パリから明治の日本へ 神戸異人館街 オペネメール商会 銀無垢ケースの商館時計 スイス 十九世紀末から二十世紀初頭


ケースのシリアル番号: 59938


突出部分を除くケースの直径 56.8ミリメートル

時計全体の最大の厚さ 18.6ミリメートル  重量 126.5グラム



 堂々たる風格の、高級感ある商館時計。極めて良好な保存状態です。この時計のムーヴメントは現状売りとなります。

 「商館時計」とは、明治時代の横浜や神戸で、居留地や雑居地に支店を構えた欧米の商社が輸入した大型懐中時計のことです。商館(商社)は時計を制作したのではなく、輸入しただけですが、ケースまたはムーヴメントには、商会の名前や商標の刻印が見られます。商館時計が輸入・販売された当時の価格を現代の貨幣価値に換算すると、一個数百万円という高価な品物でした。商館時計は立派な作りで、実用品であるとともに、富裕な男性のアクセサリーでした。





 本品は横浜と神戸に店を構えていたフランスの商社、オペネメール兄弟商会が、スイスから日本に輸入した品物です。

 オペネメール兄弟商会(Oppenheimer frères, 21,23,25, rue de Cléry, Paris)は、1870年にパリで創業しました。オペネメール兄弟とはパリの本店に残る M. オペネメール(M. Oppenheimer)と、日本で仕事をする I. オペネメール(I. Oppenheimer)の二人です。I. オペネメールは 1874年、横浜居留地七十一番地にオフィスを設けました。1876年まで一人で働いた後、 1877年に三名のフランス人社員を雇い入れ、その後も社員が増えたので、翌 1878年には同居留地百八十六番地、1882年には同居留地十三番地にオフィスを移しています。また 1880年には神戸にも店を構えています。

 オペネメール商会がいつまで存続したのか、正確なことを筆者(広川)は知らないのですが、1970年11月12日に神戸オリエンタルホテルで創業百周年記念パーティーを開くとの告知が、前日(1970年11月11日)の「毎日デイリーニューズ」関西版第四面左下隅、「人と催し」の欄に載っています。横浜ではなく神戸でパーティーを開いていることから判断すると、いつかの時点で日本における本店機能を神戸に集約したものと思われます。「毎日デイリーニューズ」の告知記事を引用します。元の記事は英文で、日本語訳は筆者によります。

     People & Events    人と催し
         
      Oppenheimer & Cie, Ltd., a trading firm located at 35 Nishimachi, Ikuta-ku, Kobe, will celebrate the centenary of its operation at a reception at the Oriental Hotel, Kobe, Thurs., Nov. 12 beginning at 6 p. m. President RENE A. BICKART will receive the guests.     オペネメール商会(神戸市生田区西町三十五番地) 創業百周年記念パーティー 11月12日午後六時 神戸オリエンタルホテル宴会場 同社社長ルネ・A・ビカール氏出席 


 神戸市生田区(現中央区)西町三十五番地は大丸神戸店から道を隔てて海側、ジーニアス・ギャラリーの西隣の地番です。1970年当時ここにあったビルは取り壊され、現在は三井神戸ビルが建っています。神戸オリエンタルホテルは格式がある美しい建物で、神戸港に入る船舶のために、屋上に灯台を設置していました。筆者は学生時代、このホテルでアルバイトをしたことがあります。神戸オリエンタルホテルの灯台がある建物は、阪神大震災で被災して取り壊されてしまいました。

 ちなみにこの日の「毎日デイリーニューズ」関西版は、フランス政府が前日に発表したシャルル・ドゴールの逝去を第一面に掲載し、別の面では神戸の外国人社会の反応を報じています。スウェーデン国王グスタフ六世の八十八歳の誕生日を祝う記事、神戸市の人口が 1,288,697人になったことを報じる記事、神戸海洋気象台の紹介記事なども載っています。「人と催し」と同じ面には、大阪万国博覧会の跡地が取り壊される様子が報じられています。





 この時計は神戸にあった品物です。明治中期の神戸には鈴木商店や川崎重工のような大企業があり、実業に携わる富裕な日本人も大勢住んでいました。御影周辺にはわが国で最も富裕な邸宅街があり、阪神間モダニズムを牽引しました。本品はそのような顧客のために輸入されたのでしょう。




