ジャン=バティスト・グルーズ作 「幼き日」 ヴィクトリア女王が愛して抱きしめた肖像画 二十五歳の天才版画家による名品エングレーヴイング 1859年

Childhood


原画の作者 ジャン=バティスト・グルーズ(Jean-Baptiste Greuze, 1725 - 1805)

版の作者 アルフレッド・ジョゼフ・アンヌドゥーシュ(Alfred Joseph Annedouche, 1833 - 1922)


楕円形画面のサイズ  縦 250 mm  横 195 mm



 フランスの画家ジャン=バティスト・グルーズ(Jean-Baptiste Greuze, 1725 - 1805)による愛らしくも清らかな作品。イギリス王室のコレクションに収められた作品を、フランスの版画家アルフレッド・ジョゼフ・アンヌドゥーシュ(Alfred Joseph Annedouche, 1833 - 1922)がエングレーヴィングにしたものです。


 この少女像を描いたジャン=バティスト・グルーズ(Jean-Baptiste Greuze, 1725 - 1805)は、美術史を通しておそらく最も人気がある風俗画家のひとりです。ロココ様式に象徴される享楽的な十八世紀にあって、グルーズは裸の神々の世界を描かず、純粋な子供たち、善良で美しい女性たちの姿を、地に足を着けた風俗画のうちに描きました。

 女性や子供の目に見える愛らしさだけでなく、誠実に生きる人々のまっすぐな心をも清潔な画風のうちに写し取ったグルーズの作品は、革命以前のフランスにおいて、宮廷の貴族たちからブルジョワジーまであらゆる階層に愛されました。


(下) Jean-Baptiste Greuze, "La jeune Fille à la colombe", musée de la Chartreuse de Douai グルーズの代表作のひとつ




 この版画の元となった油絵は、1843年にヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819 - 1901)が自ら購入し、現在もイギリス王室が所蔵する作品です。女王はこの絵を手に入れた喜びを、1844年5月17日付の日記に書き記しています。王室コレクションに含まれるこの油絵は、おそらくグルーズ本人の描いた物ではなく、十九世紀に入ってから制作された模写と考えられています。

 ヴィクトリア女王は 1819年5月24日に生れ、1838年6月28日、十九歳のときに戴冠しました。1840年2月10日、二十一歳のときにアルバート公と結婚し、同年11月21日に長女ヴィクトリアを出産しました。1843年といえば、女王自身はおよそ二十四歳、長女ヴィクトリアは三歳の頃で、グルーズの油絵に描かれた少女は長女ヴィクトリアにそっくりです。


(下) Franz Xaver Winterhalter, "Victoria, Princess Royal" 1842年のヴィクトリア (女王の長女)




《この版画について》

 本品は当時のヴィクトリア女王が大切にしていた少女像の油絵を元に、フランスの版画家アルフレッド・ジョゼフ・アンヌドゥーシュ(Alfred Joseph Annedouche, 1833 - 1922)が制作したエングレーヴィングで、サミュエル・カーター・ホール(Samuel Carter Hall, 1800 - 1889)が編集した豪華画集「ロイヤル・ギャラリー・オヴ・アート」("Royal Gallery of Art", 1852)のために制作された作品です。

 「ロイヤル・ギャラアリー・オヴ・アート」は四巻の大型美術書で、ニューヨークのゼルマー・ヘス(Selmar Hess, New York)、マンチェスターのトーマス・アグニュー・アンド・サンズ(Thomas Agnew & Sons, Manchester)、ロンドンのピー・アンド・ディー・コルナギ(P & D Colnaghi, London)の三社から、1854年に同時に出版されました。同書を編集したサミュエル・カーター・ホールは「ジ・アート・ジャーナル」("The Art Journal"の編集者でもあり、この作品は 1859年の同誌にも収録されました。





