スティール・エングレーヴィング 「紅海とスエズ」
The Red Sea and Suez
原画の作者 J. M. W. ターナー (Joseph Mallord William Turner, R.A. 1775 - 1851)
版の作者 E. F. フィンデン (Edward Francis Finden, 1791 - 1858)
画面のサイズ 縦 92 mm 横 139 mm
イギリス 1836年
≪この版画のエングレーヴァーについて≫
この版画のエングレーヴァー、エドワード・フランシス・フィンデン(Edward Francis Finden, 1791 -1858)とその兄ウィリアム・フィンデン(William
Finden, 1787-1852)は19世紀イギリスでもっとも優れたエングレーヴァーで、数々の本や美術誌「アート・ジャーナル」 (The Art Journal) の美しい挿絵で知られています。
1833年から数年間にわたって製作・発表したバイロン(Lord Byron, 1788-1824)のシリーズ、また1838年から15部に分けて発表された「ギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アート」
(Gallery of British Art, 1838-1840)は版画史上に大きな足跡を残しています。
≪この版画について≫
ウィルキンスン(J. C.
Wilkinson)のスケッチに基づいてスエズの岸辺を描いたターナー作品のエングレーヴィング。
スエズは紅海の北端、スエズ湾最奥部にあり、1859年から1869年にかけてスエズ運河が建設されて以来その紅海側の入り口として重要な役割を果たしていますが、この絵が描かれた当時は小さな村にすぎませんでした。
紅海は古くは沿岸の地名に基づいて「エドムの海」と呼ばれていました。ところがエドムという語はヘブル語で赤いという意味でもあるので、地名のエドムをこの意味に解したギリシア人の誤訳によって「赤い海」という名前が定着したといわれています。紅海の水が赤いわけでも海底の色が赤いわけでもありません。
紅海は出エジプトの奇蹟によっても知られています。モーセが当時エジプト社会のなかで奴隷の地位にあったイスラエル民族を率いてエジプトを脱出すると、ファラオ(新王国第19王朝のセトス1世あるいはラムセス
2世、いずれも紀元前1300年前後)は自ら軍勢を率いてモーセたちを追跡しました。モーセが杖を高く上げ海に向かって手を差し伸べると海が左右に開いて、イスラエル人たちは紅海を歩いて渡ることができました。ファラオの軍勢もあとを追ってきましたが、海を渡り終えたモーセが再び海に向かって手を差し伸べると水は元通りになり、エジプトの全軍は海に呑み込まれたと言われています。(出エジプト記14章)
参考 テート・ブリテンが収蔵する版画 1988年に購入 Rawlinson number: 573 ※ 当店の商品と同じものです。
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