(上) 神戸港第四突堤に停泊中の外航客船 キュナード・ラインの《クイーン・エリザベス》 喫水二十六フィート


 神戸は明治時代になって新しく作られた港ですが、水深が深く、最大級の汽船が接岸可能です。また急峻な六甲山系の湧水は有機物をほとんど含まないため、長期に亙って腐敗しないミネラル・ウォーターを供給できます。これらは外国航路の港として非常に優れている点です。関西では大阪にも外国人居留地がありましたが、大阪居留地の外国商社も、最終的にはすべて神戸居留地に移って来ました。さらに兵庫県には、当時最重要の輸出品であった絹糸と絹織物を産する但馬(たじま)と丹波(たんば)、及び米の大産地であるゆえに富裕で、港湾・都市整備の財源を提供できる播磨(はりま)がありました。このような地の利ゆえに、神戸は外国航路の港として大いに発展しました。絹糸及び絹織物の産地に近かった点は、横浜港に似ています。神戸の開港は横浜よりも遅れましたが、明治元年の元日に開港すると、平安時代から繁栄を続けてきた兵庫港の賑わいを、すぐに追い越しました。

 当店(アンティークアナスタシア)の所在地である神戸市中央区北野町と、北野町に隣接する山本通は、多数の外国商社があった明治時代の雑居地で、現在でもところどころに当時の建物、いわゆる異人館が残っています。オペネメール商会の建物は愛知県犬山市の明治村に移築されていますが、もともとは当店からほど近い山本通にありました。この時計はヨーロッパから大型汽船で神戸に運ばれ、百年以上の間ほぼ同じところに留まり、動き続けてきたことになります。





 時計内部の機械を「ムーヴメント」(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)を「ケース」(英 case)といいます。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、男性の間で大型の懐中時計が流行していました。本品をはじめ、商館時計はいずれも立派なサイズで、突出部分を除くケースの直径は 56.8ミリメートル、風防を含む最大の厚さは 18.6ミリメートルに達します。重量は 126.5グラムで、手に取ると心地よい重量を感じます。


 本品のケースはめっきではない銀で制作した銀無垢(ぎんむく)です。銀の表面はところどころが硫化して黒ずんでいます。硫化銀の黒ずみは「古色」(パティナ)と呼ばれ、真正のアンティーク品が長い年月をかけて獲得した風合いです。私はこの風合いが好きなので、ケースをクリーニングしていません。しかしながら新品のように輝くほうがお好きであれば、硫化銀の黒ずみはいつでも簡単に落とせます。


 本品のケースは、文字盤を覆う蓋の無いオープン・フェイスというタイプです。風防はミネラル・ガラス製で、写真ではわかりづらいですが、なだらかなドーム状に隆起しています。

 お客様によっては蓋付のハンター型懐中時計が好きな方もおられますが、当店はハンター・ケースの懐中時計を極力扱わないようにしています。ハンター・ケースにはいくつかの短所があって、最大の短所はガラスが非常に割れやすいことです。ハンター式懐中時計のガラスは、蓋を閉じる邪魔にならないように、平坦かつ極端に薄く作られています。厚さは一ミリメートルに足りません。それゆえ、たとえばガラスに触れてしまった場合、汚れを拭おうとして不用意に触れると、それだけで割れてしまいます。これはオープン・フェイス式懐中時計には起こり得ないことです。ハンター・ケース式懐中時計はガラスを保護するために蓋が付いているわけですが、その蓋を閉じるために極めて薄くなったガラスは、オープン・フェイスのガラスよりも格段に割れやすくなっています。

 さらに、ハンター・ケースの懐中時計のガラスが割れた場合、交換することができません。百年以上前、多くの男性が懐中時計を使っていた時代には、ハンター式懐中時計のガラスも数多く作られて、割れればいつでも交換できました。しかしながらそれらのガラスはもはや作られていません。時計用ガラスのサイズは直径 0.1ミリメートル単位で合わせるのですが、ハンター・ケースの場合は直径のみならずガラスの厚みやカーブもケースの蓋に合致させる必要がありますので、アンティークのハンター式懐中時計に適合するガラスを見つけることは、ほぼ不可能です。





