愛する心にとって、不可能なことは無い 殉教処女アレクサンドリアの聖カタリナ (シャルル・ルタイユ 図版番号12)
Sainte Catherine d'Alexandrie, Charles Letaille, No. 12
96 x 67 mm
フランス 1840年頃
パリ、ガランシエール通り15番地にあった版元、シャルル・ルタイユにより、1840年頃に制作されたアレクサンドリアの聖カタリナのカニヴェ。
レース状の切り紙細工を施した聖画カニヴェ (canivet)は、18世紀においては修道女が一点一点を手仕事で制作したものでしたが、1810年、銅版画や石版画の周囲に、型による切り紙細工を施す方法が考案されました。1839年創業のシャルル・ルタイユは、版画と型抜きによるカニヴェを社会に普及させる嚆矢(こうし)となった版元で、数々の美しい作品で知られる老舗です。シャルル・ルタイユのカニヴェのなかでも、本品は最も初期に属する貴重な作例です。
本品の表(おもて)面は、グラヴュール(エングレーヴィング)で聖カタリナを描いた楕円形の聖画を中央に置き、楕円形の細い線、長方形の二重線、金泥の太い線で囲んでいます。外側はエンボス(型押し)による鎖状のパターンで飾られ、レース状の縁にもエンボスが施されています。
中央の聖画において天上の光に包まれて立つ聖女は、殉教者に与えられる栄光の徴(しるし)、ナツメヤシの葉を手にしています。十三世紀の聖人伝「レゲンダ・アウレア」によると、聖カタリナは王女であったので、ヴェールを被った頭に冠を戴いています。聖カタリナの手前に描かれている刃の付いた車輪は、聖カタリナの象徴として多くの聖画に登場する刑具です。「レゲンダ・アウレア」によると、カタリナは絶世の美女でしたが、時のローマ皇帝の求婚をはねつけて怒りを買い、皇帝側近が聖女を処刑するためにこの車輪型刑具を考案しました。
グラヴュールの製版には多大な労力と時間を要するので、大多数の19世紀版画は作業が楽なオー・フォルト(エッチング)を併用しています。特にカニヴェの場合は画面が小さいので、エッチングでも十分に精密な表現が可能です。
しかしながら本品の聖画は、画面のほぼすべてがグラヴュール(エングレーヴィング)、すなわち彫刻家がビュラン(彫刻刀)を使って人力で製版する技法で制作されています。オー・フォルトはヴェールの胸元の一部、ナツメヤシの葉の一部、車輪の側面の一部に、補完的に使われているにすぎません。上の拡大写真において、定規の一目盛は1ミリメートルです。ビュランの線は1ミリメートルあたり5~6本、ポワンティエ(スティプル 点描法の点)は1平方ミリメートルあたりおよそ20個を数えることができ、いかに細かく丁寧なグラヴュール作品であるかがよく分かります。
聖画の下に「サント・カトリーヌ」(SAINTE CATHERINE 聖カタリナ)の文字があり、その下には韻を踏んで歌うような響きを持つフランス語の文章が刻まれています。
L'amour est fort comme la mort. 愛は死と同じように強い。
カニヴェの最下部、金泥の枠の外には、このカニヴェの図版番号 (PL. 12) が中央に書かれ、その左右に次の文字が刻まれています。
Charles Letaille, Editeur Pontifical, Rue Garancière, 15, Paris 教皇庁御用達 シャルル・ルタイユ書店 パリ、ガランシエール通り十五番地
裏面では、神を愛し、十字架に結ばれて生きるならば、聖カタリナのように死に至るまで純潔を守り通せるという教えが、この時代の古風なフランス語で書かれています。韻を踏んで簡潔に記された表(おもて)面の言葉、「愛は死と同じように強い」を説明的に敷衍(ふえん)したもので、内容は次の通りです。
TOUT EST POSSIBLE AU COEUR QUI AIME. | 愛する心にとって、不可能なことは無い | |||
Entre tous les martyres, il n'en est point de plus difficile, ni de plus rare que celui de la virginité. | すべての殉教のなかでも、おとめ(処女)の殉教ほど困難かつ稀なものは無い。 | |||
Sainte Catherine a fait paraitre plus de courage en résistant aux plaisirs déréglés et aux attentats de la volupté, qu'en surmontant les tyrans; et cette roue qu'elle mit en pieces par un prodige, est peu de chose au prix de celle de la concupiscence, dont elle a éteint toutes les flammes. | 聖カタリナは暴君に打ち勝つにあたり勇気を示したが、聖女が悪しき歓びに抗し、快楽の攻撃に抗するにあたって示した勇気のほうが、むしろ大きいのである。聖女は情欲の炎を完全に鎮めたが、この情欲という攻め具に比べれば、聖女が奇蹟により打ち砕いた車輪など、恐れるに足りぬ。 | |||
Le combat des martyrs est violent, mais il ne dure pas; celui des vierges dure toute la vie, et le dernier moment n'est pas moins à craindre que le premier. | すなわちまず第一に、殉教者たちの闘いは苛烈であっても長くは続かない。しかるにおとめたちの闘いは一生涯続き、初めにおいても終わりにおいても、その恐ろしさに変わりは無い。 | |||
- Les martyrs donnent leur vie tout d'un coup pour la défence de leur foi, mais les vierges se consument lentement pour conserver leur pureté. | 第二に、殉教者たちは信仰を守るため、一瞬のうちに命を捧げる。しかるにおとめたちは純潔を守るため、ゆっくりと消耗するが如き苦しい年月を重ねるのである。 | |||
- les martyrs meurent sur la croix; mais les vierges y demeurent attachées toute leur vie... | 第三に、殉教者たちは十字架上に死ぬが、おとめたちは生涯に亙って十字架に結ばれて生きるのである…。 | |||
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PRATIQUE.- Être bien fidèle à fuir toutes les occasions du péché et tout ce qui pourrait exposer l'innocence. | 修練 罪に陥る機会、純潔を捨てることになるかもしれない機会を、常に怠ることなく避けよ。 |
十九世紀のフランスはめまぐるしく政体が替わり(*)、社会の思想・風潮や、宗教に対する国民の態度も、右と左の両極を振り子のように揺れ動きます。
* 第一共和政 (1792 - 1804)、第一帝政 (1804 - 1814)、ブルボン第一復古王政 (1814 - 1815)、ナポレオンの百日天下
(1815)、ブルボン第二復古王政 (1815 - 1830)、七月王政 (1830 - 1848)、第二共和政 (1848 - 1852)、第二帝政
(1852 - 1870)、第三共和政 (1870 - 1940)
このカニヴェが制作された1840年頃、フランスは七月王政の時代でした。七月王政期は、その直前の復古王政期に比べれば社会の近代化が多少なりとも進んだとはいえ、エスタブリッシュメント(ブルジョワジー)が社会を支配しており、フランス革命直後の第一共和政期や、二月革命
(1848) 後の第二共和政期に比べると、格段に保守的な価値観が力を持った時代でした。それゆえカトリック教会が社会に及ぼす影響も現在では考えられないほど強く、修道女になって一生のあいだ処女の純潔を守るようにと若い女性に呼び掛けるカニヴェが、本品をはじめ、数多く制作されました。
本品は150年以上前のアンティーク品ですが、良質の中性紙に刷られているために、紙質の劣化は見られません。レース状の縁にも破損は無く、稀少な完品です。アンティーク・エングレーヴィングの美しさのみならず、1840年代フランスの精神状況を色濃く反映する社会史的資料としても興味深い作例です。
カニヴェの価格 18,800円 (額装別)
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