サー・ジョシュア・レノルズ作 「汚れなき日々」 ジュベール・ド・ラ・フェルテが二年を費やした細密インタリオの名品 1850年

The Age of Innocence


原画の作者 サー・ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds, 1723 - 1792)

版の作者 ジャン・フェルディナン・ジュベール・ド・ラ・フェルテ(Jean Ferdinand Joubert de la Ferté, 1810 - 1883)


画面サイズ  縦 240 mm  横 195 mm



 イギリス美術史において最も優れた画家のひとり、サー・ジョシュア・レノルズが無垢な幼女を描いた「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」(「汚れなき日々」 "The Age of Innocence", 1785)。この美しい作品はたいへん人気があって、油彩による複製の他、石版画、エッチング、フォトグラヴュールなど、多数の版画が作られています。本品はフランス出身の版画家ジュベール・ド・ラ・フェルテが 1850年の「ジ・アート・ジャーナル」("The Art Journal"に発表したエングレーヴィングで、筆者(広川)がこれまで目にした「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」のうち、間違いなく最も美しい作品です。





 少女像を描いたサー・ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds, 1723 - 1792)は、画家であるとともに優れた知識人でもあり、歴史画を最も重視していましたが、上流社会から実際に注文されるのは大部分が肖像画でした。その結果、サー・ジョシュア・レノルズは、この分野において数多くの傑作を遺しています。ただし本品「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」(「汚れなき日々」)は注文されて描いた肖像画ではなく、画家自身の大姪(おおめい)で当時三歳であった幼女シオフィラ(Theophila)を描いたものと考えられています。

 レノルズの油彩画「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」は、1847年、美術品収集家ロバート・ヴァーノン(Robert Vernon, 1774 - 1849)によって、国家(大英帝国)に寄贈されました。寄贈後は、最初マールバラ・ハウスに収蔵されたあと、サウス・ケンジントン博物館(the South Kensington Museum ヴィクトリア・アルバート博物館の前身)、次いでナショナル・ギャラリー(the National Gallery)に移され、現在はテイト・ブリテン(Tate Britain)に収蔵されています。





 本品は 1847年に国有の「ザ・ヴァーノン・コレクション」(The Vernon Collection)が誕生したことを記念して制作されたスティール・オンタリオ(エングレーヴィング及びエッチング)で、パリに生まれイギリスに帰化したエングレーヴァー、ジャン・フェルディナン・ジュベール・ド・ラ・フェルテ(Jean Ferdinand Joubert de la Ferté, 1810 - 1883)によります。ジュベール・ド・ラ・フェルテは、1848年の「アート・ユニオン」(「アート・ジャーナル」の前身)に「サルヴァトール・ローザ」(Daniel Maclise RA, "Salvator Rosa")を発表しており、本品「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」はその直後に制作を開始したと考えられます。本品が発表されたのは 1850年ですから、版の完成までに二年を要したことになります。

 「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」を制作するにあたり、ジュベール・ド・ラ・フェルテは少女の肌と髪と服、及び背景の空、遠景の建物にはエングレーヴィングを使っています。頭に飾ったリボン、及び地面と背景の植物にはエッチングを使っています。





 上の写真は本品を拡大撮影しています。写真に写っている定規のひと目盛りは一ミリメートルです。少女の肌に関して見ると、一ミリメートルの幅には二本ないし三本の線が入っています。

 最も明るい部分はスティプリング(点描)、それよりも少し暗い部分は実線と点線が交替する溝で描かれています。さらに明度を落としたい箇所では、点線の溝を実線の溝に置き換えても明度を落とすことはできますが、この方法を取ると肌に硬質の艶が出てしまいます。それゆえジュベール・ド・ラ・フェルテはこの方法を避けて、不連続の浅く短い溝により、クロスハッチ状の菱形を作る方法を採用しています。明度をもっと落としたい箇所には、長い実線の溝を交叉させて、真正のクロスハッチとしています。

 クロスハッチ状の菱形、及び真正のクロスハッチの菱形は、一片の長さが 0.2ミリメートルないし 0.5ミリメートルという極小サイズですが、内部空間のちょうど中心には、一つ一つ手作業で、スティプルが丁寧に打たれています。このスティプルは明度を適正な水準まで落とすとともに、少女のきめ細かな肌が太陽光を柔らかく乱反射する様子を見事に再現しています。





 さらに拡大します。定規のひと目盛りは一ミリメートルです。

 少女の目は、角膜上の 0.8 x 0.2ミリメートルほどの範囲に光が反射しています。この部分をまったく彫り残して真っ白にすると、目の光が強くなりすぎるので、ジュベール・ド・ラ・フェルテは微小なスティプルによる点線を書き加えています。また、ジュベール・ド・ラ・フェルテは、目とその向こうに見える鼻梁(びりょう 鼻柱)の間、及び少女の顔と背景の境目に、明瞭な輪郭線を描いていません。エングレーヴィングは単色ですから、色彩の変化で境界を表すことができませんが、線の太さと密度、方向と曲がり具合の違いによって、版画を見る人は無意識のうちに境界を判別するのです。「線描によるスフマート(伊 sfumato ぼかし)」という、一見したところ実現しようが無いとも思える難事を、ジュベール・ド・ラ・フェルテは見事に実現しています。