 ハンター式懐中時計は格好が良いのですが、実用に際してこのような短所があります。当店はお買い上げ後の修理にできるだけ対応したいと考えているゆえに、ハンター式懐中時計は極力扱わないようにしています。これに対して本品のようなオープン・フェイス型懐中時計は風防(ガラス)が分厚く、丈夫ですので、大切に扱ったつもりなのに割れてしまうというような心配はありません。





 本品の文字盤は琺瑯(ほうろう)文字盤です。琺瑯文字盤は「瀬戸引(せとびき)文字盤」とも呼ばれ、金属製円盤に不透明白色ガラスのエマイユを施したものです。金属が温度変化で膨張・収縮する一方、ガラスの体積は温度変化の影響をほとんど受けません。またガラスは金属と違って靭性(じんせい 伸び縮みに対する耐性)に劣ります。そのため歪(ひずみ)や衝撃に弱く、硬くても簡単に割れてしまいます。アンティーク懐中時計の琺瑯文字盤は、大抵の場合、長い歳月を経るうちに表面に亀裂が入ったり、縁が欠けたりしています。しかるに本品の文字盤は驚くほど優れた保存状態で、瑕疵(かし キズ、欠点)がまったくありません。一箇所のヘアライン(微細な亀裂)もフリーバイト(縁によく見られる極小の欠け)も無く、新品として作られたときのままの状態です。よほどうまく作られた文字盤であるうえに、これまで大切に扱われてきたことがわかります。

 文字盤の周囲十二か所にある「長針五分ごと、短針一時間ごと」の数字を「インデックス」(英 index)といいます。本品のインデックスは黒色のローマ数字で、非常に綺麗に書かれています。当時の時計のインデックスはすべて手書きされていました。本品のインデックスも、熟練の専門職人による神業のような技術で書かれています。

 ローマ数字の文字盤では四時を表すのに四本のイー(I ラテン語読み)を並べることが多くありますが、本品でも同様の表記法が採られています。





 現代の時計の秒針は「中三針式」(なかさんしんしき)あるいは「センター・セカンド式」といって、短針、長針と同様に、時計の中央に取り付けられています。これに対して懐中時計の秒針は、ごく少数の例外を除き、「小秒針式」(スモール・セカンド式)といって、六時の位置に取り付けられています。時計の中央に秒針を取り付ける方式のムーヴメントを製作するのは技術的に困難で、中三針式は 1960年代以降にようやく普及します。それ以前の時計はほとんどすべて小秒針式です。本品の場合も、文字盤の六時の位置に、小秒針用の小さな文字盤が設けられています。

 短針、長針、秒針は良好な状態で、折れ、曲がり、錆(さび)等の問題は何もありません。針はいずれもこの時計の新品時から付属しているオリジナルです。短針と長針は三角翼を有するユニークな形状で、途中に円盤状装飾があり、ここには銀色の箔が張られています。銀色の円盤は中心を通る線で四等分され、ローズ・カットのダイアモンドを連想させます。


 なお針の円盤部分に実際にダイアモンドが嵌っていないことを不足に思われる方がおられるかもしれませんが、まともなサイズとカットのダイアモンドを時計の針に嵌め込むことはできません。

 宝石には鉱物種ごとに固有の分散度(英 degree of dispersion)を有します。ダイアモンドの分散度は 0.044で、これはたいへん高い値(あたい)です。ベニトアイトの分散度はダイアモンドと同等で、スフェーンとスファレライトの分散度はダイアモンドに勝りますが、ベニトアイトは産出量が極端に少なく、スフェーンとスファレライトは指輪にするにはひっかき硬度(モース硬度)が低いので、いずれも宝石商にとって利益をもたらしにくい石です。しかるに炭素でできていていくらでも採れるダイアモンドは大量販売が可能で、大きな利益をもたらします。実用的な指輪を作れる硬度を有し、分散度が高く、収益性も良い鉱物はやはりダイアモンドで、売り手、買い手の双方に人気があるのも頷けます。

