19世紀後半から20世紀初頭頃のフランスで制作された手描きミニアチュール(細密画)。メトロポリタン美術館が収蔵するサー・トーマス・ローレンスの名画「カルマディの子どもたち」("The Calmady Children", 1823) を、超絶技巧ともいうべき細密画のテクニックで複製したものです。
【サー・トーマス・ローレンスと、この細密画の原作「カルマディの子どもたち」について】
(上) トーマス・ローレンスの自画像 1790年代 オックスフォード、アシュモレアン・ミュージアム蔵
イギリスの肖像画家サー・トーマス・ローレンス (Sir Thomas Lawrence, 1769 - 1830) は同時代のヨーロッパにおいて最も高名な画家のひとりであり、並ぶ者なき最高の肖像画家として、ヨーロッパ中の宮廷で活躍しました。
サー・トーマス・ローレンスは 1830年に急死しましたが、晩年に当たる1823年に、デヴォン地方長官チャールズ・カルマディの幼い令嬢たち、すなわち当時五歳のエミリー (Emily Calmady, 1818 - 1906) と、三歳のローラ・アン
(Laura Anne Calmady, 1820 – 1894) を描いた「カルマディの子どもたち」("The Camaldy Children", 1823) を制作しました。これはトーマス・ローレンスが描いたなかで、おそらく最もよく知られた作品ですが、トーマス・ローレンス自身もこれを自身の最高傑作と考え、この作品によって後世に記憶されたい、との言葉を残しています。
トーマス・ローレンスの作品を最も多く収蔵するのは、イギリス王室のコレクション、及びロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリー(ナショナル・ギャラリーの別館)です。しかしながらトーマス・ローレンスは故国イギリスよりもアメリカ合衆国やフランスでいっそう高く評価された時期があり、このため「カルマディの子どもたち」("The Calmady Children", 1823) を含む最も重要な作品の幾つかは、アメリカとフランスに所在しています。
【この細密画について】
本品は「カルマディの子どもたち」に基づくミニアチュール(細密画)で、原画の主要部分をおよそ十分の一に縮小して描いています。画面の形状を円から長方形に変更するのに伴い、絵全体がいっそう自然にまとまった仕上がりとなるように、ローラ・アンの左手をエミリーの後ろに回し、またローラ・アンが身にまとう布の色を白から淡いローズ(ピンク)に変更して、画面に温かさと華やぎを加えています。
本品の細部を拡大すると、小さなサイズにもかかわらず、大型の油彩作品と同等の手間をかけて制作されていることがわかります。たとえば少女たちは髪の色が異なりますが、それぞれの髪は五、六色以上の色数を使って描かれています。瞳孔と虹彩、唇などの細部にも多くの色調が使われて、片時も静止すること無く子供のうちに育ちゆく躍動的な生命の輝きが、巧みに写し取られています。
小さな絵の細密さにさまざまな段階がありますが、本品は「ミニアチュール」(細密画)の名に真に値します。下の写真に写っている定規のひと目盛は1ミリメートルです。令嬢たちはふたりとも整った顔立ちですが、目、鼻、口はいずれも幅2ミリメートルほどであることがお分かりいただけます。
この絵はかつて画材に多用された象牙の薄片に描かれています。象牙を薄片に切り出す際に付く鋸(のこぎり)の痕を木づちで叩いて消し去り、下地の表面を完全に滑らかにすることによって、子供たちの輝くように明るい肌を、筆の跡も判別できないほど丁寧な描き方で仕上げています。
またこの作品は人工的な輪郭線を用いない「スフマート」(sfumato イタリア語で「ぼかし」)の描法を採用しています。目鼻立ちや髪の写実的な仕上げ、くすみなく輝く滑らかな肌、輪郭線の無いスフマートのせいで、この作品はあたかも写真と見まがうような、あるいは生身の少女たちを眼前にするかのような、自然な仕上がりとなっています。
本品の原画となった「カルマディの子どもたち」はトーマス・ローレンスの代表作であり、人気がある美しい絵ですので、写真製版による印刷物も含めて、これまでに数多くの複製が作られています。しかしながら本品は肉筆画であり、ミニアチュール画家の創意を取り入れた「一点もの」の芸術作品に仕上がっています。
一口に肉筆のミニアチュールと言ってもその出来栄えは様々ですが、本品は私自身が心から欲しいと思える優れた出来栄えの品物で、自信を持ってお薦めできます。