 この版画には三つの特徴があります。

 第一の特徴は、全面的にエングレーヴィングで制作されていることです。線によるインタリオ(金属の凹版)の技法にはエングレーヴィングとエッチングがありますが、本品のような大型の版画作品に限って言えば、大体の傾向として、イギリスの版画家はエングレーヴィングを、フランスの版画家はエッチングを多用します。しかしながら本品の版を制作したアルフレッド・ジョゼフ・アンヌドゥーシュは、フランスの版画家であるにもかかわらず、エッチングを一切使わずに、エングレーヴィングのみで本品の版を制作しています。

 本品の拡大して観察すると、流れるようなエングレーヴィングの美しさがよくわかります。下の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。





 第二の特徴は、鑑賞する人自身の想像力が本品に対して能動的に働き、活き活きとした生命力を本品の内に生みだしていることです。本品が有する三つの特徴のうち、この第二の特徴は最も特筆に値します。

 古代ギリシアの哲学者プラトンは、芸術を「外界のミメーシス(希 μίμησις 模倣)」であると考えました。この考えはその後の芸術を支配し、外界をありのままに写し取れるかどうかということが、長い間、絵や彫刻の巧拙を判断するほとんど唯一の基準であり続けました。しかしながらロベール・カンパン(Robert Campin, c. 1375 - 1444)やヤン・ファン・アイク(Jan van Eyck, c. 1390 - 1441)の時代に、テンペラ絵の具に代わって油絵の具が使われ始めると、それ以前の時代とは異なる描き方が試みられるようになりました。

 下の写真は左がラファエロの「ベルヴェデーレの聖母」(Madonna del Belverdere, 1506)、右がフランス・ハルスの「ジプシー女」(Zigeunermeisje, 1628 - 30)です。いずれも油彩画の一部ですが、二点の制作年代には百年以上の差があります。これら二点を比べると、肌や布の描き方に顕著な違いがあることに気づきます。ラファエロは伝統を踏襲し、外界のあるがままの姿をできるだけ正確に写し取ろうとしています。ラファエロは肌や布の滑らかな質感を正確に再現するために、筆の跡を丹念に消し、従来のテンペラ画と変わらない滑らかな仕上がりを達成しています。これに対してフランス・ハルスは、細部の正確な描写にそもそも関心がありません。フランス・ハルスが可視化しようとしているのは、人物の性格を基礎としながらも、その瞬間ごとに生まれては消える感情の動きです。フランス・ハルスは筆の跡を消さず、むしろ油絵の具ならではの躍動的な筆致(ひっち 筆遣い)によって、生きた感情の動きを捉えようとしています。





 ふたりの画風の違いは、とりわけ唇や衣の描き方によく顕れています。ラファエロの画面は完成されていて、隙、すなわち未完成の部分や不完全な部分がありません。実物の各部をルーペで拡大しても、肌は肌にしか見えず、衣は衣にしか見えません。ラファエロの完璧な画面は、いわば天上界が地上界を必要とせず、自己完結的に存在しているのと同じように、見る人の助けを借りずに自存しています。

 しかるにフランス・ハルスの画面には、ラファエロのような完璧さがありません。「ジプシー女」の各部をルーペで観察する人は、自分が何を見ているのかを判別できないでしょう。しかし絵から或る程度の距離まで離れれば、ジプシー女を描いているとわかるだけでなく、生命力あふれる精神の躍動が、女性の微笑みの内に、むしろラファエロの作品よりも活き活きと再現されていることに気づきます。

 フランス・ハルスの作品に宿る生命力は、古代人が考えたように、またラファエロの場合のように、外界を忠実に写した細部に宿っているのではありません。ラファエロの絵の細部は、いわば生物の細胞のようなものです。生きている生物の一部を顕微鏡で拡大すると、ひとつひとつの細胞に確かな生命が宿っているのがわかります。これに対してフランス・ハルスの絵の細部は、いわば鏡のようなものです。フランス・ハルスの絵をルーペで拡大しても、「ジプシー女」を思わせるものは何も見えません。しかるに作品全体を見ると、たいへん不思議なことに、ラファエロの絵よりも活き活きとしています。このような不思議が起こる理由は、フランス・ハルスが未完成のまま残した細部を、絵を観る人自身が想像力で補うからです。

