日本趣味の切り紙による二面のカニヴェ 「イエスの神なる聖心よ。御身を拝し、御身を愛します」 ピウス七世による百日の免償 (ドプテ 図版番号不明)

O divin Cœur de JÉSUS, je vous adore, je vous aime, Dopter, numéro inconnu


108 x 66 mm

フランス  1860年代後半から 1870年代



 細密インタリオによるふたつの聖心、すなわち「イエスの聖心」と「マリアの聖心(汚れなき御心)」を、両面に刷った美麗なカニヴェ。1860年代後半から 1870年代のフランスで制作された作品で、日本趣味の草花文による切り紙細工が特徴です。このページ最上部に示したのは、カニヴェの両面を並置した合成写真です。カニヴェの数は一枚です。





 一方の面には中央にイエスの聖心を示します。聖画の下端、炎の縁に近いところに、カニヴェの版元ドプテの名前 (Dopter à Paris) が刻まれています。聖画の上下には、ビュラン(彫刻刀)による手彫りの文字で次の言葉を刻みます。言語はフランス語です。

     PRIÈRE    祈り
         
     avec Indulgence de 100 jours et une plénière une fois par mois accordée par Pie VII.    ピウス七世による百日の免償及び月一回の全免償付き
         
     Pour vous témoigner ma reconnaissance et pour réparer mes infidélités, je Chéri Tourné vous donne mon cœur, je me consacre entierement à vous; mon aimable JÉSUS, et moyennant votre assistance je me propose de ne plus pécher.    御身に感謝を表すために、また我が不実を償うために、私シェリ・トゥルネは、御身にわが心を捧げます。私自身をすべて御身のものとして聖別します。愛するイエスよ。御身の援けにより、今後はもう罪を犯さないと決心いたします。
     O divin Cœur de JÉSUS, je vous adore, je vous aime et vous invoque en union avec tous ceux qui vous aiment , pour tous les moments de ma vie, et surtout pour le moment de la tentation et de la mort. Ainsi soit-il.    イエスの神なる聖心よ。御身を拝し、御身を愛します。人生のあらゆる場面で、とりわけ誘惑と死の場面で、私は御身を愛するすべての人々とともに一致して、御身の援けを呼び求めます。アーメン。


 このカニヴェには、つけペンまたは羽ペンによって、「シェリ・トゥルネ」(Chéri Tourné) という男性名が丁寧に書かれています。おそらく告解の後、もう罪を犯さないという決意を自分の心に刻みつけるために、ペンを執って署名したのでしょう。

 「シェリ」(Chéri) というのはずいぶんと古風な名です。現代のフランス人に、この名前の人はまずいません。「シェリ」という語はもともと「シェリール」(chérir 「強く愛する」「大切に慈しむ」)という動詞の過去分詞で、男性単数形は "chéri"、女性単数形は "chérie"、男性形と女性形の発音はいずれも「シェリ」で同じです。この語は現代では「愛しい人」という意味の普通名詞になっていて、女性に対して「マ・シェリ」(ma chérie)、男性に対して「モン・シェリ」(mon chéri) という風に使われます。





 イエスの聖心はアルマ・クリスティ、すなわち救い主の受難を象徴する十字架と茨の冠を伴います。キリストの受難は人知を絶する神の愛の極点であり、十字架を突き立てられ、茨の冠に傷ついたキリストの心臓は、あまりにも強く激しい愛ゆえに炎を噴き上げています。

 イエスの聖心を描いた図像は、ほとんどの作例において、心臓の上部のみが炎を噴き上げています。しかるにこの聖画では、強烈な熱を伴う愛の炎が心臓全体から噴出しており、人の魂を焼き尽くす神の愛の烈しさを一層まざまざと感じさせます。




(上・参考画像) 石版による小聖画 「あなたの愛の火を、私たちのうちに灯してください」 123 x 73 mm サント・クレール、ヴェルサイユ 1940年代 当店の商品です。


