稀少品 ウィリアム・ブグロー作 「アルマ・パレーンス」 子を産み育てる聖母 ロンドン、J. S. ヴァーチューによる古典的フォトグラヴュール 116 x 188 mm 1883年頃

William Bouguereau, "ALMA PARENS", photogravure by J. S. Virue & Co. Ltd., London, circa 1883


原画の作者 ウィリアム・ブグロー (William Bouguereau, 1825 - 1905)

製版 J. S. ヴァーチュー社 (J. S. Virue & Co. Ltd., London)


フォトグラヴュールの画面サイズ  縦 188ミリメートル  横 116ミリメートル


1883年頃



 聖母マリアを地母神として描いた異例の作品、「アルマ・パレーンス」(ALMA PARENS)。不世出の天才ウィリアム・ブグローが 1883年に描いた油彩画を元に、ロンドンのJ. S. ヴァーチュー社が製作した古典的フォトグラヴュールです。

 ウィリアム・ブグローは多数の聖母子像を描いています。ブグローはラファエロやグイド・レーニの再来とも呼ぶべき天才であり、いずれの聖母子像も極めて美しく、かつ正統的な作品です。しかしながら本品「アルマ・パレーンス」(ALMA PARENS)においてのみ、ブグローは伝統的図像から大きく逸脱し、複眼的視点から解釈できる興味深い作品に仕上げています。





 本品「アルマ・パレーンス」は聖母あるいは聖母子を描いたキリスト教絵画であると同時に、古代の地母神を豊穣及び多産のシンボルと組み合わせて描いた作品でもあり、さらに聖母に祝福されたフランス、あるいはガリア、マリアンヌを、豊穣及び多産をもたらす地母神と重ね合わせた作品でもあります。

 「アルマ・パレーンス」に籠められた三重の意味は、図像と作品名を手掛かりに、次のように読み解くことができます。なおこれら三重の意味は、説明の便宜上三つに分けましたが、実際には互いに重なり合います。


【キリスト教絵画としての解釈】

 「アルマ・パレーンス」には、向かって左端に洗礼者ヨハネが描き込まれています。洗礼者ヨハネはメシア(救世主、キリスト)の先触れであり、イエスを指して「見よ。神の子羊」(「ヨハネによる福音書」 1:29, 37)と言った人物です。さらに手前の地面には、柘榴が象徴する「善悪を知る木(「創世記」 2:17)の実」が向かって右側に、キリストの御体と御血に実体変化する小麦と葡萄が向かって左側に、それぞれ描かれています。善悪を知る木の実は人間に呪いと死をもたらしましたが(「創世記」 3:17 - 19)、キリストの御体と御血は人間に救いと永遠の命をもたらします(「マタイによる福音書」 26:26 - 29 他)。ヨハネとこれらの事物が描き込まれた「アルマ・パレーンス」は、明らかにキリスト教絵画です。

 「アルマ・パレーンス」が聖母子像として極めて異例であるのは、中央に座る聖母マリアに、大勢の幼児が群がっていることです。聖母に群がる子供たちのうちどの子がイエスであるのか、一見したところ判別が困難ですが、ヨハネの視線を注意深く観察すれば、聖母の右肩の後ろから顔を覗かせている男の子こそ、神の子羊イエス・キリストであることがわかります。




(上) アンティーク小聖画 「神の子羊イエズス・キリスト」 詩篇40篇 7, 8節 105 x 70 mm 多色刷り石版に金彩 フランス 1905年 当店の商品です。


 イエスとヨハネ以外にも、「アルマ・パレーンス」には何人もの子供たちが描かれています。この子たちは過ぎ越しの子供たち、すなわち子羊の血が目印となって、神の怒りが過ぎ越した子供たち(「出エジプト記」十二章)です。救いを得た子供たちはみな幸せで、キリスト者の御母であり給う聖母に甘えていますが、イエスが燔祭(はんさい)の子羊であることを知っているヨハネの目には、畏敬の念と深い悲しみを読み取ることができます。


 聖母は植物で編んだ冠を被っています。冠の小麦は過ぎ越しのパンすなわち聖体パンの原料です。マルグリット(仏 marguerite)は英語のマーガレット(英 margaret)ですが、これらの語はギリシア語「マルガリーテース」(希 μαργαρίτης)がラテン語「マルガリータ」(羅 MARGARITA)を経由してロマンス語に入ったもので、真珠を意味します。真珠は至高の価値あるいは至高の知恵の象徴であり、キリスト教の象徴体系においてはイエス・キリストを意味します。同時に真珠は古来諸民族において生命力と豊穣の象徴であり、これをキリスト教の文脈に置き換えると、聖母マリア自身を象徴することになります。聖母が被る植物の冠は、このように宗教的文脈で解釈することができます。


 マルグリット(仏 margueritte)、カモミール(仏 camomille)、ヒナギク(仏 pâquerette)などキク科植物、小麦が属するイネ科植物は、いずれも身近な野草としてよく見かけます。それゆえ一見したところ、聖母の冠は野の草花を編んだもののようにも見えます。

