



スティール・エングレーヴィング 「アレクサンドリアの聖カタリナ」
St. Catherine
原画の作者 グイド・ダ・シエナ (Guido da Siena, fl. 1260s - 1280s)
版の作者 ジャン=マリ・サンテーヴ (Jean-Marie Ste-Eve)
画面サイズ 縦 255 mm 横 185 mm
イギリス 1858年
≪原画の作者について≫
この作品を描いた画家、グイド・ダ・シエナ(Guido da Siena シエナのグイド)は 1260年代から 1280年代にかけて活躍した画家ですが、その経歴に関する記録はまったく残っていません。
シエナのパラッツォ・プッブリコ (Il Palazzo Comunale/Pubblico di Siena) に、玉座の聖母子を描いた作品、「マイェスタース
(MAJESTAS)」(下図)が所蔵されています。この「マイェスタース」はもともとシエナのバジリカ・ディ・サン・ドメニコ (Basilica
di San Domenico) において三連祭壇画 (triptych) を構成していたものです。
この「マイェスタース」の最下部に、「シエナのグイド」(GUIDO DE SENIS) の名前を含む次の銘がラテン語で記されています。
この「マイェスタース」は、ビザンティン美術の強い影響を受けて完成した中世末期のイタリア美術の様式で描かれています。しかしシエナにおいてこの様式の類例が見られるようになるのは13世紀後半以降ですので、銘に書かれた
1221年という年号は早すぎます。もしもこの銘が正しければ、シエナの歴史学者ウベルト・ベンヴォリェンティ (Uberto Benvoglienti,
1668 - 1733) が書いたように、「シエナではチマブエ (Cenni di Pepo Cimabue, c. 1240 - c. 1302)
以前に絵画の歴史が始まった」ということになりますが、同時代の類例が無いのは美術史の常識に反することです。それゆえなぜこの作品のみが「時代を先取り」しているのかが、中世イタリア美術史上の大問題となりました。
この問題に関して、イタリアの美術史家エンツォ・カルリ (Enzo Carli, 1910 - 1999) は次のような説を提出しています。
・グイド・ダ・シエナではない別の画家が、1221年に、バジリカ・ディ・サン・ドメニコの祭壇に聖母子像を描いたが、その作品は現在では失われている。
・グイド・ダ・シエナの「マイェスタース」は、失われた1221年の聖母子像に代わって宗教上の機能を担うべく描かれた祭壇画である。
・したがって 1221年という年号は、グイド・ダ・シエナの「マイェスタース」が描かれた年を指すのではなく、失われた祭壇画が描かれた年を表す。グイド・ダ・シエナが自分の作品にこの年号を書き入れたのは、グイド・ダ・シエナの「マイェスタース」が元の祭壇画に代わるものであり、礼拝において元の祭壇画と同じ機能を果たすからである。
・グイド・ダ・シエナの「マイェスタース」が描かれた年代は、1262年から 1286年の間である。
≪この版画について≫
4世紀初めの殉教者にして処女、アレクサンドリアの聖カタリナを描いたエングレーヴィング。中世に流布したヤコブス・デ・ヴォラギネの聖人伝「レゲンダ・アウレア」によると、聖カタリナは釘付きの車輪で処刑されそうになりました。この刑具はカタリナの背後に描き込まれています。
この絵において、カタリナは殉教を恐れず穏やかな表情で天を仰いでいます。左上の天使は微笑みを浮かべ、殉教者の徴であるナツメヤシの葉をカタリナに渡そうとしています。
写真術が十分に発達していなかったこの時代、絵画の複製は銅版画によって行われました。多く使われた銅版画の技法にはフォトグラヴュア、エッチング、エングレーヴィングがあります。このなかで前二者はそれぞれカメラ・オブスクーラを使う技法、手作業で絵を描く技法ですが、いずれも酸により銅を腐蝕させて製版します。
これらに比べて格段に技術と労力を必要とするのはエングレーヴィングです。エングレーヴィングにおいては銅を酸で腐蝕させるのではなく、グレイヴァー(フランス語ではビュラン)という彫刻刀を使って、人間の力で銅板にインク溝を刻んでゆきます。刷りあがった画面の明るい部分にあたる溝には破線、暗い部分は途切れの無い線が刻まれ、特に暗い部分ではクロスハッチでできる菱形の内部に点を刻んでいます。またそれぞれの線の幅と深さを調節することによって、溝に入るインクの量が適正になるように計算し尽くされています。
下の拡大写真は実物の約50倍の面積に拡大してあり、定規のひと目盛は1ミリメートルです。エングレーヴィングの製版がいかに熟練を要する細かい作業であるかがわかります。

エングレーヴィングはあまりにも多大な労力を要するため、作品の全面に用いられることは稀で、ほとんどの場合はエッチングと併用されています。この作品においても遠景の木々と山肌、聖カタリナの足下の草、右側の建物の手前側の壁面はエッチングで製作されています。聖カタリナはすべての部分をエングレーヴィングで製作してあります。
グイド・ダ・シエナの原画は、ビザンティン美術の影響が色濃い中世末期イタリアの宗教美術です。しかるにこの版画は近代人の美的感覚で製作されており、19世紀のサロン展出品作品と見まがうばかりです。
したがってこの版画は、グイド・ダ・シエナの作品が元になっているとはいえ、原作を単に忠実に模写した複製ではなく、19世紀のフランス人版画家ジャン=マリ・サンテーヴというフィルターを通して再解釈、再創造された新しい芸術作品といえます。
19世紀のエングレーヴィングは原作の単なる複製と思われがちですが、決して写真のように忠実なコピーではなく、独自の芸術作品として原作を離れた固有の地位を有します。この作品はその好例です。