 上の写真はヴェルサイユ(Versailles イール=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県)にかつて存在した聖クララ修道院 (Monastère Sainte Claire de Versailles) の小聖画で、大きく燃え上がる火と、鳩と思われる真っ白な鳥を多色刷り石版画で描いています。聖画の下部に書かれた「あなたの愛の火を、私たちのうちに灯してください」(Allume en nous le feu de ton Amour.) という言葉は、十字架の聖ヨハネ (San Juan de la Cruz, 1542 - 1591) の詩、「愛の活ける炎」("Llama de amor viva") を思い起こさせます。「愛の活ける炎」の内容を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。


    Canciones del alma en la íntima comunicación,
de unión de amor de Dios.
神の愛の結びつきについて、
神との親しき対話のうちに、魂が歌った歌
     
    ¡Oh llama de amor viva,
que tiernamente hieres
de mi alma en el más profundo centro!
Pues ya no eres esquiva,
acaba ya, si quieres;
¡rompe la tela de este dulce encuentro!
愛の活ける炎よ。
わが魂の最も深き内奥で
優しく傷を負わせる御身よ。
いまや御身は近しき方となり給うたゆえ、
どうか御業を為してください。
この甘き出会いを妨げる柵を壊してください。
         
    ¡Oh cauterio suave!
¡Oh regalada llaga!
¡Oh mano blanda! ¡Oh toque delicado,
que a vida eterna sabe,
y toda deuda paga!
Matando. Muerte en vida la has trocado.
  やさしき焼き鏝(ごて)よ。
快き傷よ。
柔らかき手よ。かすかに触れる手よ。
永遠の生命を知り給い、
すべての負債を払い給う御方よ。
死を滅ぼし、死を生に換え給うた御方よ。
         
    ¡Oh lámparas de fuego,
en cuyos resplandores
las profundas cavernas del sentido,
que estaba oscuro y ciego,
con extraños primores
calor y luz dan junto a su Querido!
  火の燃えるランプよ。
暗く盲目であった感覚の
数々の深き洞(ほら)は、
ランプの輝きのうちに、愛する御方へと、
妙なるまでに美しく、
熱と光を放つのだ。
         
    ¡Cuán manso y amoroso
recuerdas en mi seno,
donde secretamente solo moras
y en tu aspirar sabroso,
de bien y gloria lleno,
cuán delicadamente me enamoras!
  御身はいかに穏やかで愛に満ちて、
わが胸のうちに目覚め給うことか。
御身はひとり密かにわが胸に住み給う。
善と栄光に満ち給う御身へと
甘美に憧れる心に住み給う。
いかに優しく、御身は我に愛を抱かせ給うことか。






 この聖画は「グラヴュール・シュル・アシエ」(gravure sur acier)、すなわちスティール・エングレーヴィングによります。グラヴュール(エングレーヴィング)は主に線による細密インタリオですが、本品ではポワンティエ(pointillé スティプル、点描法の点)を多用し、聖心の曲面を線によるよりもいっそう滑らかに表現しています。非物体的な炎の表現にも、ポワンティエは適しています。一方、グラヴュールの線は硬質の表現に適しています。硬く鋭い棘を持つ茨の冠は、線を使って描写されています。茨に傷ついた聖心から滴る血の滴には、曲面の三次元性を表すのに適したポワンティエと、きらりと光る反射を表すのに適した線が併用されています。

 上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。点の密度を変化させることで明暗を調整し、滑らかな連続性を以て心臓の立体性を表現していることがわかります。





 もう一方の面には中央にマリアの聖心(汚れなき御心)を示しています。マリアの聖心とは神とイエスを愛する愛であり、神とイエスの愛をいわば分有 (PARTICIPARE) し、あるいは曇りなき鏡として神とイエスの愛を反映して、イエスの聖心と同様の烈しい炎を噴出しています。


 マリアは人間ですから、神の愛の炎に焼かれる立場にあるはずですが、炎に焼かれながらも燃え尽きず、却って自ら烈しい炎を噴き上げる様子は、「燃える柴」を連想させます。「出エジプト記」三章によると、モーセが羊の群れを追ってホレブの山に来たとき、燃えているのに燃え尽きない柴(灌木 背の低い木)を見ました。モーセが見た「燃える柴」は、神の独り子イエスを宿しながら体に害を受けなかったマリアの前表です。