 筆者(広川)はこの冠を見て、コロナ・グラーミネアを思い浮かべました。コロナ・グラーミネア(羅 CORONA GRAMINEA 草の冠)、別名「コロナ・オブシディオーナーリス」(羅 CORONA OBSIDIONALIS 攻囲の冠)は、戦場の草花で編んだ古代ローマの冠のことで、レギオン(羅 LEGION 軍団)を率いて敵の攻囲を突破し、レギオン全体の命を救った司令官に対し、兵士たちから贈られました。コロナ・グラーミネアはローマの軍人に贈られる最高位の栄誉でした。

 コロナ・グラーミネアは紀元前から続くローマの風習であり、キリスト教と直接的な関係はありませんが、キリスト者の導き手である聖母は、受胎告知の際に救いを受け容れて多くの人を永遠の生命へと導いたゆえに、レギオンを救った軍人に喩えることができます。しかしながらレギオンにもたらされた救いは、聖母自身にとってどれほど大きな犠牲を伴ったことでしょうか。なぜならばレギオンの救いは過ぎ越しの子羊の犠牲によってもたらされたものであるからです。マリアはキリスト者の鑑(かがみ 手本)と称えられ、慕われますが、マリアが経験した母としての悲しみは余人に計り知れません。コロナ・グラーミネアの栄誉に隠された母の孤独と悲しみに、及ばずながら思いが至ります。


【地母神像としての解釈】

 「アルマ・パレーンス」として描かれた聖母は、両方の乳房を露出しています。植物で編んだ冠には小麦が使われる一方で、薔薇も百合も編み込まれず、洗礼者ヨハネの姿が傍らに無ければキュベレー(希 Κυϐέλη フリュギアの地母神)にしか見えません。

 聖母の前に置かれた植物、すなわち小麦と葡萄と柘榴は、いずれも歴史が古く重要な農産物です。「申命記」八章七節から十節には神がイスラエルに下さる土地の豊かさについて、「小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地」と描写されています。「民数記」十三章では、カナンの豊かさが葡萄、柘榴、無花果(いちじく)によって象徴されています。聖母の背景に描かれた峩々たる山地は、アナトリアの風景のようにも見えます。


 ブグローはこの作品を「アルマ・パレーンス」(ALMA PARENS)と名付けました。ラテン語の形容詞「アルマ」(羅 ALMA)は動詞「アロー」(ALO, ALUI, ALTUM/ALITUM)と同根で、「子を育てる」という意味です。動詞「アロー」のスピーヌム形であるアルトゥム(ALTUM)は、純然たる形容詞と看做される「アルトゥス」(ALTUS 高い)と同形の幹を有しますが、実際のところアロー(アルトゥム)はラテン語アルトゥス、さらにはドイツ語アルト(alt)、英語オウルド(old)等とも同根です。すなわち形容詞「アルマ」は子を養って成長させるという意味です。一方、「パレーンス」はラテン語の動詞「パリオー」(羅 PARIO, PEPERI, PARTUM/PARITUM 生む)の現在分詞です。

 ここで留意すべきは、ウィリアム・ブグローが「アルマ・パレーンス」という画題に籠めた意図です。「アルマ」はケレース、キュベレー、マイア、ウェヌス等、産み出す女神のエピセットです。それゆえブグローは聖母を描きつつも、聖母に地母神としての役割も担わせていることがわかります。この特殊な聖母子像において、幼児はイエスのみではなく、多数の幼子が聖母に甘える様子が描かれています。彼らはキュベレーの子供たちであり、地母神に与えられた成長力を表現するために、子供の姿で擬人化された大地の恵みを表します。


【ガリア像あるいはマリアンヌ像としての解釈】



(上) Honoré Daumier, "La République", 1848, Huile sur toile, 73 x 60 cm, musée d'Orsay, Paris


 フランスは国土の半分以上を農地が占めるヨーロッパ最大の農業国です。農業生産額に関してもフランスはヨーロッパで最大で、食料自給率は百二十九パーセントに達します。

 これらは最近の統計であり、現在のようなフランス農業の繁栄は、特に二十世紀後半以降に実現したものです。しかしながらフランスは、近世以来一貫して農業を重視してきました。アンリ四世の将軍であり、財務顧問として王の信頼を受けたシュリ公マクシミリアン(Maximilien de Béthune, duc de Sully, 1559 - 1641)は、王の気に入る贅沢品作りではなく、農業の振興こそが大切であることを繰り返して説きました。シュリ公は農具や家畜の差し押さえ禁止をはじめ、多数の農民保護策を打ち出しました。「農耕と牧畜はフランスの両乳房である」(Labourage et pâturage sont les deux mamelles de la France.)という公の言葉はよく知られています。このように考えると、乳房に群がる子供たちに囲まれた聖母は、農業国フランスの寓意であると捉えることが可能です。