 鑑賞者の生きた精神は、フランス・ハルスの作品に入り込み、絵を補って完成させます。それゆえフランス・ハルスの絵の中には、鑑賞者自身の生命と精神が、いわば鏡のように映し出されます。鑑賞者が「ジプシー女」の内に見出す生命の躍動は、鑑賞者と無関係に作品に宿っているのではありません。鑑賞者の生きた精神が作品の中に入り込み、ジプシー女と共に喜怒哀楽を感じることによってはじめて、この作品の躍動感が生まれます。鑑賞者自身の生命力と感情を、フランス・ハルスは卓越した筆致で絵のなかへと抽(ひ)き出し、画面に投影して見せているのです。




(上) Anonymous, after Jean-Baptist Greuze, "Childhood" or "Head of a girl", c. 1770s, 36.0 x 30.5 cm, The Royal Collection Trust


 フランス・ハルスの作品に見られるような筆致はテンペラ絵の具では実現できず、油絵の具によって可能になった表現です。ヴィクトリア女王が所有していたグルーズの少女像は、フランス・ハルスの作品よりも丁寧に描かれていますが、とりわけ髪や衣の表現は、また注意してみれば肌や目、鼻、口の表現も、ラファエロの作品ように完成されてはおらず、鑑賞者自身がその想像力で補うことを前提とした不完全さが見られます。そしてこの筆致こそが、ヴィクトリア女王の心を捉えた魅力でありました。

 油彩画「幼き日」のテクスチャがもしもラファエロのように完璧であれば、鑑賞者を決して絵のなかへと招き入れない高踏的な美しさとなったことでしょう。しかるにこの絵の画面はラファエロの作品のように完璧に仕上げられておらず、鑑賞者自身が絵の中に入って細部を補ってやる必要があります。作品と鑑賞者の距離は極めて近く、むしろ母と幼子のように同体を為します。ヴィクトリア女王が「幼き日」を目にしたとき、作品が持つこのような特性が親しみやすさとして感じられて、女王の心を魅了しました。いわば絵の中の少女が、鑑賞者であるヴィクトリア女王の目を見つめ、女王のほうに両腕を差し伸べたのです。

 女王の母性愛は、同じ年頃の娘ヴィクトリアを腕の中に抱くのと同じように、この絵の中に入り込み、可憐な少女を抱きました。1844年5月17日付の日記に記された女王の喜びは、優れた作品を手に入れた美術愛好家の喜びであるとともに、絵の中の幼女に向けられた母性愛でもあったのだと、筆者(広川)は考えます。





 本品の第二の特徴として以上に述べたことは、版画の特徴ではなく、原画となった油絵の特徴です。それでは油絵のその特徴が、版画家アンヌドゥーシュによって、どのように版画に再現されているかを確かめましょう。

 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。一ミリメートルの幅には、二本ないし三本の線が入っていることがわかります。一ミリメートルの幅に複数の線が入っていると聞くと、非常に細かい印象を受ける人が多いでしょう。しかしながらたいていのアンティーク・エングレーヴィングは、線の間隔がもっと密に詰まっています。




(上) Pierre-Louis-Joseph de Coninck, The Tambourine, engraved by Herbert Bourne, 27.5 x 18 cm, 1872 当店の商品です。


 次に示す三つの写真は、いずれも右側が本品です。左側の対照群は、ピエール=ルイ=ジョゼフ・ド・コナンクの絵画「タンバリン」をもとに、ハーバート・ボーンが 1872年に制作したエングレーヴィングです。写真に写っている定規のひと目盛りは一ミリメートルで、左右の写真は同じ縮尺です。









 ハーバート・ボーンが彫った「タンバリン」の画面は縦 275ミリメートル、横 180ミリメートルで、アンヌドゥーシュによる本品「幼き日」(縦 250ミリメートル、横 195ミリメートル)とほぼ同等の大きさです。しかしながらこれらふたつの作品について線の密度を比べると、右側の本品「幼き日」は左側の「タンバリン」ほど細密に仕上げられておらず、アンヌドゥーシュが最低限の密度でインタリオの溝を刻み、本品「幼き日」を製版していることがわかります。しかしながらアンヌドゥーシュの作品は、溝の本数が常に少ないわけではありません。筆者がこれまでに見たアンヌドゥーシュの版で、溝の密度が小さいのは本品「幼き日」だけです。

