薫り高いすずらんの花を、日本風の浮き彫りで表した銀無垢ペンダント。十九世紀末から二十世紀初頭のフランスを風靡したアール=ヌーヴォー様式の品物です。
本品は円形ではなく、ところどころがくびれた有機的な形状で、八つの花を付けた一株のすずらんが、円環状の曲線を描いてペンダントの周囲を飾っています。浮き彫りにされたスズランの全体的な形態には、日本式あるいはアール・ヌーヴォー式の様式化が認められますが、一枚一枚の葉、花茎、一つ一つの花は極めて写実的であり、メダイユ彫刻の国フランスならではの優れた作品に仕上がっています。
上部の孔のすぐ下に刻印された「テト・ド・サングリエ」(仏 tête de sanglier イノシシの頭)は、純度八百パーミル(800/1000)の銀を示すパリ造幣局のポワンソン(仏
poinçon 貴金属の検質印)です。中央のスペースにはイニシアル等を彫れるようになっていますが、本品には何も彫られておらず、ほぼ未使用品の状態です。突出部分にも全くと言ってよいほど摩滅がありません。
すずらんは百合の一種と考えられ、「雅歌」二章一節にある「リーリウム・コンヴァッリウム」(LILIUM CONVALLIUM ラテン語で「谷間の百合」)はスズランのことであると考えられました。それゆえスズランは、白百合と同様に、聖母の花ともなりました。「雅歌」二章一節から六節を、ノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。二節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。
NOVA VULGATA | 新共同訳 | ||||
1. | Ego flos campi et lilium convallium. |
わたしはシャロンのばら、 野のゆり。 |
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2. | Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. |
おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 |
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3. | Sicut malus inter ligna silvarum, sic dilectus meus inter filios. Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi, et fructus eius dulcis gutturi meo. |
若者たちの中にいるわたしの恋しい人は 森の中に立つりんごの木。 わたしはその木陰を慕って座り 甘い実を口にふくみました。 |
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4. | Introduxit me in cellam vinariam, et vexillum eius super me est caritas. |
その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。 |
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5. | Fulcite me uvarum placentis, stipate me malis, quia amore langueo. |
ぶどうのお菓子でわたしを養い りんごで力づけてください。 わたしは恋に病んでいますから。 |
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6. | Laeva eius sub capite meo, et dextera illius amplexatur me. |
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。 |
フランスでは五月一日に「幸運の印」であるスズランを贈り合います。スズランをもらった人には幸運が訪れるのです。これはルネサンス期の国王シャルル九世(Charles
IX, 1550 - 1561 - 1574)にまで遡る古い風習で、現在のフランスでは六千万本ものスズランが5月1日に販売されます。
本品はそのままでは萎(しお)れてしまう生花のすずらんを銀で造形し、永遠の命を与えたペンダントです。浮き彫りの表面は半艶消し処理がされており、清らかな光を柔らかく反射するさまは、生花のスズランが放つ清潔で優しい芳香を思い起こさせます。
ペンダントの直径は一円硬貨よりも少し大きめの二十二ミリメートル、重量は三グラムです。銀は鉄や銅よりも比重が大きい金属ですが、本品はそれほど分厚く作られていませんので、快適にご愛用いただけます。
銀製品は着用していれば表面が自然に磨かれるので、黒ずむことはありません。しばらく使わずにしまっておくとくすみを生じ、着用したまま温泉に浸かると銀が硫化して表面が黒ずみます。しかしながらそのような場合であっても練り歯磨きをブラシに付けて軽くこすれば、ペンダント表面の硫化銀は容易に除去できます。
本品はおよそ百年前に作られた真正のアンティーク品ですが、保存状態は極めて良好で、細部まで製作当時のまま残っています。特筆すべき問題は何もありません。