 下に示したのはルネサンス初期のフランスの画家ニコラ・フロマン (Nicolas Froment, fl. 1461 - 1483) の作品で、燃える木のなかに現れた聖母マリアと幼子イエス、それを見上げて驚くモーセと、モーセに現れた主の使い(天使)を描いています。この作品において灌木は薔薇として表されています。薔薇は愛の象徴であり、原罪に傷つかないロサ・ミスティカ、無原罪の御宿りなるマリアの象徴です。


(下) Nicolas Froment, Le Buisson Ardent, 1476, 410 x 305 cm, Cathédrale Saint Sauveur, Aix-en-Provence




 カニヴェの聖画の上下には、ビュラン(彫刻刀)による手彫りで次の祈りが刻まれています。言語はフランス語です。

     PRIÈRE    祈り
         
     avec Indulgence de 100 jours accordée par Pie VI.    ピウス六世による百日の免償付き
         
     Bénie soit la sainte et immaculée conception de la bienheureuse Vierge MARIE mère de Dieu.    幸いなるおとめマリア、神の御母の、聖にして汚れなき御宿りは祝されよ。
     Sainte Marie mère de mon Dieu et Sauveur Jésus Christ, toujours Vierge, élevée au Ciel en corps et en âme, qui avez été conçue sans la tache du péché originel, priez pour moi maintenant et à l'heure de ma mort ; priez pour ma conversion, protégez-moi dans toutes mes entreprises ; soyez toujours ma consolation, prenez soin de mon salut ; j'ai mis en vous, après Dieu, toutes ma confiance. Mère de miséricorde qui n'avez jamais eu aucune tache de péché.    聖マリア、わが神にして救い主なるイエス・キリストの御母よ。肉体と魂において天に挙げられし御方、原罪の汚れ無くして宿り給える御方よ。いまも、死のときも、わがために祈り給え。わが回心のために祈り給え。私が為すあらゆることにおいて、援けを与え給え。常にわが慰めであり給え。わが救いのため計らい給え。以前もいまも、神に次いで御身を信じ、すべてお任せいたします。かつて罪に汚されたこと無き憐れみの御母よ。


 聖画の下端、炎の縁に近いところに、カニヴェの版元ドプテの名前 (Dopter à Paris) が刻まれています。





 ロゼール(rosaire 薔薇の花環、ロザリオ)に取り巻かれたマリアの心臓は、悲しみの剣に刺し貫かれて血と涙を流しつつ、イエスと神への激しい愛ゆえに炎を噴き上げています。ニコラ・フロマンの「燃える柴」にも描かれているように、ロゼールの薔薇は愛の象徴であるとともに、エヴァの子孫でありながら原罪に傷つかないロサ・ミスティカ(奇しき薔薇)、無原罪のマリアを象徴します。5世紀のラテン詩人セドゥーリウス (Cœlius/Cælius Sedulius, 5th century) は、「カルメン・パスカーレ」("CARMEN PASCHALE" 「復活祭の歌」)第二巻 28 - 31行で次のように謳っています。日本語訳は筆者(広川)によります。

    Et velut e spinis mollis rosa surgit acutis
Nil quod laedat habens matremque obscurat honore:
Sic Evae de stirpe sacra veniente Maria
Virginis antiquae facinus nova virgo piaret:
  そして嫋(たおやか)な薔薇が鋭い棘の間から伸び出るように、
傷を付けるもの、御母の誉れを曇らせるものを持たずに、
エヴァの枝から聖なるマリアが出で来たりて、
古(いにしえ)の乙女の罪を、新しき乙女が購(あがな)うのだ。


 心臓の上部には大輪の白百合が咲いています。白百合も聖母を象徴する花のひとつです。「雅歌」 2章 2節において茨に囲まれる百合は、中世西ヨーロッパの聖書解釈において、神に愛されるマリアを指すと考えられました。「雅歌」 2章 1節から 6節をノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。2節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。

  NOVA VULGATA      新共同訳 
1.  Ego flos campi
et lilium convallium.
    わたしはシャロンのばら、
野のゆり。
       