 少女の口もとにも、明瞭な輪郭線はありません。

 乳幼児が何かを見つめるとき、唇を前に突き出すことがよくあって、この年頃の子の愛らしい特徴となっています。本品に描かれた女の子にも、幼児ならではの表情が見て取れます。作品全体が醸し出すこのような表情は、拡大倍率が大きい写真では見失われますが、版画全体を見ると狙い通りの効果が出ていることがわかります。ジュベール・ド・ラ・フェルテは細かい作業に取り組みつつも、作品の雰囲気を常に意識して、全体のバランスを崩すことが決してありません。原作の油彩よりも美しいとさえ思える本品の出来栄えは、ジュベール・ド・ラ・フェルテが優れた総合的能力を有する芸術家であることを、雄弁に証明しています。





 少女の手の部分。定規のひと目盛りは一ミリメートルです。手と服の間に明瞭な輪郭線はなく、微細な点によるスティプリングで処理されています。

 二十世紀末に、テイト・ブリテンがエックス線で行った調査により、レノルズの油彩画「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」は、「いちごの少女」(A Strawberry Girl)という別の作品の上に重ねて描かれていることが判明しました。これは「いちごの少女」の絵具が広範囲に剥離したためと考えられ、「いちごの少女」の両手だけが塗りつぶしを免れて、「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」の一部となっていました。


 上の拡大写真で、左手(向かって右の手)親指の先端から 0.7ミリメートルほど先に、本来の指先と思われる弧状の線がスティプルで描かれています。これは「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」の少女の左手親指が、「いちごの少女」の左手親指よりもわずかに短くなったため、もともとの指先が修正された跡です。




(上) Sir Joshua Reynolds,"The Age of Innocence", c. 1775, Oil on canvas, 63.8 x 76.5 cm, Tate


 「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」が「いちごの少女」に重ねて描かれたことを、版画家ジュベール・ド・ラ・フェルテは知らなかったはずですが、もともとの指先を塗りつぶした痕跡は、スティプルで正確に再現されています。版画を大きく拡大しなければ気付かない細密さで、これほどまでに正確な描写が行われている事実からは、原画のテクスチャをあくまでも忠実に再現しようとする版画家の丁寧で誠実な仕事ぶりがうかがえます。

 「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」の下にもともと描かれていた「いちごの少女」を、レノルズが重ね塗りによって破棄した理由は、絵具が劣化して大きな面積に剥離が起きたためです。現在では「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」自体も絵具が劣化し、破棄された「いちごの少女」よりも悪い状態になっています。油彩絵具は経時によって変色し、ひび割れ、剥離しますが、この劣化を防ぐ方法は存在しないので、油彩画に寿命があるのは仕方がないことです。しかしながらモノトーンのインタリオには経時による劣化が起こらず、永久に美しい状態を保ちます。





 上に示した拡大写真は、少女の真上から少し右にずれた付近の植物を撮影しています。この部分はエッチングで、一枚一枚の木の葉を根気よく線描しています。

 本品において地面と植物はエッチングで描かれていますが、これは労力を省くためではありません。エングレーヴィングはビュラン(仏 burin 彫刻刀)で鋼板を彫るので、強い力が必要です。そのため直線やなだらかな曲線に向いていて、滑らかさと幾分の硬さを併せ持つ線になります。これに対してエッチングは鉄筆で蝋を削る技法であり、スケッチをしたり文字を書いたりするときと同じような筆圧で制作できるので、数ミリメートル程度の距離の中で何度も不規則に曲がる線を描くのに適しています。線の性質もエングレーヴィングとは対照的で、土や草地の地面、木の皮、草の葉や木の葉などを表すのに向いています。





 上の写真は版画画面の右端の遠景で、やや離れたところにある木立を描いています。ジュベール・ド・ラ・フェルテはこの部分にもエッチングを使用し、木の葉を一枚ずつ描いています。


 アンティーク・インタリオの細密さは、原寸大の写真によって再現することができません。コンピューターのモニターで表示するために、版画の全体像を把握しやすいサイズまで画素数を落とすと、細部はすべて失われます。細部がどのように彫られているかを示すためには、版画の数か所を選んで接写し、顕微鏡写真のような拡大写真で示すしかありませんが、拡大写真は現物のサイズとかけ離れています。これに加えて、現物のアンティーク・インタリオは、拡大写真でも判別が困難な細密さを有しており、それらの細部は版画作品の全体を肉眼で見たときの驚くべき写実性に貢献しています。

 商品説明の最初にも書きましたが、レノルズの「ジ・エイジ・オヴ・イノセンス」はたいへん人気がある作品で、さまざまな手法による様々な版画が制作されています。そのなかで、本品は、筆者(広川)がこれまで目にした最も美しい作品です。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





 版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸 40 x 31センチメートルの木製額に、青色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装の価格は 24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは赤や緑、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





エングレーヴィングの本体価格 85,000円 (額装別)

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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