです。これは国王個人の問題ではなく、フランス王国がキリストに対して不服従であったことを意味します。キリストは聖女を通して国王に語りかけるという形を取りながらも、むしろフランス人全員に語りかけ給うたのですが、フランスはこれに耳を貸さなかったのです。


(下) イアサント・リゴー (Hyacinthe Rigaud, 1659 - 1743) によるルイ14世像。太陽王 (Roi-Soleil) と呼ばれたルイ14世は当時のヨーロッパで最強の君主であり、ヴォルテールが伝える「朕は国家なり」(L'État, c'est moi.) という言葉は有名です。

 Hyacinthe Rigaud, "Louis XIV", 1701, huile sur toile, 277 × 194 cm, musée Bernard d'Agesci, Niort


 「イエズスの聖心のおとずれ」第12号により、フランスの人々は自国がキリストに従うことを拒んでいたことを知りました。フランス革命をはじめ、ルイ14世の時代以来フランスを襲った災厄は、すべてこの不服従の聖であると思われました。それゆえこの時代のフランスに生きた信仰深い人たちは、フランスをキリストに奉献しようとしたのです。それゆえ本品の聖画で冠と笏をキリストに差し出すラドゴンドは、現代(19世紀)のフランス人自身です。さきほどこの聖画について、「過ぎ去った出来事を描く歴史画ではなく、現代の状況に直結する信心画である」と述べたのは、このような意味です。





 カニヴェの裏面には次の祈りが記されています。

    Verset. Sainte Radegonde, reine de France,

Répons. Priez pour nous.
  フランス王の妃、聖ラドゴンドよ。

われらのために祈り給え。
         
     Faites, Seigneur, que par les mérites de la Bienheureuse Radegonde, nous puissions vous servir d'une manière digne de vous et que nous méritions de jour dans les cieux d'un bonheur éternel avec celle que nous nous glorifions d'avoir eue pour reine sur la terre.    主よ。至福なるラドゴンドの功徳により、我らをして、御身にふさわしき僕(しもべ)とならしめ給え。我らが地上の女王に戴く栄を受けたるラドゴンドと共に、永遠に幸福なる天上の日に値する者と為し給え。
     Ainsi soit-il.    アーメン。
     1536   版の番号 1536


 本品はおよそ百五十年前のカニヴェですが、良質の中性紙に刷られているため、長い年月を経ても紙は劣化せずに綺麗な状態です。ネウストリア王妃聖ラドゴンドに仮託して「フランスをキリストに奉献する」という聖画の主題に関しても、インタリオの制作技法に関しても、19世紀半ばから後半という時代ならではの作品となっています。





本体価格 18,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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