アッシジの聖キアラ 1850年9月23日に発掘された地下墓所の塵(ちり) エンボスによる聖クララ会の封緘 64 x 42 mm


紙包みの概寸 64 x 42 mm


フランス  1850年代



 アッシジの聖キアラ(Chiara d'Assisi, c. 1193 - 1253)聖遺物を封入したルリケール。本品は紙製の封筒で、ルリケールの様式としては簡易ですが、年代が古いうえに、二度と手に入らない貴重な「塵」(ちり)を封入しています。


 中世のアッシジは、ヨーロッパの他の町と同様に、城壁に囲まれていました。サン・ダミアノ教会(聖ダミアノ聖堂)はアッシジの城壁外、旧市街の南にあり、十三世紀初頭には荒廃していました。アッシジのフランチェスコは、1205年、ここで祈っているときに、クルシフィクスに描かれたキリストから、「わたしの教会を建て直しなさい」との召命を受けました。フランチェスコは友人たちの協力を得てサン・ダミアノ教会を再建し、聖堂に隣接する建物に、フランチェスコに従うキアラが女子修道会を創設しました。

 聖キアラは 1253年8月11日の払暁に、サン・ダミアノのクララ会で亡くなりました。クララ会の修道女たちはキアラの遺体が修道院に安置されるように望みましたが、アッシジの行政長官はサン・ダミアノが城壁外であることを理由にしてクララ会修道院への埋葬を許さず、キアラの遺体は城壁内のサン・ジョルジョ教会(聖ジョルジョ聖堂)に移されました。サン・ジョルジョ教会はクララがフランチェスコの説教を聴いて回心した場所です。1255年9月26日、キアラは教皇アレクサンデル四世によって列聖され、間もなくサンタ・キアラ教会(聖キアラ聖堂)の建設が始まりました。聖キアラの遺体は、1260年10月3日、サン・ジョルジョからサンタ・キアラに移葬され、主祭壇の地下深くに石室を作って埋葬されました。

 フランス革命をはじめとする反教会的革命・改革や近代主義思想の普及により、十九世紀のヨーロッパでは聖地への巡礼や聖人に対する崇敬が下火になっていました。この風潮に対抗し、衰退しつつある聖地への関心を再び強めるために、カトリック教会は聖遺物(聖人の遺体)の修復を進めました。アッシジにおいても当時の司教により、聖キアラの遺体を発掘する決定が為され、サンタ・キアラで発掘作業が行われました。こうして1850年9月23日、聖女の遺骨は五百九十年ぶりに姿を現ました。地中の石室内は湿度が高かったので、白骨化した聖女の遺体も湿り、小さな骨は脆くなっていましたが、全身の骨が残っていました。1864年、聖女の遺骨は保存処理を施したうえで、綿花と蝋で肉付けされ、生前の姿が再現されました。1872年9月29日、綿花と蝋で肉付けされた聖キアラの遺骨は、後に教皇レオ十三世となるペッチ枢機卿により、サンタ・キアラのクリプトに移葬されました。その後、像に使用された綿花が湿気を含むせいで遺骨の劣化が進行したので、1986年から87年にかけて再び保存修復作業が行われましたが、遺骨はそのままクリプトに安置されて現在に至ります。





 本品は1850年代頃の品物です。紙包みの表(おもて)面には、内容物の説明がフランス語で書かれています。

     POUSSIÊRE du tombeau de pierre d'ou fut ôté le 23. Septembre 1850, le Corps de Sainte CLAIRE D'ASSISE Vierge et Fondatrice    1850年9月23日、おとめ(処女)なる修道会創設者、聖キアラの遺体が、石室から取り出された。これはその石室から採取した塵(ちり)である。



 本品は紙製の封筒で、ルリケールの様式としては最も簡易ですが、封入されている聖遺物は貴重です。手に入る聖遺物のほとんどは、聖人の遺体に触れさせた布片や、棺の上に置いた紙片等であり、これらは量を限らず作ることができます。しかしながら本品に封入されている塵(ちり)は、五百九十年に亙って聖女を守り続けた石室が、1850年9月23日に掘り当てられた際に集められたものです。石室はサンタ・キアラ聖堂の主祭壇の地下深くに位置し、聖女の遺骨を取り出した後には速やかに埋め戻されたはずです。したがって石室内の塵は、二度と手に入れることはできません。

 キアラの遺体が納められた最初の棺がどのようなものであったか、詳しいことを筆者(広川)は知りません。しかしながらクララ会は清貧の特権(仏 il privilegio della povertà)で知られる貧しき修道女の会であり、修道会の創立者であるキアラの棺も粗末な木棺であったに違いありません。そのような木棺を湿度の高い地下の石室に置き、五百九十年ものあいだ管理せずに放置すれば、棺の木も、遺体の軟部もともに分解されて原形を留めません。したがって石室内の塵には、腐朽した木棺由来の有機物や、聖女の身体が分解されてできた有機物が含まれています。聖人の遺体に触れた布や、聖人の墓所で集めた砂などに比べると、本品はこの点で性質が大きく異なります。





 封筒の裏側は、聖クララ会のエンボス(型押し)で封緘されています。本品は百六十年以上前のものであり、古びていますが、封筒は良質の中性紙でできているために酸性紙のような劣化は一切無く、聖遺物を封入したまま、完全な状態で残っています。

 エンボスされた印は聖キアラが聖体顕示台を示している姿で、聖女からは天上の光が発出しています。聖女の名前「キアラ」(chiara)はイタリア語で「明るい」という意味です。この語はラテン語「クラーラ」(CLARA)に由来しますが、「クラーラ」はゲルマン語「クリア」(英 clear)と同系で、輝くように澄んだ明るさを意味します。聖遺物が発する不可視の光、あるいは輝ける聖女キアラを通して神と救い主から発出する愛の光が、この図像に形象化されているように感じられます。





 本品は百六十年以上前に作られた真正のアンティーク品ですが、長い間に亙って一度も開封されておらず、保存状態は極めて良好です。特筆すべき問題は何もありません。





19,500円 販売終了 SOLD

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