2. Sicut lilium inter spinas,
sic amica mea inter filias.
  おとめたちの中にいるわたしの恋人は
茨の中に咲きいでたゆりの花。
       
3. Sicut malus inter ligna silvarum,
sic dilectus meus inter filios.
Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi,
et fructus eius dulcis gutturi meo.
    若者たちの中にいるわたしの恋しい人は
森の中に立つりんごの木。
わたしはその木陰を慕って座り
甘い実を口にふくみました。
4. Introduxit me in cellam vinariam,
et vexillum eius super me est caritas.
    その人はわたしを宴の家に伴い
わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
5. Fulcite me uvarum placentis,
stipate me malis,
quia amore langueo.
    ぶどうのお菓子でわたしを養い
りんごで力づけてください。
わたしは恋に病んでいますから。
6. Laeva eius sub capite meo,
et dextera illius amplexatur me.
    あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ
右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。


 白百合が表す「神に選ばれた身分」、「徳と純潔」は、他の聖人たちの属性でもありますが、聖母に最も卓越的に当てはまります。百合は「摂理への信頼」の象徴でもありますが、この意味においても、「お言葉どおり、この身に成りますように」と答えたマリアの信仰を表しています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。肉眼で判別しがたいほど細かい線と点によって、形ある物の質感ばかりか、不定形の火や液体まで自在に表現する 19世紀のインタリオ(凹版)は、真に驚嘆に値します。





 本品の二面にはイエスの聖心とマリアの聖心を同等の丁寧さで描き、カニヴェの周囲の上辺中央に、イエスとマリアを一体にしたモノグラム(組み合わせ文字)を表現しています。すなわちこのモノグラムでは、マリアを象徴する「アウスピケ・マリアエ」(AM) と、イエスを象徴する十字架が組み合わされているのです。「アウスピケ・マリアエ」(AUSPICE MARIAE) とはラテン語で「マリアの庇護により」という意味です。

 切り紙細工は植物文様によって美しい曲線を描きます。植物文様を注意深く観察すると、カニヴェに多用される薔薇や白百合ではなく、西洋的なアカンサス(唐草)でもなく、菊、朝顔、桔梗(ききょう)、女郎花(おみなえし)、芙蓉(ふよう)の花々で構成されています。1860年代から70年代頃は、フランスに日本の美術品、工芸品が紹介され、大きな注目を集めた時代でした。この切り紙細工に見られる日本趣味は、本品の制作年代に関係しています。この時代のフランスに顕著な日本趣味は、やがてアール・ヌーヴォーへとつながってゆきます。


 新しく知られた異国の風物に関心を惹かれるのは、どの国、どの時代にも共通の人情でしょう。フランスの場合、十七世紀と十八世紀はシノワズリ(仏 la chinoiserie 中国趣味)の時代でした。中国から齎された交易品により、フランスの陶器や家具をはじめとする工芸品及び室内装飾は大きな影響を受けました。1738年にヘルクラネウム、1748年にポンペイが発掘されると、フランスの人々は古典古代、とりわけ古代ギリシアに熱狂しました。次いで十九世紀の初めには中近東がブームになり、ロマン派の芸術の題材として盛んに取り上げられます。

 その次に流行したのは、ジャポネズリまたはジャポヌリ(仏 la japonaiserie/japonnerie 日本趣味)です。1860年代のパリでは浮世絵版画が安価に出回り、これが印象派絵画と出会うことで、美術に新しい地平が開かれました。ゴーギャン、ロートレック、ボナールたちの画面に浮世絵の明らかな影響が現れるのは 1880年代から 90年代にかけてのことで、これと同時期に装飾美術を席捲しtた様式がアール・ヌーヴォーです。




(上・参考画像) イポリット・ルフェーヴル作 モンマルトルのサクレ=クールのバシリカ 祝別記念メダイユ 「フランスの支配権をキリストに捧げる悔悛のガリア」(1919年) 当店の販売済み商品


 このカニヴェが制作された1860年代後半から 1870年代は、フランスにおいて聖心の信心が大いに興隆しはじめた時代でした。ピウス9世がマルグリット=マリを列福したのは 1864年9月18日であり、三年後の1867年8月に発行された「イエズスの聖心のおとずれ」(Le Messager du Sacré Cœur de Jésus) 第12号では、マルグリット=マリが 1689年6月17日に書いた第98書簡が公開されました。パレ=ル=モニアルの聖母訪問会修道院院長に宛てたこの書簡において、マルグリット=マリは地上で辱めを受けたキリストが地上の君主に償いを求めていると述べた後、キリストが語ったという次の啓示を記しています。日本語訳は筆者(広川)によります。