 「幼き日」の原画は細部をラファエロのように完璧に仕上げず、不完全な状態に残しているために、鑑賞者自身の生きた精神が絵の内に入り込み、未完成の細部を埋める必要があります。ヴィクトリア女王がこの絵に惹きつけられたのは、女王自身の想像力が絵に入り込んでモデルの少女に生命を与え、女王の母性愛が少女を抱きしめたからでした。

 本品における溝の密度の小ささは、原画の筆致をそのまま反映しています。版画家アンヌドゥーシュはインタリオの溝の間隔を敢えて広く取ることにより、原画が意図する効果を、そっくりそのままエングレーヴィングに再現しています。本品を鑑賞する人は知らず知らずのうちに版画の内側に入り込み、アンヌドゥーシュが敢えて完璧に仕上げなかった細部を、自分自身の想像力で補います。鑑賞者自身の心が絵の中の少女に生命を与え、まるで幼い子供が実際にそこにいるかのように、少女の表情を活き活きと輝かせるのです。





 第三に特筆すべき点は、本品が非常に若い版画家の作品であるということです。アルフレッド・ジョゼフ・アンヌドゥーシュは 1883年生まれですが、本品は 1859年に発表されたわけですから、おそらく版画家が二十五歳ごろに制作した作品です。この作品において、青年版画家アンヌドゥーシュは原画を表面的に写し取るのではなく、画家の意図までを完全に理解して、原画が有する効果をそっくりそのままエングレーヴィングに移植しています。

 1859年は写真が無い時代ですから、アンヌドゥーシュはヴィクトリア女王が所有する原画の実物を直接示されて、短時間でスケッチしたはずです。その際に優れた芸術的洞察力を以て原画の制作意図を見抜き、油絵の具のパート(仏 pâte 厚み)と筆致を正確に記憶したのでしょう。原画を一目見て全てを理解し記憶する知性と、エッチングに頼ることなく、大きな画面の全体をエングレーヴィングで仕上げる技量は、まさに天才の為せる業です。





 筆者(広川)の手許には、アルフレッド・ジョゼフ・アンヌドゥーシュが 1880年に書いた自筆の手紙があります。アンヌドゥーシュは手紙のなかで、美術書の出版社から版画家に支払われる報酬が少ないことを嘆いています。仕事をしている間はまだ良いとしても、版画家が亡くなると、遺された家族はたちまち困窮しました。高名な版画家であっても、作品に支払われる報酬が少なすぎたからです。

 十九世紀後半の美術界では、線を重視する従来の価値観から、印象派に象徴されるような色彩のみを重視する価値観へ、革命的な転換が起ころうとしていました。この時代に明治維新が起こったわが国には、線を重視する伝統的絵画を差し措いて、印象派の作品が「西洋絵画」として紹介されました。そのためか特にわが国では印象派こそがヨーロッパ近代絵画の本流であるかのように誤解され、一般の人々はインタリオはおろかアカデミー絵画に関してもあまりに無知です。本品「幼き日」を描いたジャン=バティスト・グルーズの名も、版画家アルフレッド・ジョゼフ・アンヌドゥーシュの名も、これまで一度も耳にしたことがない人が多いのではないでしょうか。

 カマユーに関する論考でも述べましたが、彫刻的絵画であるモノクロームの版画は、手彩色や多色の重ね刷りを敢えて行わず、作品の色を単色に制限することで、可視的現象の内奥に潜む本質を表現しようと挑戦し続ける、美術家たちの創造的努力を示します。書や水墨画の伝統を有するわが国においても、色彩を敢えて排除したモノクローム版画の芸術性がよりよく理解され、評価が高まることを願わずにはいられません。



《額装について》



 版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸 40 x 31センチメートルの木製額に、緑色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装の価格は 24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは赤や青、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





エングレーヴィングの本体価格 48,800円 (額装別)

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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