 普仏戦争後、コミューンの内乱の中で困難な船出をしたフランス第三共和政は、王党派の大統領パトリス・ド・マクマオン(Patrice de Mac Mahon, 1808 - 1873 - 1879 - 1893)が 1879年1月30日に辞任し、共和主義者フランソワ・ポール・ジュール・グレヴィ(François Paul Jules Grévy, 1807 - 1879 - 1887 - 1891)が第四代大統領となることで、ようやく政情が安定しました。1879年2月14日には「ラ・マルセイエーズ」が国歌と定められ、同年3月3日にはパリ・コミューンの全ての参加者に対して大赦が下されました。

 ウィリアム・ブグローが「アルマ・パレーンス」を描いた 1883年は、フランス第三共和政の全盛期に当たります。ブグローが描くアルマ・パレーンスは、フランス共和国を表す他の寓意像と同様に、麦の穂を冠としています。その一方で尖鋭な共和国像が足元に従えるライオンの姿は見当たらず、フリジア帽も被ってはいません。

 フランス共和国を象徴する女性像の名前「マリアンヌ」(Marianne)は、第二帝政時代には軽蔑的な色彩を伴い、「共和主義者どもの秘密結社」という意味で使われました。ブグローのアルマ・パレーンスは、第三共和政下においてようやく中立的なイメージで表象されるようになったマリアンヌ像であるともいえます。


【ウィリアム・ブグローについて】



(上) "La Charité", 1878, Huile sur toile, 196 x 117 cm, collection particulière


 「アルマ・パレーンス」はウィリアム・ブグロー(Adolphe William Bouguereau, 1825 - 1905)が 1883年頃に描いた作品です。本品(フォトグラヴュール)の製作時期も、原画とほぼ同じです。

 「アルマ・パレーンス」を描いた頃のウィリアム・ブグローは、 1876年に美術アカデミー(l'Académie des Beaux-arts)会員となり、1881年にはサロン展(le Salon des artistes français)絵画部門の責任者、1885年にはテイラー財団(la Fondation Taylor)の総裁に選出されました。アメリカではこの頃までにブグローの人気が高まっていて、ほとんどの作品はアメリカの顧客に売られて、フランス国内には残りませんでした。このため 1878年のパリ万博で開かれたブグロー展には、わずか十二点の作品しか展示されませんでした。ブグローは 1885年のサロン展では最高賞(Médaille d'honneur)を獲得し、1888年にはパリ高等美術学校及びジュリアン美術学校(l'Académie Julian)の教授に指名されました。ブグローは 1858年にレジオン・ドヌール・シュヴァリエを受章していましたが、1885年にはレジオン・ドヌール・コマンドゥールを、1905年にはレジオン・ドヌール・グラン・ドフィシエ(Légion d'honneur Grand Officier)を受けました。

 ウィリアム・ブグローは生涯に八百点以上の作品を描きました。作品が主題とする範囲は極めて広く、古典古代の神話や歴史、同時代の風俗、聖書とキリスト教に取材した作品、寓意画、肖像画と多岐に亙ります。筆者(広川)の意見では、ウィリアム・ブグローこそ「ジェニー」(仏 génie 天才)の名に最もふさわしい画家であり、人類の美術史の到達点です。これから先の美術史においてブグローを超える芸術家が出現することはないと、筆者は考えています。


【版画の技法について】

 本品はロンドンのJ. S. ヴァーチュー社が製作した古典的フォトグラヴュールです。フォトグラヴュール(仏 photogravure)は「グラビア印刷」(フォトグラビア)と同じ言葉ですが、現代のグラビア印刷が網点で濃淡を表すのに対し、十九世紀のフォトグラヴュールにはそもそも網点がありません。そのため現代の印刷物に比べると格段に肌理(きめ)が細かく、美術版画に適しています。





 フォトグラヴュールは単色であるゆえに、色相が異なっていても明度が同じ色どうしが隣り合うと、色と色の境界を判別することができません。それゆえフォトグラヴュールの製版は機械的に行うことができず、版画職人の手作業による修正が必要となります。

 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。大面積の髪のみならず、眼球と上瞼の境目、肩紐と肌の境目、指の間といった細部まで、すべての暗部にメゾチント用ロッカーが適用され、極めて丁寧な修正作業が行われています。





 ロッカーは背景の広い範囲にも適用されています。聖母子の唇やイエスの眉など、中程度よりもわずかに暗い部分にもロッカーによる入念な修正が施され、非常な時間を手間をかけた十九世紀版画ならではの作品に仕上がってます。十九世紀の版画は十八世紀以前のものに比べて技法が著しく進歩しており、また二十世紀のオフセット印刷物とは比べ物にならない精緻さです。版画の全歴史を通観して、十九世紀のヨーロッパはただ一回だけ訪れた黄金時代であり、この時代のフォトグラヴュールである本品は、たいへん幸運な美術品であるといえます。

 本品は百年以上前のアンティーク美術品ですが、良質の中性紙に刷られているために、劣化は一切ありません。







 版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸 32 x 26センチメートルの木製額に、赤色あるいは緑色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装代金は 24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは青やベージュにも変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。

 お支払い方法は、現金一括払い、現金分割払い(二回、五回、十回など。利息手数料なし)、ご来店時のクレジットカード払いがご利用いただけます。遠慮なくお問い合わせください。





本体価格 63,000円 額装別

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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