     Fais savoir au fils aîné de mon sacré Cœur – parlant de notre roi – que, comme sa naissance temporelle a été obtenue par la dévotion aux mérites de ma sainte Enfance, de même il obtiendra sa naissance de grâce et de gloire éternelle par la consécration qu'il fera de lui-même à mon Cœur adorable, qui veut triompher du sien, et par son entremise de celui des grands de la terre.
 Il veut régner dans son palais, être peint dans ses étendards et gravé dans ses armes, pour les rendre victorieuses de tous ses ennemis, en abattant à ses pieds ces têtes orgueilleuses et superbes, pour le rendre triomphant de tous les ennemis de la sainte Église.
(Marguerite-Marie d'Alacoque, Lettre IIC, 17 juin 1689, Vie et œuvres, vol. II, Paray-le-Monial)
   わが聖心の長子(訳注 ルイ14世)に伝えよ。王は幼子イエズスの功徳によって儚(はかな)きこの世に生まれ出でたのであるが、崇敬されるべきわが聖心に自らを捧げるならば、永遠の恩寵と栄光のうちに生まれるを得るであろう。わが聖心は王の国を支配し、また王を仲立ちにして地上の諸君主の国々を征服することを望むからである。
 わが聖心は王の宮殿にて統べ治め、王の軍旗に描かれ、王の紋章に刻まれることを望む。そうすれば王はすべての敵に勝利し、驕り高ぶる覇者たちの頭をその足下へと打ち倒し、聖なる教会のすべての敵を征服するであろう。
(「マルグリット=マリの生涯と著作 第二巻」より、1689年6月17日付第98書簡)


 しかしながらルイ14世がこの啓示に耳を貸すことはなく、その後のフランスは革命と内乱で荒廃しました。マルグリット=マリへの啓示を 1867年になってようやく知った信仰深いフランス人たちは、聖心への信仰を深めました。1870年、フランスは普仏戦争に敗れ、それに続くコミューンの内乱でさらに大きな傷を負いました。

 1873年5月24日、ポワチエのピィ司教 (Louis-Édouard-François-Désiré Pie , 1815 - 1880) はフランスの霊的目覚めを呼びかけ、第三共和制のもとにカトリックの組織と世俗の組織がともに手を取り合って、国民の宗教心を刷新すること、悔い改めたフランス(ガリア)をイエスの聖心に捧げること (SACRATISSIMO CORDI JESU GALLIA PŒNITENS ET DEVOTA) を訴えかけました。「聖心に対するフランス奉献」を具体的な形で実現させるため、1870年以降、モンマルトルにサクレ=クール教会を建設することが議論され、1873年7月24日、モンマルトルにおける聖堂の建設は公共の事業であると宣言されました。カトリック教会はモンマルトルの聖堂の建設を「フランス国民の誓い」であるとし、1875年に建設が始まりました。「悔悛のガリア」の大きな波は、こうして次の世紀へと続いてゆくことになります。





 本品は 1860年代後半から 1870年代、わが国で言えば明治初年頃のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にかかわらず、たいへん良好な保存状態です。また保存状態よりも大切なのは芸術品としての完成度ですが、本品の聖画はいずれの面も丁寧で細密な点描法で制作されており、高い完成度を誇ります。このように細密な作品は、途中で「手が替わる」(作り手が交代する)と点の深さや密度が変わってしまうので、ひとりの版画家が最後まで仕上げています。優れた作品を完成させながら、版画家が署名を残していないのは、正教会のイコンに似ています。イエスの聖心と聖母の聖心を刻む作業そのものが、版画家にとって信心業であったのでしょう。







 当店ではご希望により別料金にて額装をご注文いただけます。上の写真に写っている額のサイズは縦 22.5センチメートル、横 18.5センチメートルで、付属の棒状金具を取り付けることで自立します。他の物に立てかけて使うことも可能です。額の価格は 4,500円(税込)です。





カニヴェの本体価格 24,800円 (額装別) 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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