 ダイアモンドの分散を最大限に引き出すカットは、角度が厳密に決まっています。この角度を守らずに浅くカットすると、クラウン側から入射した光はパヴィリオン(ガードルよりも下側)を突き抜けてしまい、石の向こう側が見える「フィッシュ・アイ」(英 fish eye)の状態になります。宝石に入射した光が石の内部で反射しないのですから、分散はなおさら起こりません。

 時計の針に実際に宝石を嵌め込もうとすれば、短針に嵌められる石の下面は文字盤及び小秒針との接触を避けなければなりませんし、短針に嵌められる石の上面は長針との接触を避けなければなりません。また長針に嵌められる石の下面は短針との接触を避けなければなりませんし、長針に嵌められる石の上面は風防の下面との接触を避けなければなりません。それゆえ宝石の厚みは小魚の鱗のような薄さにならざるを得ません。しかるにダイアモンドは正しい厚みと角度にカットしてこそ価値がある宝石です。したがって小魚の鱗のようなダイアモンドを嵌め込んでも、実質的な意味が無いのです。





 本品を文字盤側から見ると、ケース外縁の十二時と一時の間に小さな出っ張りがあります。これは「ダボ押し式時刻合わせ」のためのボタンです。1920年代よりも後に作られた時計は、竜頭(りゅうず ツマミ)を引き出して回すことにより時刻合わせを行いますが、二十世紀初頭以前の懐中時計には、時刻合わせをするのに何種類もの方式がありました。本品は「ダボ押し式」といって、直径二ミリメートルほどのボタンを爪で押し込み、そのままの状態で竜頭を回転させると針が早回しできて、時刻を合わせることができます。「ダボ押し式」のボタンを押し込まずに竜頭を回転させると、ぜんまいが巻けます。

 アンティーク懐中時計はすべて手巻き式で、電池ではなくぜんまいで動いています。本品のような懐中時計には、ケースから突出した部分の先端に球状のつまみがあります。このつまみを竜頭(りゅうず)といいます。手巻き式時計のぜんまいは、竜頭を指先でつまみ、回転させることによって巻き上げます。したがって竜頭に過度の摩耗が無く、良い状態であることは大切なポイントです。竜頭が摩耗していると、ぜんまいが巻けず、時計を使うことができません。本品の竜頭は全くと言ってよいほど摩耗しておらず、たいへん良い状態です。長く愛用して竜頭が摩耗すれば、当店で交換することが可能です。

 ボウ(竜頭の部分に取り付けられている環)に関しても緩みは無く、良い状態です。商館時計の多くには、刀の鍔(つば)、あるいは薄い算盤珠のような突起が、ボウの左右二箇所に付いています。少なくとも筆者の記憶の範囲では、この突起は商館時計にしか見られません。欧米で販売された懐中時計のボウに、このような突起が付いているのを見たことがありません。本品のボウにもこの突起が取り付けてあり、いかにも商館時計らしい特徴となっています。

 十二時にあるケースの突出には、竜頭の少し下に小さなくぼみがあります。くぼみは上の写真に写っています。このくぼみは小さくて形状がわかりにくいですが、かつてスイスにおいて 800シルバー(純度 800/1000の銀)を表していた「雷鳥」のホールマーク(貴金属の検質印)です。同じホールマークは裏蓋の内側にも刻印されています。





 本品の裏蓋には多数の曲線を組み合わせた模様が彫られています。このような彫金模様をフランス語でギヨシまたはギヨシェ(仏 guillochis, guilloché 「ギョーシェ彫り」)、これを制作する技術をギヨシャージュ(仏 guillochage)といいます。ギヨシャージュは熟練したグラヴール(仏 graveur)が彫刻刀を使って行う美しい彫金細工です。





 時計ケースのベゼル(風防を嵌め込んだ金属の枠)と裏蓋は、腕時計の場合、ムーヴメントの枠となるケース本体から完全に分離しています。しかるに懐中時計では、ベゼルと裏蓋が蝶番(ちょうつがい)によってケース本体とつながっている場合が多くあります。本品のケースも、そのような構造になっています。

 懐中時計の蝶番は、ベゼル側も裏蓋側も、ちょうど直角まで開くのが本来の状態です。本品の蝶番にはいかなる不具合もなく、いずれの側も直角に開きます。





 竜頭をケースに向かって押下すると、裏蓋がバネ仕掛けで開きます。

 裏蓋の内側中央部分には、二羽の鶴をあしらった和風の意匠が大きく刻印されています。二羽の鶴によるこの意匠は、オペネメール商会が 1895年8月5日にパリで登録した商標です。ちなみに 1886年6月24日以降、オペネメール商会は鳳凰、三羽の鶴、騎乗の神功皇后など、和風の意匠を時計の商標として追加登録しています。オペネメール商会はヨーロッパの時計を日本に輸入する一方で、日本と中国の美術品を神戸と横浜からフランスに向けて輸出していました。同商会がパリで登録した和風の商標には、日本美術に対する深い愛着がうかがえます。

 鶴の商標の下に並ぶ数字は、ケースのシリアル番号です。商標の向かって左に刻印された "0.800" は銀の純度で、八百パーミル(八十パーセント、800/1000)を示します。向かって右に刻印された小さな雷鳥は、八百パーミルの銀を示すスイスのホールマーク(貴金属の検質印)で、竜頭の下の刻印と同じものです。





 裏蓋を開くと、ダスト・カバー(ムーヴメントを埃から守る内蓋)が見えます。

 鍵巻き式懐中時計は、裏蓋を開いて鍵穴に鍵を差し込み、ぜんまいを巻く必要があります。したがって鍵巻き式懐中時計の裏蓋は、ユーザーが簡単に開くことができます。しかしながら精密機械である時計は埃が大敵ですから、鍵巻き式懐中時計のムーヴメントは、金属製のダスト・カバーに覆われています。鍵巻き式懐中時計の裏蓋を開けても、ムーヴメントを見ることはできません。

 鍵巻き式でない懐中時計、つまり竜頭を回転させてぜんまいを巻きあげるステム・ワインド式の懐中時計は、たいていの場合、ユーザーが裏蓋を開けられない構造になっています。ステム・ワインド式懐中時計の裏蓋が比較的容易に開く場合、ムーヴメントは金属製ダスト・カバーに覆われているか、そうでない場合はフル・プレート式と言って、内部に埃が入りにくいように、表面全体が板状の金属部品で被われています。したがってステム・ワインド式の懐中時計は、いずれの場合も脱進機や輪列の精妙な動きを見ることはできないのが普通です。





 しかしながら本品をはじめとする商館時計はステム・ワインド式で、裏蓋を開ける必要が無いにもかかわらず、裏蓋は容易に開きます。そして鍵巻き式懐中時計と同様にダスト・カバーを有しますが、このダストカバーはガラス張りになっていて、ムーヴメントの美しい動きを見ることができます。ガラス張りのダストカバーは、実用品であるとともに、「眺めて愛(め)でる時計」でもあった商館時計の特徴です。





 本品のムーヴメントはシリンダー式で、錆も無く綺麗な状態です。シリンダー式脱進機はクラブトゥース式脱進機ほどの精度が出ないと言われますが、日常の使用には差し支えません。赤く見えているのはルビーです。

 ムーヴメントの受け(ブリッジ 地板とともに輪列を支える大型部品)には、フランス語でフォース・コート(fausses côtes)あるいはコート・ド・ジュネーヴ(côtes de Genève)と呼ばれる装飾が施されています。フォース・コート(コート・ド・ジュネーヴ)の装飾は、回転する小円盤で金属の表面に研磨を施すことで産み出されます。







 本品には懐中時計用の組紐と小さな方位磁石が付属しています。組紐と磁石はもともと本品に付いていたもので、いかにも明治の日本で使われていた時計にふさわしいアクセサリー(付属品)です。





 本品はおよそ百二十年前にスイスで制作され、神戸と横浜に店を構えるオペネメール商会によって日本に輸入された時計です。たいへん古い品物ですが、保存状態は不思議なほど良好です。ケース、竜頭、文字盤、針など、外見からわかる部分はすべて当時のままですが、美観上及び機能上の問題は何もありません。機械の状態もきわめて良好であり、天符は大きな振り角で順調に動作しています。





189,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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